大旅淵の蛇神 「土佐風俗と伝説」より
2023.4
今は昔、長岡郡本山郷天坪(あまつぼ)の字(あざ)穴内赤割(あなないあかわた)川と称する川上に、大旅(おおたび)の淵と言う、底の知れない深い淵があった。
昔より蛇神が棲んでいて、金物などを淵に入れると、怒って大暴れした。
たちまち、暴風雨などを起こす、と言って、人々は皆恐れていた。
ところが、ここの村に一人の男がいた。
物好きの人であって、ある日ここに魚釣に出掛けて、釣糸を垂れた。
さて、魚の釣れることは、たとえようもなく、多かった。
丸で引っ切り無しであったが、最早や籠一杯になったので、急いで家路を指して帰った。
家で、ふたをあけて見れば、これはどうしたことか、ただの木の葉のみと変っていた。
流石の大胆なる男もこれに懲りて、その淵では、二度と釣りはしなかった。
しかし、ある無頼の者が、又この淵には魚が豊富にいるので、鵜飼いをしようと、ある日、一羽の鵜を放った。
しかし鵜は、水中にもぐったまま、再び出て来なかった。
これは不思議、と衣服を脱いで水底にもぐって行くと、珍らしい殿閣があって、丸で浦島太郎の龍宮の話のようであった。
一人の美しい女神が、殿中で機(はた)を織っていた。
機(はた)の上に彼の鵜を止まらしてあった。
女神は、
「ここは人間の来る所では無い。早く帰れ。」
と言った。
その男は鵜を放ったことを詫びて、ゆるしてもらい、命からがら這うように逃げ帰った。
それより、再びこの淵に近付かなかった。
また、この村に国見山と言う、強力無双の力士があった。
ある日、外出して帰宅途中の夜半の丑満(うしみつ:午前二時位)の刻(とき)に、この淵の傍を通った。
すると話にもきいたことが無いような大蛇が、悠然と横たわっているのを見た。
彼は、流石に強気の男であって、大蛇に「通れないからどうぞ通してくれ」と言った。
しかし、蛇は中々動かなかった。
この男は乱暴にも、手頃な松を引き抜き、それで大蛇を打ち叩き、大蛇が去っていくのを見て、家に帰った。
それから、毎夜、大蛇の神が枕神に立って、うたれた
苦しみを訴へた。
力士は大熱を病み、遂に煩悶しながら死んだ。
そしてその最後には、身体には鱗のようなものがあらわれた。