2月11日
この旅でずっと決めかねていたルートを決めなければならない時がやってきました。それは本日のルート。1つのオプションとしてはいつもどおりミャンマーとの国境沿いをツーリングした後チェンライへ戻るルート。もう一つは昨年帰国後考えたメーサイからメーサロンを経てファーンで1泊するルート。珍しくまじめに地図などを持って朝食を食べていたら、散歩に出ていた方々とも偶然出会って全員集合。皆さんは今までと違うルートに行きたい様子です。
こういう決断をする際、私は”流れ”を気にするタイプです。今回の場合、皆さんが早起きである事は一つの要因。ミャンマーとの国境沿いのルートはそれほど距離は長くないのですが、かつて参加者から”ローギア祭り”と呼ばれたアップダウンの激しいルートでローギアで走るため燃費も厳しく、速度も極端に遅くなります。あまりスタートが遅いと私自身も全く知らないファーンで宿探しするのが時間的に厳しくなるかもしれません。ところが今回皆さん早起きなのでこの点は流れはファーン行きを指しています。
それからもう一つ。3日前に訪れたチェンライ。最近定宿となっているYa Houseのオーナーが居れば、いつもの私の動き方を知っているので"帰りはいつ?"という話になって帰りもチェンライを外せなくなったのですが、今回、どういうわけか不在。これもファーン行きを指しています。
というわけでファーンへ向かう事に決定。私にとっても初めて訪れる町への旅です。
メーサイを出る際、ガソリンスタンドで給油しながら思い出したのはミャンマー国境沿いのルート上では食事の確保が難しい事。そこで、チョコレートを少し仕入れてメーサイを後にしました。
このルート上では何度か国境警備隊の検問を通過します。必ず"どこへ行く?”と尋ねられるのですが、英語はほぼ通じません。妙な誤解を招かないためにこちらも全く言葉がわからない事をアピールして、何も言われないうちにパスポートコピーを押し付けて通過していきます。
始めてこのルートを走った第二回の時に、英語ができるオフィサーから写真の撮影をしないように注意された軍のキャンプの前を通って、何気なく入り口を見ると、”Look out(展望台)”の看板が出ています。立ち寄ってみると、塹壕が張り巡らされた所に展望台が設置されていて、迷彩服を着た兵士が一人。そしてセルフサービスの無料コーヒーコーナーまであります。いつの間にか、ここは展望台へと変貌を遂げたようです。インスタントコーヒーを飲みながらしばらくミャンマー側を眺めた後、更に奥地へ進行します。
昨日までの道と違って、この道では分岐路に誰も居ない、つまり山の中の分岐に過ぎないことが多いので道に迷うと人に尋ねることができない場合が多いのです。ですから今日はまじめに、時々地図をチェックしながら進みます。
とあるT字路で、昨年はチェンライへ行くために左へ進んだのですが、地図を見る限り、ファーンへ向かう今年は右へ行くべきである様子。ここからいよいよ未知の領域へ突入です。皆さんにもその旨お話してしばらく進んでいくと、またまた分岐があります。地図の情報と、道路標識が私の中で上手く合いません。幸運なことにこの分岐には人が居たので教えてもらって進んでいる時、不思議な思いがよぎります。
どうやら、同じ分岐を昨年も走った記憶があります。
どうやら、昨年はどこかで道を間違って、そのまま気がつかないで目的地まで走れてしまっていて、今まで気がつかなかったようです。
山間部に張り付くように広がるメーサロンの町で昼食を摂ります。この町もはじめて訪れるため、峠の上が町の中心部かと思って峠の食堂で食事をしたのですが、先に進んでみたら町はその先に広がっていました。
皆さんのガソリン残量と地図上の次のガソリンスタンドの場所をチェック。メーサロンで給油しなくてもよいと判断して先へ。ファーンへ続く1089号線へ無事乗ってから給油を行いました。
メーアイを過ぎたあたりだったでしょうか。橋を渡った瞬間、私の記憶は20歳の自分へと巻き戻されました。初めての一人旅でタイを訪れ、トレッキングツアーに参加した私はこの橋の横で他の参加者やガイドと共に船を待った事があったのです。あの頃は未舗装だった道路は舗装され、町の規模も大きくなっていましたが、それでもあの時の面影がまだ町には残っています。
懐かしい思いと少しの興奮を感じながらファーンに到着です。
さて、宿探し。
私はいくつかの可能性を考えていました。まず、一番安易な可能性は、チェンコンのように町は小さくてメインロード沿いに容易にゲストハウスが発見できる可能性。次の可能性はメーサイのように妙なポン引きや密売人がうろうろしていて、それなりに英語も話すので聞き出せる可能性。更なる可能性は、どこかにインフォメーションがあって、正統派の情報が手に入る可能性。最後はバス停に客引きがいて情報を聞き出せる可能性。
