パキスタン北部、中国との国境へ向かうカラコルムハイウェイ沿いにギルギットという町があります。ここを更に進んでクンジェラブ峠を越えるとそこは中国。1997年の6月、私は旅の途中で体調をとことん悪くしてギルギットで体を休めておりました。ここを起点に中国国境やカシミールへの旅をした後、体調も回復したので、そろそろギルギットを発とうと考えて選んだルートはシャンドゥール峠を越えてチトラルへ向かう物資輸送用の . . . 本文を読む
例えば海外旅行の荷物について。私の初めての海外旅行は過去にも書いたようにヨーロッパへのパッケージツアーでの短期語学研修だったわけですが、その際には旅行会社の添乗員の方や学校の先生方から"持っていった方が良い"と言われた物を、わけもわらず揃えて持っていったものです。
機内への持ち込み手荷物の中には航空機内で過ごすためのスリッパや初日に荷物が着かなかった時の為の1日分程度の着替えなど、それなりに" . . . 本文を読む
今となっては町の名前も忘れてしまいましたが、イランのとある町。その時、私は珍しく自分の行くべき宿泊先を決めていたのでした。目指したのは"モーテル サファイエ"。特に拘りがあったわけではないのですが、逆ルートでやってきて私とすれちがった日本人の旅人から得た宿泊先情報でありました。
町に入ってすぐに声をかけてきた車のドライバーに"モーテルサファイエはどこ?"と聞くと連れていってくれたそのモーテルは . . . 本文を読む
昨日、ある人と雑談をしていて、ブッダの思想についての話になりました。そう考えると、なかなか高尚な会話を日々しているようにも思えますが、そういうわけではありません。
私自身のご都合主義的仏教解釈では、当たり前からの脱出でも書いたように、ブッダの思想のエッセンスは"あたり前なものは何もない"という事、あるいは 物事には特定の形や絶対的という事が無いという事に集約されていると考えています。
この . . . 本文を読む
子供の頃、テレビのニュースというと、アナウンサーが感情の無い声で淡々と原稿を読み上げるものであって、感情と本能で生きている子供だった私にとっては、どうして大人はこんな面白くもない番組を見るのか不思議でならなかったものです。もちろん、ほとんどが文字で埋められた新聞についても同じ事を感じていました。
最近、そんな事を思い出しました。というのも、最近のニュース番組は視聴者に特定の感情的反応を強要 . . . 本文を読む