宗教というと死後の世界観を中心に捉えられる事が多いように思いますし、実際、私も長い間、そのように捉えていました。
しかしよく考えてみると、たとえ紀元前500年の頃だとしても、人間にとって死後の世界だけが重大事でしょうか。むしろ、今、目の前にある問題や悩みの方が重大な出来事であったと考える方が自然ではないでしょうか。
私は宗教というのはむしろ現在、現世において人が幸福に暮らしていくための知恵であると考えています。多くの宗教に死後の世界観が盛り込まれているのは、現世における人間の不安の一つに"死んだらどうなるのだろう"という不安が共通してつきまとうからであって、その、"わからない"事に対する不安を"説明をつける"事によって取り除こうという試みなのだと思います。つまり現世における悩みの一つを取り除くためのもので、宗教全体の機能の中の一つにすぎないと考えます。
それでは人の幸福とは何でしょうか。各論になると人それぞれの幸福というのは違うわけですが、大枠で言えば、"不安なく過ごす"事ではないかと思うのです。
ある人は預金残高が増え続けないと不安で仕方がないかもしれませんし、ある人は他の人が持っているよりも良い物を持っていなければ不安かもしれません。ある人は病気で苦しむ事が不安で、ある人は自分の行った悪事がバレるのが不安で仕方がないのかもしれません。そういう不安を抱えている状態というのは、たとえどれほど財産があったとしても幸福とは呼び難いですし、逆に何にもないその日暮らしでも前に書いた"精霊の村"のような生活はシンプルで悩みも少なくて幸福と呼べるかもしれません。
これも以前触れた事がありますが、例えばキリスト教には懺悔という"システム"があります。自分自身の反省点を言葉に出して誰かに聞いてもらってスッキリするというシステム。その辺にいる、"親友"と勘違いしている友達に秘密を漏らすのとは違って、より秘匿性は高いですから安心して話せますね。この方法論は一人一人の悩みを社会全体で受けとめてあげようという社会全体での幸福追求を感じます。
私が最近、目にしておもしろいと思ったのはロビン ウイリアムズという方が書いた"Non Designer's Design Book"という本で、この本自体は印刷物やホームページなどのデザインの組み立ての考え方を解説した本なのですが、その冒頭部分に"ジョシュアツリーの悟り"という記述があります。内容的には、ある日、ある木の名前が"ジョシュアツリー"という名前だと判った途端に自分の周囲に、今までは1本も無い珍しい樹木だと思っていた樹木が実はいっぱい存在していて、名前が与えられた途端にそれが見えてきたという話なのですが、この話は仏教的と感じる部分があって"悟り"という翻訳がピッタリに感じられたのです。
仏教の場合、キリスト教よりもより内面に開放を求めます。皆さんも"四苦八苦"という言葉をご存知かと思いますが、これは仏教用語ですね。人の苦しみに生、老、病、死の人間として逃れる事ができない"四苦"という分類と、その他4つの逃れられるかもしれない苦しみに名称を与えて分類したもので、人の悩みや苦しみはここに全てあてはまるという事です。
生老病死に続く八苦とは....私も記憶があいまいなのでWikipediaをカンニングしてみました。
愛別離苦:愛する者と別れなければならない苦しみ。
怨憎会苦:憎い相手と合わなければならない苦しみ。
五蘊盛苦:心身の機能が活発なため起こる苦しみ。
求不得苦:欲しいものが手に入らない苦しみ。
4月から就職した人や、配置転換になった人の中にはイヤな上司の元に配属されて毎日憂鬱な人もいるでしょう。そういう状態は"怨憎会苦"ですね。単身赴任になって家族と別居の苦しみは愛別離苦。
ゴールデンウィークが近づいているにも関わらずまだ上手く航空券の手配が完了していない私は"求不得苦"。もっと売り上げをあげたいのも"求不得苦"。
さて、これら四苦八苦に対してそれぞれの解消法が仏教の教えにはあるわけですが、それは修行を積んだ人間ではない私には解説できるレベルの事ではありません。ただ、この事を知って、ジョシュアツリーの悟りを信じるのであればゲームをやってみましょう。
自分が今、悩んでいる事をこの四苦八苦がいかに見事にあてはまるかを実験してみてくださいな。
たいてい、見事にあてはまると思います。その事に気がついたら仏教の歴史に思いを馳せましょう。紀元前500年の思想です。つまり今、我々が悩んでいるような事、今から2500年前にも同じように悩んでいた人類がいたのであるという事に思いあたるでしょう。そう思うだけで少し気が楽になりませんか。
人間に一番多い悩みは、"自分だけが苦しんでいる"という悩みではないでしょうか。これはどの苦でしょうか。
正解:五蘊盛苦かな。
