江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

胡瓜をカッパと呼ぶ  「さへずり草 松の落ち葉」

2025-01-23 20:49:58 | カッパ

胡瓜をカッパと呼ぶ  「さへずり草 松の落ち葉」

                      2025.1.23

今、俗に胡瓜を食べ始める時期に、姓名などを書いて、川の水に投じる。
これは、カッパ(河伯)におもねるの意味である。
実に、カッパは胡瓜を好むからであろう。
それで、又世俗が、胡瓜に、カッパの名をつけたのも、面白いことである。

なお、また胡瓜を祇園の神に献上すること等もあって、河童の事を、「かっぱ天王」などとも言う。
尊い神様(天王は、仏教の守護神)に、いやしい河童の名をつけている。
俗のうつり言葉(流行語)は、今に始まったことではないが、畏れ多いこと甚だしい。

訳者注:カッパ巻きも そう。

 

「さへずり草 松の落ち葉」  広文庫より


水虎の名義 「さへずり草 松の落ち葉」

2025-01-22 20:46:21 | カッパ

水虎の名義 「さへずり草 松の落ち葉」

               2025.1.22

上記の水虎を所蔵している人の仕えている主の治めている肥後国の熊本にては、土地の人は、「ガワッパ」と呼ぶそうである。
按ずるに、「がわっぱ」、「カッパ」共に「川わっぱ」の中略であって、正しく言えば「川童」の訛(なまり)であろう。
又「川太郎」と呼ぶのは、こう言うことである。すべて物の魁(かい:さきがけ)なるを太郎と呼ぶのは、我が国の一般のことある。水属の物が大変に多い中に、この物はー種の怪物であって、その妖しいこと他の物にまさっている。
それで、「川太郎」の名があるのであろう。
又、因幡(鳥取県)の土地の人は「川小坊主」と言い、伊勢(三重県)の白子の土地の人が「川原小僧」と言うのも、又「川太郎」と同じ意である。
肥州佐賀にて「川僧」と言うのは、小の文字を略したもので、ともに同意である。
又、紀伊(和歌山県)、土佐(高知県)、長門(山口県)萩などにて「エンコウ」と呼ぶのは猿に似ている由の名である。
出羽庄内(山形県)では、「カワダロウ」、播磨(兵庫県)姫路にて「ガアタロウ」、土佐(高知県)では、又「カダロウ」などと呼ぶのは、ともに川太郎の訛である。
近江(滋賀県)彦根では、「がわた」、越後柴田にて「かわだ」などと言うのは、又川太郎の下を略したものであろう。越中にて「がわら」、薩摩にて「がわろ」などと呼ぶのも、又「太郎」の訛(なまり)や略である。
山城(京都市)、摂津(大阪、兵庫の一部)及び阿波(徳島県)、又筑州福岡では、「川太郎」と呼んでいるのを正式の名とすべきであろう。
又、出羽(山形県)久保田にて「カッパア」、肥前島原にて「がわっぱ」、日向(ひゅうが:宮崎県)及び安芸広島、又甲斐(山梨県)等にて「カワッパ」などと言うのは、ともに「カッパ」と同じく「川童」の訛である。
又、備前岡山、昨州(岡山県)津山にて「ゴンゴウ」と言っている。このもの、カッパは、もともと角力(すもう)を好んでいると聞いている。金剛(金剛力士:仏教の守護神)から来た言葉であろう。
又、能登にて「ミヅシ」と言うのは、尾州(愛知県)にて「ヌシ」と言うのと同意であって、水主の意味であろう。
又、豊州(豊前と豊後:主に大分県)府内にて「川のトノ」と言うのは、狐を「夜のトノ」と言うのと同意である。河童の妖を畏れて言う名でもあろう。
日向薩摩などにて一名を水神と言うのも、又おそれ崇(あがめ)る意であろう。
又、越中富山にて「ガメ」と言うのは、和名抄に鼈(すっぽん)は加波加米(かわかめ)と見えているが、上の加波(かわ)を略したものであろう。
又、松前(北海道南部)にて一名「コマヒキ」と呼ぶのは、このものがその妖力をもって牛や馬などをだまして、水中に引き入れる等の事があって、それにちなんだ名でもあろうか。
さて、紅毛(こうもう:オランダ)の言葉では、「トロンペイタ」と呼んでいる。

