再び30年近く前の旅の風景となります。
その頃のパキスタンでは1日に数回は決まって停電がありました。私が幼い頃は日本でも雷が鳴ったりすると停電になることもありましたので電気が止まる事はそれほど驚きではありませんでしたが日本の便利な生活に慣れてしまったその頃の私にとってはやはり不便でした。何が不便と言って、とても気温が高い国なのに停電になると扇風機が止まってしまい、灼熱のときがやってきます。あまりに暑くて眠ることができず、トイレの水を床に流して涼を取ったことすらありました。
少し話がそれましたので軌道修正。
カラチからバイクで旅を始めて1ヶ月ほどが過ぎた頃、私は体調を崩してしまいました。下痢が続いてどうしても止まらずそれが怖くて食事もなかなか口にできなかったのです。少し調子の良い日に何かを口にすると即座にトイレで、食べたままのものが排泄されるような日が続きました。
カラコルム山脈は標高の高いエリアなのでラワルピンディやカラチのような酷暑はありません。少し気候の良いエリアでしばらく体を休める事にしたのです。
ギルギットには空港もあり、天候が良い時だけ(当時)ですがプロペラの小型旅客機が発着しているカラコルム山脈では随一の大きな街。ここの町外れのギルギット・ツーリスト・コテージという安宿が私の休憩場所となっていました。
最初はドミトリールームに1ベッド借りていたのですが、長期滞在ともなると宿泊代を節約したくなります。最初はガラガラだったこの安宿も下界が暑くなるにつれてラワルピンディやカラチや更に遠くインドから旅人が暑さを逃れて避難しはじめたのか、混み始めてきたのです。バイクにテントを積んでいた私は中庭でキャンプさせてもらう交渉に成功。もちろん有料ですが、シャワーを使わせてくれます。部屋が混み始めた宿側にとっても1ベッド空けてくれる良い話だったのだと思います。
中国との国境のクンジェラブ峠へ行ったり、カシミールのスカルドゥへ行ったりしながらも、基本的にこの場所に1ヶ月ほど居着いておりました。
この宿では夕食を取ることができます。中庭に長椅子と長テーブルを出して、キッチンで調理したチキンカレーとチャパティの夕食が供されるのです。宿代には込みではないので私は外へ食べに行くこともありましたし、中庭で自前のガソリンコンロを使って料理したり、宿のキッチンを借りて料理させてもらったりしていましたが、何分、食欲のない日も多かったのでした。
さて、停電の多い国の事。日中の気温は結構上がるのです。つまりチキンカレーの”チキン”は夕方まで冷蔵庫で保管できるわけではありません。私達が当たり前に行う”スーパーで買ってきて冷蔵庫に入れておく”という行動はほぼ役に立たないわけです。
宿の従業員は週に1度、バザールで鶏を7羽買ってきます。断じて鶏肉ではありません。鶏です。そして、それを中庭に放ちます。
私がキャンプしている中庭で、地面から何かをついばみながら鶏達は我が物顔で闊歩します。そして夕方になると、宿のスタッフがそのうち1羽を捕獲します。鶏を外の水場へ持っていくとドラム缶か何かから鉄板を切り出したと思われる手製のナイフで捌き始めるのです。これが今夜のチキンカレーになります。素晴らしくオーガニックで素晴らしく新鮮なチキンが使われているわけです。
普段の生活では肉になった姿でしか知らない鶏が、鶏という生き物から鶏肉という食材に変えられ、そしてチキンカレーという料理に変えられていく一連の流れはある見方をすれば残酷ではありますが、私にとっては興味深くもあって、何度もその作業を見学していたものです。
彼らの手製のナイフは切れ味があまり良くなくて鶏が動かなくなるまでに何度も何度も切りつけるのです。それを見ていて料理する側の事もされる側の事も可哀想に思えた私はある日自分の装備の中から折りたたみのナイフを貸し出しました。その切れ味に満足したようで、翌日から夕方になると宿のスタッフにナイフを貸すのが日課となりました。