しかしよく考えてみると、たとえ紀元前500年の頃だとしても、人間にとって死後の世界だけが重大事でしょうか。むしろ、今、目の前にある問題や悩みの方が重大な出来事であったと考える方が自然ではないでしょうか。
私は宗教というのはむしろ現在、現世において人が幸福に暮らしていくための知恵であると考えています。多くの宗教に死後の世界観が盛り込まれているのは、現世における人間の不安の一つに"死んだらどうなるのだろう"という不安が共通してつきまとうからであって、その、"わからない"事に対する不安を"説明をつける"事によって取り除こうという試みなのだと思います。つまり現世における悩みの一つを取り除くためのもので、宗教全体の機能の中の一つにすぎないと考えます。
それでは人の幸福とは何でしょうか。各論になると人それぞれの幸福というのは違うわけですが、大枠で言えば、"不安なく過ごす"事ではないかと思うのです。
ある人は預金残高が増え続けないと不安で仕方がないかもしれませんし、ある人は他の人が持っているよりも良い物を持っていなければ不安かもしれません。ある人は病気で苦しむ事が不安で、ある人は自分の行った悪事がバレるのが不安で仕方がないのかもしれません。そういう不安を抱えている状態というのは、たとえどれほど財産があったとしても幸福とは呼び難いですし、逆に何にもないその日暮らしでも前に書いた"精霊の村"のような生活はシンプルで悩みも少なくて幸福と呼べるかもしれません。
これも以前触れた事がありますが、例えばキリスト教には懺悔という"システム"があります。自分自身の反省点を言葉に出して誰かに聞いてもらってスッキリするというシステム。その辺にいる、"親友"と勘違いしている友達に秘密を漏らすのとは違って、より秘匿性は高いですから安心して話せますね。この方法論は一人一人の悩みを社会全体で受けとめてあげようという社会全体での幸福追求を感じます。
私が最近、目にしておもしろいと思ったのはロビン ウイリアムズという方が書いた"Non Designer's Design Book"という本で、この本自体は印刷物やホームページなどのデザインの組み立ての考え方を解説した本なのですが、その冒頭部分に"ジョシュアツリーの悟り"という記述があります。内容的には、ある日、ある木の名前が"ジョシュアツリー"という名前だと判った途端に自分の周囲に、今までは1本も無い珍しい樹木だと思っていた樹木が実はいっぱい存在していて、名前が与えられた途端にそれが見えてきたという話なのですが、この話は仏教的と感じる部分があって"悟り"という翻訳がピッタリに感じられたのです。
仏教の場合、キリスト教よりもより内面に開放を求めます。皆さんも"四苦八苦"という言葉をご存知かと思いますが、これは仏教用語ですね。人の苦しみに生、老、病、死の人間として逃れる事ができない"四苦"という分類と、その他4つの逃れられるかもしれない苦しみに名称を与えて分類したもので、人の悩みや苦しみはここに全てあてはまるという事です。
生老病死に続く八苦とは....私も記憶があいまいなのでWikipediaをカンニングしてみました。
愛別離苦:愛する者と別れなければならない苦しみ。
怨憎会苦:憎い相手と合わなければならない苦しみ。
五蘊盛苦:心身の機能が活発なため起こる苦しみ。
求不得苦:欲しいものが手に入らない苦しみ。
4月から就職した人や、配置転換になった人の中にはイヤな上司の元に配属されて毎日憂鬱な人もいるでしょう。そういう状態は"怨憎会苦"ですね。単身赴任になって家族と別居の苦しみは愛別離苦。
ゴールデンウィークが近づいているにも関わらずまだ上手く航空券の手配が完了していない私は"求不得苦"。もっと売り上げをあげたいのも"求不得苦"。
さて、これら四苦八苦に対してそれぞれの解消法が仏教の教えにはあるわけですが、それは修行を積んだ人間ではない私には解説できるレベルの事ではありません。ただ、この事を知って、ジョシュアツリーの悟りを信じるのであればゲームをやってみましょう。
自分が今、悩んでいる事をこの四苦八苦がいかに見事にあてはまるかを実験してみてくださいな。
たいてい、見事にあてはまると思います。その事に気がついたら仏教の歴史に思いを馳せましょう。紀元前500年の思想です。つまり今、我々が悩んでいるような事、今から2500年前にも同じように悩んでいた人類がいたのであるという事に思いあたるでしょう。そう思うだけで少し気が楽になりませんか。
人間に一番多い悩みは、"自分だけが苦しんでいる"という悩みではないでしょうか。これはどの苦でしょうか。
正解:五蘊盛苦かな。
>私は宗教というのはむしろ現在、現世において人が幸福に暮らしていくための知恵であると考えています
なるほど・・・。本当にそうですね。
その他、楽しく(失礼)拝見致しました。
いずれも含蓄があり、言いえて妙ですね。
またお邪魔します。有難うございました。