2019.10
狐鼠の毒にあたりし事 現代語訳
九条あたりの村に、九郎右衛門(くろうえもん)と言う百姓がいた。
毎日、京へ小便を取り(肥料にするために)に出できていたが、ある時、しばらく得意先の家に来ないことがあった。
「どうしたのであろうか」、と噂をしていた。
三月ほどすぎて、前と同じように小便をとりに来た。
家の主が、
「しばらく見えなかったが、瘧(おこり)にでも、かかったのかね?顔色も良くないし、やせた感じがするね。」
と尋ねた。
すると、九郎右衛門は、
「それにつき、不思議な話が御座います。
御聞き下さい。
ある時、あまりに家で鼠が悪さをするので、こまってしまいました。
京の町には、鼠取り薬という物を、売り歩いていますので、それを買いました。
それを飯の中にいれ、棚に上げておきました。
あくる日、鼠が五疋、その飯の側に死んでいました。
何の気もなく、裏の薮へ捨てました。
又、長年、そのうらに穴をほって住んでいた狐がいました。
子ぎつねが五疋いました。子ぎつね達が、その鼠を一疋づつ喰べて、これも毒にあたって、五疋とも皆死んでしまいました。
かわいそうだと思いましたが、どうにもできずに、そのままにしておきました。
その二三日後、我が家の三歳になる九郎一と言う子供が、見えなくなりました。
近所のものも雇って方々たづねましたが、見つかりませんでした。
そのあくる日、裏の井戸の側に死んでいました。
私たち夫婦(九郎右衛門夫婦)は、大いに嘆いて、かつまた腹を立てて、その狐の穴の傍らに行き、泣く泣く、こう言いました。
『鼠を捕って、何心なく藪に捨てたが、お前の子どもたちが、毒とは知らずに喰べたのは、ワシラに悪意があってしたことではない。
又、長年、わしら夫婦も、お前ら夫婦も、毎日毎日、怠ることなく子供に食事を喰わせるのは、人も狐も同じではないか。』と、かきくどきいて、わめき悲しみました。
その翌朝、私ども夫婦ともに、いつもの様に、早く起きて、背戸口の井戸に行きました。
そして水を汲もうとして、つるべを上げようとしましたが、重くて上がりませんでした。
立ち寄って、よくよく見れば、親の狐の二疋が、井戸へ身を投げて死んでいました。
五日のうちに、狐七疋、鼠五疋、我が子一人、合計十三の命が無くなりました。
その日、すぐに出家になろうとしましたが、近所の人たちに止められて、出家するのを止めました。
しかし、ここちもすぐれなくて、やっと今日はじめて、ここまで来ました。」
と語った。