その頃のパキスタンでは1日に数回は決まって停電がありました。私が幼い頃は日本でも雷が鳴ったりすると停電になることもありましたので電気が止まる事はそれほど驚きではありませんでしたが日本の便利な生活に慣れてしまったその頃の私にとってはやはり不便でした。何が不便と言って、とても気温が高い国なのに停電になると扇風機が止まってしまい、灼熱のときがやってきます。あまりに暑くて眠ることができず、トイレの水を床に流して涼を取ったことすらありました。
少し話がそれましたので軌道修正。
カラチからバイクで旅を始めて1ヶ月ほどが過ぎた頃、私は体調を崩してしまいました。下痢が続いてどうしても止まらずそれが怖くて食事もなかなか口にできなかったのです。少し調子の良い日に何かを口にすると即座にトイレで、食べたままのものが排泄されるような日が続きました。
カラコルム山脈は標高の高いエリアなのでラワルピンディやカラチのような酷暑はありません。少し気候の良いエリアでしばらく体を休める事にしたのです。
ギルギットには空港もあり、天候が良い時だけ(当時)ですがプロペラの小型旅客機が発着しているカラコルム山脈では随一の大きな街。ここの町外れのギルギット・ツーリスト・コテージという安宿が私の休憩場所となっていました。
最初はドミトリールームに1ベッド借りていたのですが、長期滞在ともなると宿泊代を節約したくなります。最初はガラガラだったこの安宿も下界が暑くなるにつれてラワルピンディやカラチや更に遠くインドから旅人が暑さを逃れて避難しはじめたのか、混み始めてきたのです。バイクにテントを積んでいた私は中庭でキャンプさせてもらう交渉に成功。もちろん有料ですが、シャワーを使わせてくれます。部屋が混み始めた宿側にとっても1ベッド空けてくれる良い話だったのだと思います。
中国との国境のクンジェラブ峠へ行ったり、カシミールのスカルドゥへ行ったりしながらも、基本的にこの場所に1ヶ月ほど居着いておりました。
この宿では夕食を取ることができます。中庭に長椅子と長テーブルを出して、キッチンで調理したチキンカレーとチャパティの夕食が供されるのです。宿代には込みではないので私は外へ食べに行くこともありましたし、中庭で自前のガソリンコンロを使って料理したり、宿のキッチンを借りて料理させてもらったりしていましたが、何分、食欲のない日も多かったのでした。
さて、停電の多い国の事。日中の気温は結構上がるのです。つまりチキンカレーの”チキン”は夕方まで冷蔵庫で保管できるわけではありません。私達が当たり前に行う”スーパーで買ってきて冷蔵庫に入れておく”という行動はほぼ役に立たないわけです。
宿の従業員は週に1度、バザールで鶏を7羽買ってきます。断じて鶏肉ではありません。鶏です。そして、それを中庭に放ちます。
私がキャンプしている中庭で、地面から何かをついばみながら鶏達は我が物顔で闊歩します。そして夕方になると、宿のスタッフがそのうち1羽を捕獲します。鶏を外の水場へ持っていくとドラム缶か何かから鉄板を切り出したと思われる手製のナイフで捌き始めるのです。これが今夜のチキンカレーになります。素晴らしくオーガニックで素晴らしく新鮮なチキンが使われているわけです。
普段の生活では肉になった姿でしか知らない鶏が、鶏という生き物から鶏肉という食材に変えられ、そしてチキンカレーという料理に変えられていく一連の流れはある見方をすれば残酷ではありますが、私にとっては興味深くもあって、何度もその作業を見学していたものです。
彼らの手製のナイフは切れ味があまり良くなくて鶏が動かなくなるまでに何度も何度も切りつけるのです。それを見ていて料理する側の事もされる側の事も可哀想に思えた私はある日自分の装備の中から折りたたみのナイフを貸し出しました。その切れ味に満足したようで、翌日から夕方になると宿のスタッフにナイフを貸すのが日課となりました。
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