今、その名義について考察する事は出来ない。
さて、漢土(かんど:中国)にては、水虎と書いているが、水にての虎と言うことで、この川太郎とその意味がよく符合している。

「さへずり草 松の落ち葉」 広文庫より

 

 


双頭の河童 「さへずり草 松の落ち葉」

2025-01-21 00:00:00 | カッパ

双頭の河童 「さへずり草 松の落ち葉」

           2025.1.21

水無月の八日、弘化三年に芝口橋のもとにある一商家にて、珍らしい物を見た。
顔かたちは、猿を陰乾(ほしがため)にした物に似ていた。身長は三尺ばかりもあったろうか。特に珍らしいのは、頭が二つ並んでいた。そこの主人について聞くに、
「これは、細川侯の藩士の内田某より置いていかれたもので、水虎を陰乾にしたものです。」と言った。見物人が多く、その上、箱の中の銅網(かなあみ)の中に有ったので、よく見る事が出来なかった。それで、その真偽は知ることが出来なかった。
このものは、九州には特に多くて、かつ坂本氏の鑑定と言う「水虎十二品」の図説中、寛永中に豊後国(大分県)肥田にて獲えたと言う物に大体同じであった。
又、豊筑の産のは、人の形で猿に似ていると言うのにも合っている。
歯は上下四枚、奥歯左右に二枚あると言うのにも違わなかった。しかし、頭が二つあるのは大変珍しい。

 


河童の種々のありさま   「三養雑記」 

2025-01-20 20:40:58 | カッパ

河童の種々のありさま   「三養雑記」

             2025.1.20

水虎、俗に「河太郎」、また「かっぱ」と言う。江戸にては川水に浴する童等が、時としてかの河童に、水に引き入れられる等と言うのを聞くが、大変に稀であって、その河童と言うものをはっきりと見た者はない。

西国では、所によっては、水辺などにて常に見ることあるそうである。怪をなすも狐狸とは、違うものである。

私自身が、しかと聞いたのを一つ二つあげてみよう。
畠の茄子―つ一つに歯がたが三四づつ、のこらずついていたことがあった、とその畠のぬしより聞いたことがある。

仇をなすこと、執念深いこと。
筑紫での仇(かたき)を、江戸にまで来て晴らそうとしたこと。その怪異についても聞いた事がある。、
   → https://blog.goo.ne.jp/edo-yokai/e/9839525e99f9f2e3d0f6861bf1d02a92  を参照
     「動物界霊異誌 河童その6 目に見えない河童と戦う」 

このカッパの写生図(寫真)として見たのは、背腹ともに鼈(スッポン)の甲のようなものがあって、手足首の様子は、鼈に大変よく似ている。
世人が、カッパは、スッポンの年経たるものである、と言うのもうなづけることである。


越後の国(新潟県)蠣崎のほとりにての事だそうだ。

ある夏のころ、農家の子供が家の内であそんでいると、友だちの子供が来て、
「河辺に行って、水あびして遊ぼう。」と誘って行った。
しかし、その誘いに来た子供の親が、程なく、その農家に来たので、農家の主が、
「今すこし前、あんたの息子が遊びに来たよ。」
と言うと、
「いや、せがれは風邪気味なので、今朝から家で寝ているよ。」
それで、大変に怪しいことであると、言いあったそうである。
後で聞けば、カッパが子供に化けて、誘いにきたのだろう、と言う。

