江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

安倍睛明の術くらべ  「諸国百物語」

2021-04-23 17:39:37 | 安倍晴明、役行者

安倍睛明の術くらべ  

安倍睛明が、藤原道長の御前で、術くらべをした話

訳者注:この話は、江戸時代に流行した「百物語」の一つである、「諸国百物語」にある。睛明は、平安時代の人であるが、睛明についての逸話は、江戸時代にも広まった。
元の話とは、少し違っている。

以下
道長の御前にて三人の術くらべの事

長徳年中(995年から999年)の相国 藤原道長の前に、比叡山の僧の欽朱(きんしゅ)と安倍睛明と医師の重正(しげまさ)と、三人が同座していたことがあった。
お茶受けに瓜が出された。
睛明が見て、「この瓜のうちに、毒がある瓜がございます。」と占った。
それを道長が聞いて、「それでは、この沢山ある瓜のうちのどれに毒があるのか?」と質問した。
欽朱が、瓜に向かって、印を結んで、呪文を唱え、すぐに一つの瓜を取り出した。
すると重正は、ふところから針を取り出して、その瓜を刺すと、この瓜は動くのをやめた。
道長がこの瓜を割って見ると、そのなかに蛇が一匹いた。
見ると、蛇の目に針が刺さって死んでいた。
三人が同じように優れた術に通じていた事に、道長は、大いに感心したとの事である。


安倍晴明、呪詛を破る事  「古事談」

2021-04-04 19:24:31 | 安倍晴明、役行者

安倍晴明、呪詛を破る事

古事談より

人道殿は、法成寺を建立した時、毎日、出仕した。その頃、赤い犬を愛でて、お飼いになった。
御堂へも毎日御供をしていった。
或る日、寺の門に入ろうとした時に、件の犬も御供していた。
しかし、御前に進んで、走り回って吠えた。
それで、しばらく立ち止まって、見渡したが、何も変わったことが無かったので、門に入ろうとした。
すると、犬は、御直衣(おのうし)をくわえて、引き留めようとした。

何かわけがあるのであろうと、睛明の朝臣(せいめいのあそん)を召しよせた。
そして、その理由(わけ)をたずねた。
睛明は、目を瞑(つぶ)ってしばらく考えてから答えた。
「あなた様を呪詛しようとしている者が、道に呪詛の物を埋めて、上を通るのを、待ちかまえています。
今、あなた様は運が強く、御犬が吠えて、事が露見しました。
犬は、もとより少し神通のある生き物です。」
と言いながら、その場所を指し示し、地面を掘らせた。

すると、土器ニつを打ち合せて、黄色い紙をねじって十文字にしたものが堀り出された。
睛明は、
「この術は、極めて秘密の呪詛の秘儀です。
睛明の他に、当世では、知っているはいないでしょう。
但し、道摩法師のしわざである可能性があります。
確かめてみましょう。」と申し上げた。

そして、懐紙を取り出し、鳥の形に彫った。
呪文を唱えてから、それを投げ上げると、白鷺になり、南を指して飛んで行った。
この鳥の落ちた所が、呪詛した者の住みかです、と申し上げた。

下の者達が、白い鳥を追いかけて行くと、六條坊門の萬里小路(までのこうじ)川原院の古師の織戸の内に落ちて止まった。
そこで、踏み込んで捜した所、一人の僧(道摩)がいた。

すぐに捕らえて、訳を問いただした。
道摩は、堀川左府の言葉によって、術を行ったことを白状した。

しかし、実際には害を与えなかったので、本国(播磨)に追放された。
但し、今後は、呪咀のようなことをしない、との誓約書を書かせた・・・。云々。


晴明の火除柱の話  「信州百物語」

2021-04-04 18:28:44 | 安倍晴明、役行者

晴明の火除柱の話

岩根岳山麓の大鹿村から、小一里はなれた所に入沢井と言う地がある。

(話は余談にそれたが)
この入沢井の附近の宮下氏の家に、安倍晴明の火除柱(ひよけばしら)と云うものがあるそうである。
これは昔、安倍晴明がここを通行した時、猛烈なオコリを病んで苦んだのを、この宮下氏一家の人によって、非常に親切な看護を受けたため、ようやく回復することが出来た。それを感謝して、ちょうどその時、新しい家屋を普請中であったこの家の柱に、火難除けの護符を封じ込んだ。以来この家は永久に火事の災厄から免れた。
 それのみならず、この家の人々は、決してオコリは病まぬことになっているそうである。

