江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「西遊見聞随筆」でのカッパ、カワタロウの記述

2024-11-16 21:05:28 | カッパ

「西遊見聞随筆」でのカッパ、カワタロウの記述

                                                                           2024.11

佐用郡(兵庫県佐用町)のさる御家中より、骨継ぎの妙薬が売り出されている。大変よく効く薬である。
そして、世に河虎(かっぱ)より伝授された、と信じられている。

その謂われは、このようである。
寛永の頃とか伝えられている。
七月下旬の事であった。残暑が強く、馬も厩のなかでは、暑さでけだるそうであった。それで、野飼のために、河辺へ出し、木陰の小さい柳に繋いでおいた。
ところが、馬は、何かはっきりしないような物を、引きずり帰って来て、厩にー散に走り入った。
仲間(ちゅうげん)は、何事だろうか、と行って見れば、片隅に猿のようなるものが、手綱を身にまとってかがんでいた。馬は、向うの方で、あえぎながら息をしていたのを、柱に繋いだ。そして、彼のものを引出し、庭の柿の木に縛り付けてよくよく見れば、猿ではなかった。頭上に少し窪みがあり、髪の毛は、赤松葉のようであって、大さは猿くらいであった。これは、うわさに聞いていた河虎(かっぱ)であるらしい。
みなが、話をしている最中に、主人が帰ってきて、事の子細を聞いた。
おのれ、憎い奴め。この川筋で、折々人が失せるは、お前の仕業だろう。
なぷり殺しにしてやろう、と大いに眼をいからし、脇差しを抜いて、右の手を打落した。
河虎(かっぱ)は、涙をほろほろと流した。
そして、こう言った。
「私は、今日、馬を淵へ曳き入れようとして、誤って引きずられ来て、この様な憂き目あいました。命を助けて下さい。今より御一門は、言うに及ばず当村の衆へ、少しも手を出しません。」と。
主人は、「その方を殺しても、手柄にもならないから、免してやろう。証文を書け・」と言った。
河虎(かっぱ)は、答えて、
「もともと、字は書けません。その上、手もありません。おゆるし下さい。
御慈悲に、先刻切り落とされた手も御返し下され。」と言った。
主人は、
「切られた手を返したとしても、継ぐ事は出来ないだろう。
このまま、ここに置いて、河童を捕まえた証拠としよう。」と言った。

河童は。頭を下げて、「是非とも御返し下さい。帰ってから、手を元のように継ぐ事が出来ます。」
と言った。
主人は、「その薬方は、自分で調合するのか?」
と問いただした。
「その通りです。」と河童は言った。
「それなら、手を返してやろう。
その代わりに、その薬方を、我に伝えよ。」
と言ったので、
「命が助かれば、安い事です。」
といって、人払いをして、密(ひそか)に秘薬を伝えれば、主人は、しっかりと書き留めて、河童に手を返した。
河虎(かっぱ)は、川へ帰らせたが、その後、その所では、河童に人が取られることもなくなった。

河童の薬方は、大変効果があって、子孫にも伝えられた、
この河童の薬方の由来を聞いたので、書き留めた。

「西遊見聞随筆」広文庫より

 


「信濃奇談」でのカッパ、カワタロウの記述

2024-11-15 01:01:57 | カッパ

「信濃奇談」でのカッパ、カワタロウの記述

                                       2024.11

羽場村(長野県辰野町)に、天正(1573~1593年)の頃、柴河内と言う人が住んでいた。
或る時、馬を野飼にして天竜川のあたりに放しておいた。
それを、河童と言うものが、この馬を取ろうと手綱をつかんで引きずろうとしたが、
思うように引けなくて、馬は、あちらこちらへと動くので、かの河童は、繩を自分の腰に巻きつけて、川へ引き入れようとした。しかし、馬は、引きづられまいと、抵抗した。河童は、このままでは、かなわないと思ったのであろう。かの手繩をだんだんに自分の身にまとい付けて、力のあらんかぎり、争い、引きあった。もう少しで、川の水の中へ引き入れたら、いかに大きな馬であっても、とってしまえるであろう、と争いつづけた。そのうちに、時うつり日がくれた。
小(かっぱ)は大(馬)には、かないがたく、終に馬は、走り出して、自分の家へ走り帰った、
河童は、繩をいく重も身に巻き付けていたので、解くいとまなくて、ひかれて来た。その様子を、人々は、走って見に来て、「あなめづらし希有の事哉」、と集まってきて、河童を厳しくしばり繋いで、厩(うまや)の柱にくくりつけた。
その家の主は、仁心ある人であったので、無益に河童を殺すも、さすがに憐れんで、縄を解いて、放してやった。

その後、その恩を返そうとしたのであろうか、川魚などを、その家の戸ロにおいてあることが、度々あった、と小平物語に見える。
今も猶、里老は、語り伝えている。

近頃でも、河童が、小児などを取ることが多くある。
河童と書いてカッパと呼ぶのは、カワッパの略である。

「本草綱目」の渓鬼蟲の附録に、水虎と言うのがあるが、この類であろうか、と貝原翁(貝原益軒)は言っている。
私が推察するに、これは、水獺(かわうそ)の老いたるものでは、なかろうか?
貝原翁、又言う、淮南子(えなんじ)に魍魎(もうりょう)状、三歳の小児の如し。赤黒色・赤目・長耳・美髯。
左伝注疏に、魍魎は川沢の神なりと見えるが、河童に似ている、云々。
 
「信濃奇談」広文庫より        

 


「淡路名所図会」でのカッパ、カワタロウの記述 

2024-11-14 20:59:34 | カッパ

「淡路名所図会」でのカッパ、カワタロウの記述 

                                          2024.11

伝説に、野口氏がここの城主であった時の話がある。
どこかの川辺に農馬を繋いていた時、河童が一人の法師に化けて、馬を水底に引き入れようと、手綱をたぐり持って、手を肛門に入れて  胆をつかみ出そうとした。
馬は驚いて駈け出した。
河童は手にまきつけていた綱をはずそうとしたが、馬の勢いが甚だしかったので、出来なかった。引きずられながら伊勢宮の境内に来た。お城に近い所であったので、往来の武士や商人がす早く河童を捕えた。
縛って、罪を責め殺そうとした。
河童は、手を合せて繰り返し、詫び言を言ったので、命だけは、助けてあげた。
それ以来、この郷の人や牛馬などには害を与えない、と固く約束させて、河童をゆるした。

「淡路名所図会」広文庫より


「日本山海名物図会」でのカッパ、カワタロウの記述 

2024-11-13 20:57:15 | カッパ

「日本山海名物図会」でのカッパ、カワタロウの記述 

                                                           2024.11

姿は、五六歳の小児のようである。全身に毛があり、
猿に似て眼がするどい。
いつも、海辺に出て相撲を取る。
人を恐れることがない。しかし、人が近くに寄れば、水中に飛び入る。
時としては、人にまとわりついて水中へ引き入れてその人を殺す事がある。
河太郎と相撲を取った人は、たとえ勝っても正気を失ない、大病になると言う。
シキミの抹香水を飲ませば、正気を取り戻す、と言う。
河太郎は豊後の國に多い。その外、九州の各地にいる。
関東に多く、関東では河童と言う。

「日本山海名物図会」広文庫より