旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

テロには屈しない

2005年07月16日 | 時事
なんとなく正論に見えるけれどよくよく考えたら違うんじゃないかという事は世の中にたくさん存在します。私は特に最近そう感じさせられる事が多く、もしかすると人間の心理に対する研究がかなり進歩しているのではないかと思わせられます。

最近の代表的な例はといえば、連発される”テロには屈しない”という言葉です。ニューヨークでの同時多発テロ以降各国の代表者が好んで使用する流行語のようになっていて、以下にも勇ましい言葉ですが、よくよく考えたら同様のテロの発生を完全に防ぐ具体的な方策もないのに"屈しない"っていうのは"国家の大儀の前には一個人の犠牲なんてなんとも思っていません”という言葉とも受け取れるのは私がひねくれすぎているのでしょうか。

ひねくれついでに、みなさんは国家のテロとの戦いとかテロに屈しないという方針の前に命を投げ出す覚悟がありますか?正直な話、とてもじゃないけれど、私にはそんな勇気はありません。テロに屈してもいいから、少なくとも私だけは死なないようにしてほしいものです。

日本もロンドンのテロ事件後に対テロ訓練など行っていましたが、ここ数年のテロ事件でそういった部隊が役に立った事例を私は知りません。少し前の”人質型”の事件であれば役に立つでしょうが、突然街中で爆弾が爆発したり航空機が突入したりする事件だと、誰かが犠牲にならざるを得ないわけで、それは私かもしれないし、あなたかもしれないと考えたら”テロには屈しない”という勇ましい言葉に賛成している場合ではなくなります。

テロには屈しないという言葉がなんとなく正論に見えるのは案外自分達の中にも”自分は犠牲にならない”というなんの根拠もない前提があるからなのかもしれません。

視点を変えて見れば、国家が自国の方針のために国民に犠牲を強いることが肯定されるような社会となると、これはもはや民主主義とは言えないのではないかと思います。そして、この勇ましい”テロには屈しない”という言葉にはそういった意味が含まれているように感じられてなりません。

テロには屈しないとか,テロリストとは交渉しないといった勇ましい言葉を使うのであれば我々の前にテロを”事前に"防ぐ具体的かつ絶対的な方法論を示してくれる必要があるはずですし、一方、そんなことは不可能だと思います。

そうであれば、勇ましい言葉を連発するよりも、テロリストに”わが国ではやらないでね”とお願いしてくれた方がよほどありがたいと思うのですが、そういった気の利いた総理大臣や首相はいないものでしょうか。

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1 コメント

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Unknown (みんなのプロフィール)
2005-07-17 06:22:48
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