ファーンに入ってみると、ここは大きな町で、ゲストハウスが沿道で発見できる可能性は感じませんでした。そこでポン引き、客引き、ツーリストインフォメーションのいずれも居そうなバスターミナルを探してたどり着きました。幸い、ここは大きなバザールも兼ねていたので、皆さんにはバザールで時間を過ごしてもらう事にして、私はバザールで客引き、ポン引き、ツーリストインフォメーションのいずれかが見つかるか探してみたのですが、見当たりません。
とりあえずコーヒーを買って、飲みながら歩いていると、バイクタクシーの運転手が話しかけてきました。といってもタイ語だけなので、身振り手振りでゲストハウスを探していると伝えると、今、我々が来た方を指差します。残念な事にその人とのコミュニケーションでは方角だけしか聞き出すことができませんでしたが、探すべき方向は決まったので、もう一度、自分だけバイクに乗って出かけてみます。こんなとき、スーパーカブはそのポテンシャルを遺憾なく発揮します。低速性能と身軽さは混雑する町中をキョロキョロしながらユックリ走るのに最適なのです。大型車ではこういう作業は気が重いでしょう。
ホテルの看板を見つけて入ってみます。料金を聞いてみるとそれなりに手軽。外国人旅行者が多く訪れるわけではないこの町ではゲストハウスは存在しないようですが、ホテルがゲストハウスと同じような値段、設備です。
ホテルは1軒見つけると同じ地域でいくつか見つける事ができる場合がほとんどです。最初に見つけた所で部屋も見せてもらってそれなりに納得だったのですが、戻ろうと思って走っていたらすぐ近くに他2軒のホテルを発見。少し迷ったのですが、ついでなのでそのうち1軒に入ってみると、やたらと明るい女将が出迎えてくれました。
バイクが部屋の前まで入れられる大きな中庭を持つ広々したホテルで、明るい女将の存在が決定打となって、ここに泊る事に決めました。
夕方になると、メインの通り沿いにこれでもかというほどの屋台が店開きを始めました。端から端まで見て歩いた後、情熱的な呼び込みの1軒で夕食をとっているうちにいつの間にかとっぷりと日も暮れて行ったのでありました。
この旅でずっと決めかねていたルートを決めなければならない時がやってきました。それは本日のルート。1つのオプションとしてはいつもどおりミャンマーとの国境沿いをツーリングした後チェンライへ戻るルート。もう一つは昨年帰国後考えたメーサイからメーサロンを経てファーンで1泊するルート。珍しくまじめに地図などを持って朝食を食べていたら、散歩に出ていた方々とも偶然出会って全員集合。皆さんは今までと違うルートに行きたい様子です。
こういう決断をする際、私は”流れ”を気にするタイプです。今回の場合、皆さんが早起きである事は一つの要因。ミャンマーとの国境沿いのルートはそれほど距離は長くないのですが、かつて参加者から”ローギア祭り”と呼ばれたアップダウンの激しいルートでローギアで走るため燃費も厳しく、速度も極端に遅くなります。あまりスタートが遅いと私自身も全く知らないファーンで宿探しするのが時間的に厳しくなるかもしれません。ところが今回皆さん早起きなのでこの点は流れはファーン行きを指しています。
それからもう一つ。3日前に訪れたチェンライ。最近定宿となっているYa Houseのオーナーが居れば、いつもの私の動き方を知っているので"帰りはいつ?"という話になって帰りもチェンライを外せなくなったのですが、今回、どういうわけか不在。これもファーン行きを指しています。
というわけでファーンへ向かう事に決定。私にとっても初めて訪れる町への旅です。
メーサイを出る際、ガソリンスタンドで給油しながら思い出したのはミャンマー国境沿いのルート上では食事の確保が難しい事。そこで、チョコレートを少し仕入れてメーサイを後にしました。
このルート上では何度か国境警備隊の検問を通過します。必ず"どこへ行く?”と尋ねられるのですが、英語はほぼ通じません。妙な誤解を招かないためにこちらも全く言葉がわからない事をアピールして、何も言われないうちにパスポートコピーを押し付けて通過していきます。
始めてこのルートを走った第二回の時に、英語ができるオフィサーから写真の撮影をしないように注意された軍のキャンプの前を通って、何気なく入り口を見ると、”Look out(展望台)”の看板が出ています。立ち寄ってみると、塹壕が張り巡らされた所に展望台が設置されていて、迷彩服を着た兵士が一人。そしてセルフサービスの無料コーヒーコーナーまであります。いつの間にか、ここは展望台へと変貌を遂げたようです。インスタントコーヒーを飲みながらしばらくミャンマー側を眺めた後、更に奥地へ進行します。
