昨夜、ゲストハウスの人々に確認しておいたチェンコンへのルートについて再確認するためにゲストハウスのオーナーにチェンライの市街地図を見せてくれるように頼んでみると、昨夜教えてもらったルートとは違った、より効率の良さそうなルートを教えてくれました。
私の場合、そしてこの旅の場合、事前の情報収集を笑い飛ばしているだけに、直前の現地での情報収集は人並以上に行いますし、それに応じてアイデアは次々と変化していくのです。
市街地図とロードマップを何度も確認して、新しいルートは少し複雑だけれども充分こなせると判断。チェンライを抜けるまでの信号の数や位置、各交差点での右左折を徹底的に頭に入れて出発です。
軽く間違いかけたりしながらも、無事チェンライを脱出。最初の分岐路で念のためにロードブックを再確認していると、ご参加の方のうち、熱心に事前情報を確認してからご参加いただいたお客様から"○○号線を行くんじゃなかったでしたっけ?"と指摘されました。
"うーん、そのアイデア、今は変わってしまったんですよ。朝、新ルートに決めました"
そう。この旅は現地での情報と私の気紛れでどんどん変化していく旅なのです。
田園風景の中をしばらく走り続けると左手に小山が見えてきました。中国の桂林にあるようなこの風景、そういえばメコンやコック川周辺でも時々見かけます。ここはPHA CHANG PARKという公園になっている様子です。休憩がてら、少し立ち寄ってみます。
更に田園風景の中を進むと前方に大きな市場が見えてきました。"少し田舎町のマーケットでも覗いてみますか"という事でここで休憩。タイに着いてからずっと果物を欲しいと思っていた私はここで"ラ・ムー"というフルーツを入手。他の方々は念願のココナッツジュースを入手して飲んでいます。
タイに到着してから4日。いつのまにかお二人も全く言葉が通じないマーケットで自由に買い物をしたり、すっかりベテランです。たいした順応力です。
本日の目的地、チェンコンもチェンライと同じく私には思い出深い場所です。チェンライで居候する事になったゲストハウスの縁者がここにゲストハウスを持っていて、そこにもしばらく居候した事があるのです。
ところがチェンコンの町に入る時点で既に私は驚かされました。この町の20年間の変貌振りはチェンマイやチェンライとは桁違い。あの頃は舗装されているのはバス停までで、バス停から町の全貌が見渡せたのに今は立派な建て物が立ち並んでいます。
あの時泊まったチェンコン ゲストハウスを頼りにしていた私は町の入り口で既にそれを見つける事が困難であると判断。お二人に街外れで待っていてもらう事にして町をゆっくり走ってみますが、全く見覚えの無い町なのです。
チェンコンはメコン河沿いの町で、対岸はラオス。どうやらラオス観光の拠点として急速な発展を遂げたようです。
町並みよりも、メコン河の風景と対岸のラオスの建て物の方がむしろ記憶に近いものがあります。対岸の風景を頼りに、あの時、釣り糸を垂れた場所や、カレン語を教えてもらった小屋を探してみますが、どうしても見つかりませんでした。
思い出を辿る事はひとまず諦めて、今日の宿を一から探します。少し面倒になった私は、低速で走行している私に"ゲストハウスか?"と声をかけてきた人物のゲストハウスを見に行きます。特に問題なさそうなので、そこに皆さんを呼び寄せて、本日の任務は完了。
チェンコンで少し遅くなった昼食の後、どうしても納得のいかない私はお二人と別れて昔の風景を探しにチェンコンを彷徨います。それほど大きくない町のどこを見ても結局昔の記憶は蘇える事はありませんでした。
ゲストハウスの共同スペースで少し寂しい気分に浸りながら"ラ・ムー"を食べていると、お二人も無事帰還。暮れていく日を眺めながら、しばらく無駄話を楽しんで夕食に出かけて帰って来ると、ゲストハウスのオーナーと出会いました。彼は同行のお二人の年齢を尋ねて驚いていました。確かに60代でこのような安宿に宿泊している日本人を私もあまり見た事はありません。