また、上総国にもこのような事があった。

ある家の子供をその友の達の子供が来て、「川辺で遊ぼう」と呼びに来た。
それで、その母親が、「川辺に行くのなら、災難よけのまじないとして、仏壇に供えてある飯を食って行け」と言った。
それで、友達の子供は、「そんならいやだ。」と言いつつ走り逃げて行ったそうである。
これもカッパではなかろうか?先祖まつりは、厚くすべきことだ、と言ったそうである。
(訳者注:仏壇に供えたご飯には、魔除けの力があるとされていた。)
 
「三養雑記」 広文庫より


河童を神として奉る  「甲子夜話」

2025-01-19 20:36:58 | カッパ

河童を神として奉る  「甲子夜話」

          2025.1.19

先年、領国(平戸藩)に怪しい絵のあるお札が到来した。
後で思い出してこれを探し出そうとしたが、見つからなかった。

最近(乙酉:きのととり:1825年)ふと、文箱よりその版画が出てきた。
この図に小記を添える。
拙い分ではあるが、その大意を述べた。


「訓蒙図彙」には、こうある。、
川太郎は、水中に有る時は小児の如くして、身長は金(?)尺八寸より一尺二寸あり。
「本草綱目」には、水虎河伯とある。
出雲の国では、川子大明神と言う。豊後の国(大分県)では、川太郎、山城の国(京都府)では、山太郎、筑後の国(福岡県)では、水天宮と言う。
九州では、川童子というが、これは恩返しの福を授けたことによって福太郎とも言う。

そもそもの由来は、こうである。
相州(相模:神奈川)金沢村の漁師の重右衛門の家に持ち伝へてある箱に、水難疱瘡の守りと記してあった。
そのまま、家内に祭っておいてあった。

享和元年五月十五日夜、重右衛門の姉がこんな夢をみた。
夢の中に童子が来て、
「我れは、この家に年久しく祭られているが、忘れられている。願わくは、我がために一社を建ててくれよ。
そうすれば、災難、疱瘡、麻疹の守神として擁護をしようぞ。」
と言った。そして、たちまちに夢は、醒めた。
姉は不思議に思い、親類に告げた。皆集って、共に箱を開き見ると、異形のものがあった。
顔は猿のようで、四肢に水かきがあり、頭には、凹んでいる所があった。
そして、夢のお告げの故を以って、福太郎と称した。

その後、又某侯の求めで、その屋敷に出したが、某侯の所にも同じ物があった
同じように夢のお告げにより、水神として祭った。江戸と、その領国においても、しばしば霊験があるそうだ。
又、こうも言う。今その社を建立したのによって水神と唱えている。
信心のある人々は、このお札を十二銭で買う。

 南八丁堀二丁川自身番向  丸屋久七
又、この後に図を附す。(略)
これは、私(著者)ではない他の人の添えたものであう。これも又ここに載せる。  (略)


総じて川童(カッパ)の霊あることは、領地の村では、しばしばあった。
予も先年、領地の境の村にて、この河童の手と言う物を見た。
大変猿の手に似て、指の節が四つあったと覚えた。又この物は、亀の類であって猿と組み合わせたものであった。
或いは、立って歩く事もあったと言う。
また、鴨を捕る事を仕事とする者の言葉を聞くと、水沢(すいたく)の辺に窺って見るに、水辺を歩いて
魚貝を取って食うそうである。又、時として水汀(みぎわ)を見るに足跡があり、小児のようである。
 
また、漁師の言葉では、稀に網に入ることがある。
魚が取れないと、特に嫌っている。網に入れば、すぐに放って捨てる。網に入ったのを引き上げて見ると、その形は、一円石(?)のようである。これは、蔵六(?)のようであるからである。
川童(カッパ)を水に放り投げれば、四つの手足、頭、尾を出して、水中を逃げ去っていくと。
そうであれば、全くカメ類である。

訳者注:この文中に「訓蒙図彙」よりの、引用がある。手元に、「訓蒙図彙」があるので、調べてみたが、無かった。それとも、違う版のものにあるのだろうか?あるいは、書名を誤ったのであろうか?


「甲子夜話」(著者は、平戸藩主の松浦静山)  広文庫より