昨日までの道と違って、この道では分岐路に誰も居ない、つまり山の中の分岐に過ぎないことが多いので道に迷うと人に尋ねることができない場合が多いのです。ですから今日はまじめに、時々地図をチェックしながら進みます。
とあるT字路で、昨年はチェンライへ行くために左へ進んだのですが、地図を見る限り、ファーンへ向かう今年は右へ行くべきである様子。ここからいよいよ未知の領域へ突入です。皆さんにもその旨お話してしばらく進んでいくと、またまた分岐があります。地図の情報と、道路標識が私の中で上手く合いません。幸運なことにこの分岐には人が居たので教えてもらって進んでいる時、不思議な思いがよぎります。
どうやら、同じ分岐を昨年も走った記憶があります。
どうやら、昨年はどこかで道を間違って、そのまま気がつかないで目的地まで走れてしまっていて、今まで気がつかなかったようです。
山間部に張り付くように広がるメーサロンの町で昼食を摂ります。この町もはじめて訪れるため、峠の上が町の中心部かと思って峠の食堂で食事をしたのですが、先に進んでみたら町はその先に広がっていました。
皆さんのガソリン残量と地図上の次のガソリンスタンドの場所をチェック。メーサロンで給油しなくてもよいと判断して先へ。ファーンへ続く1089号線へ無事乗ってから給油を行いました。
メーアイを過ぎたあたりだったでしょうか。橋を渡った瞬間、私の記憶は20歳の自分へと巻き戻されました。初めての一人旅でタイを訪れ、トレッキングツアーに参加した私はこの橋の横で他の参加者やガイドと共に船を待った事があったのです。あの頃は未舗装だった道路は舗装され、町の規模も大きくなっていましたが、それでもあの時の面影がまだ町には残っています。
懐かしい思いと少しの興奮を感じながらファーンに到着です。
さて、宿探し。
私はいくつかの可能性を考えていました。まず、一番安易な可能性は、チェンコンのように町は小さくてメインロード沿いに容易にゲストハウスが発見できる可能性。次の可能性はメーサイのように妙なポン引きや密売人がうろうろしていて、それなりに英語も話すので聞き出せる可能性。更なる可能性は、どこかにインフォメーションがあって、正統派の情報が手に入る可能性。最後はバス停に客引きがいて情報を聞き出せる可能性。
ファーンに入ってみると、ここは大きな町で、ゲストハウスが沿道で発見できる可能性は感じませんでした。そこでポン引き、客引き、ツーリストインフォメーションのいずれも居そうなバスターミナルを探してたどり着きました。幸い、ここは大きなバザールも兼ねていたので、皆さんにはバザールで時間を過ごしてもらう事にして、私はバザールで客引き、ポン引き、ツーリストインフォメーションのいずれかが見つかるか探してみたのですが、見当たりません。
とりあえずコーヒーを買って、飲みながら歩いていると、バイクタクシーの運転手が話しかけてきました。といってもタイ語だけなので、身振り手振りでゲストハウスを探していると伝えると、今、我々が来た方を指差します。残念な事にその人とのコミュニケーションでは方角だけしか聞き出すことができませんでしたが、探すべき方向は決まったので、もう一度、自分だけバイクに乗って出かけてみます。こんなとき、スーパーカブはそのポテンシャルを遺憾なく発揮します。低速性能と身軽さは混雑する町中をキョロキョロしながらユックリ走るのに最適なのです。大型車ではこういう作業は気が重いでしょう。
ホテルの看板を見つけて入ってみます。料金を聞いてみるとそれなりに手軽。外国人旅行者が多く訪れるわけではないこの町ではゲストハウスは存在しないようですが、ホテルがゲストハウスと同じような値段、設備です。
ホテルは1軒見つけると同じ地域でいくつか見つける事ができる場合がほとんどです。最初に見つけた所で部屋も見せてもらってそれなりに納得だったのですが、戻ろうと思って走っていたらすぐ近くに他2軒のホテルを発見。少し迷ったのですが、ついでなのでそのうち1軒に入ってみると、やたらと明るい女将が出迎えてくれました。
バイクが部屋の前まで入れられる大きな中庭を持つ広々したホテルで、明るい女将の存在が決定打となって、ここに泊る事に決めました。
夕方になると、メインの通り沿いにこれでもかというほどの屋台が店開きを始めました。端から端まで見て歩いた後、情熱的な呼び込みの1軒で夕食をとっているうちにいつの間にかとっぷりと日も暮れて行ったのでありました。
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