私の場合、そしてこの旅の場合、事前の情報収集を笑い飛ばしているだけに、直前の現地での情報収集は人並以上に行いますし、それに応じてアイデアは次々と変化していくのです。
市街地図とロードマップを何度も確認して、新しいルートは少し複雑だけれども充分こなせると判断。チェンライを抜けるまでの信号の数や位置、各交差点での右左折を徹底的に頭に入れて出発です。
軽く間違いかけたりしながらも、無事チェンライを脱出。最初の分岐路で念のためにロードブックを再確認していると、ご参加の方のうち、熱心に事前情報を確認してからご参加いただいたお客様から"○○号線を行くんじゃなかったでしたっけ?"と指摘されました。
"うーん、そのアイデア、今は変わってしまったんですよ。朝、新ルートに決めました"
そう。この旅は現地での情報と私の気紛れでどんどん変化していく旅なのです。
田園風景の中をしばらく走り続けると左手に小山が見えてきました。中国の桂林にあるようなこの風景、そういえばメコンやコック川周辺でも時々見かけます。ここはPHA CHANG PARKという公園になっている様子です。休憩がてら、少し立ち寄ってみます。
更に田園風景の中を進むと前方に大きな市場が見えてきました。"少し田舎町のマーケットでも覗いてみますか"という事でここで休憩。タイに着いてからずっと果物を欲しいと思っていた私はここで"ラ・ムー"というフルーツを入手。他の方々は念願のココナッツジュースを入手して飲んでいます。
タイに到着してから4日。いつのまにかお二人も全く言葉が通じないマーケットで自由に買い物をしたり、すっかりベテランです。たいした順応力です。
本日の目的地、チェンコンもチェンライと同じく私には思い出深い場所です。チェンライで居候する事になったゲストハウスの縁者がここにゲストハウスを持っていて、そこにもしばらく居候した事があるのです。
ところがチェンコンの町に入る時点で既に私は驚かされました。この町の20年間の変貌振りはチェンマイやチェンライとは桁違い。あの頃は舗装されているのはバス停までで、バス停から町の全貌が見渡せたのに今は立派な建て物が立ち並んでいます。
あの時泊まったチェンコン ゲストハウスを頼りにしていた私は町の入り口で既にそれを見つける事が困難であると判断。お二人に街外れで待っていてもらう事にして町をゆっくり走ってみますが、全く見覚えの無い町なのです。
チェンコンはメコン河沿いの町で、対岸はラオス。どうやらラオス観光の拠点として急速な発展を遂げたようです。
町並みよりも、メコン河の風景と対岸のラオスの建て物の方がむしろ記憶に近いものがあります。対岸の風景を頼りに、あの時、釣り糸を垂れた場所や、カレン語を教えてもらった小屋を探してみますが、どうしても見つかりませんでした。
思い出を辿る事はひとまず諦めて、今日の宿を一から探します。少し面倒になった私は、低速で走行している私に"ゲストハウスか?"と声をかけてきた人物のゲストハウスを見に行きます。特に問題なさそうなので、そこに皆さんを呼び寄せて、本日の任務は完了。
チェンコンで少し遅くなった昼食の後、どうしても納得のいかない私はお二人と別れて昔の風景を探しにチェンコンを彷徨います。それほど大きくない町のどこを見ても結局昔の記憶は蘇える事はありませんでした。
ゲストハウスの共同スペースで少し寂しい気分に浸りながら"ラ・ムー"を食べていると、お二人も無事帰還。暮れていく日を眺めながら、しばらく無駄話を楽しんで夕食に出かけて帰って来ると、ゲストハウスのオーナーと出会いました。彼は同行のお二人の年齢を尋ねて驚いていました。確かに60代でこのような安宿に宿泊している日本人を私もあまり見た事はありません。
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