旅のウンチク

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仏教は無気力?

2007年11月03日 | 宗教
昨日、ある人と雑談をしていて、ブッダの思想についての話になりました。そう考えると、なかなか高尚な会話を日々しているようにも思えますが、そういうわけではありません。

私自身のご都合主義的仏教解釈では、当たり前からの脱出でも書いたように、ブッダの思想のエッセンスは"あたり前なものは何もない"という事、あるいは 物事には特定の形や絶対的という事が無いという事に集約されていると考えています。

この思想をベースにすると、"それじゃあ、何事にもこだわりを持ったり、必死になったりしてもしょうがないという事になって、消極的で無気力な社会に向かっていくのではないか"という話になったのです。

実は、自分が仏教に興味を抱いた時にも同じ疑問を感じたものです。この点とどう折れあいをつけられるのかを考えた時代がありました。そして行きついた結論は、もともとの理解が少しずれているのではないかという事でした。

例えば"明日"という物の存在もあたりまえではないのだから、今日を精一杯生きないと明日が来なかったり、明日が今日とはずいぶん違った形でやってきた時に後悔し、悩み苦しむ事になるのだという事であると考えました。

それから、特定の形や絶対的な事がないから、物事を捉える時に色々な角度から見る事ができるように努力する事、そのために体験を積む事が結局、自分の予想外の出来事(あたりまえで無い事)が起こった時に苦しむ事から開放してくれるという考え方だと捉えるべきではないかと考えました。そして、それが"道を求める"という事なのではないかと思ったのでした。

ブッダの思想は決して消極的なムードを生み出すものではなく、明日に思い悩む事なく、特定の考え方に捉われる事もなく、今の一瞬を精一杯生きていこうという捉え方をすべきものだというのが私の結論です。


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