この柱を削ってお守りとすれば、火難除けに効験がある、と遠近から乞はれるそうである。


以上 「信州百物語」より


ミイラの採集方  及び「ミイラとりが、ミイラになる」の出典  「史籍収攬 渡辺幸庵対話」

2021-04-04 17:58:21 | ミイラ薬

ミイラの採集方

及び「ミイラとりが、ミイラになる」の出典


「ミイラとりが、ミイラになる」ということわざは、何となく、外国起源のような感じがするとは思います。
しかし、日本独自のことわざです。

「史籍収攬 渡辺幸庵対話」には、おそらく「ミイラとりが、ミイラになる」という言葉の起源になった伝聞が、記述されています。
(更に、その大元は、不明です。この渡辺幸庵対話以外にも、似たような記述があります。)
この、「ミイラとりが、ミイラになる」という言葉は、日本独特の言葉です。

外国語(私の場合は、英語、中国語)で、これに相当する言葉を見たことがありません。


ミイラの採集方

以下、「史籍収攬 渡辺幸庵対話」の本文

交趾(コウチ:今のベトナムと重なる)と暹羅(シャム:今のタイ)の間に、300里ばかりの砂原(砂漠)が有る。この場所の往来には、松の木の丸太船に乗り、6尺ばかりの、小さい帆をかけ、体には箕を着ける。なぜかというと、風が激しく、砂を吹きかけるからである。目だけを出して、その砂原を風の力で走るのである。
その時に砂原に人の死骸が年月を経て堅くなったのを見つけては、熊手のような物を用意しておいて、引っかけ引きずって帰ってくるのである。
肌は、乾燥して堅くなるが、着ていた木綿はそのまま腐らずにある。
これをミイラと云う。

これは偶然にしか得られないので、ミイラは至って貴重である。
向こうの国でも、秘蔵している。
その上、人は死ぬと小さくなる。
まして乾燥して固まったものであるので、毎年得られる物ではない。
往来の時に、偶然見つけて、手に入るものである。

時として、日本にもミイラが渡来するが、多くは作り物(=偽物)である。
これは、火葬場の柱に、年々たまった人の油を取り、松脂の古いのと練り合わせたものである。
人の油なので、薬効がある。

以上。
「史籍収攬 渡辺幸庵対話」広文庫 より

内容を見れば、この記述が、ミイラを運んできたオランダ人の知識とは、一致しないことがわかります。
交趾(コウチ:今のベトナムの一部)と暹羅(シャム:タイ国)の間は、カンボジアかラオスです。
乾燥した、灼熱の砂漠はありません。熱帯の林か草原です。
オランダ人は、ミイラがどこから来たかを、知っています。ミイラを、商品として運んできたのは、オランダ人ですから。この故事のもとは、オランダなどヨーロッパからのはずは、あり得ません。
中国人も、交趾(コウチ)と暹羅(シャム)の間に、砂漠が無いことは知っていたでしょうから、この故事を伝えることはあり得ません(そこら変には華僑が昔から大勢います。)
このコトワザは、日本国内で作られたものとしか、考えられません。
「ミイラとりが、ミイラになる。」は、日本独自のコトワザです。

さて、ベトナム(コウチ)とタイ(シャム)の間には、今では、南は、カンボジア、北にはラオスがあります。
しかし、少し前までは、ベトナムの南部は、カンボジア領でした。従って、この文章の書かれた時代の、両国の間とは、ラオスのことです。
このラオスの中部には、ジャール平原(Plaine des Jarres)があります。この、平原には、石壷(石のJarジャール)が、沢山点在しています。これは、骨壺であったと思われ、石壷の近辺には骨が発見されてもいます。

こういうことと、ミイラのこととが、混ざり合って、
「交趾(コウチ)と暹羅(シャム)の間に、300里ばかりの砂原(砂漠)が有る。・・・」
との説が成立した、と考えるのが、妥当でしょう。


ミイラ薬への批判  「醍醐随筆」

2021-04-04 17:54:58 | ミイラ薬

ミイラ薬への批判

江戸時代に、ミイラが、オランダ船によって、日本に医薬品として、持ち込まれました。
当然、人体を薬として用いるのに対しては、批判が起こります。
そのうちの一つを紹介します。

以下、本文。

ミイラ薬への批判

近年、南蛮より得たと言って、珍しく耳慣れない名前の薬をもてはやしている。
一つの薬で、多くの病気を治すように言って、高い価格で売り出した。すると、このような奇特なものがあると言って、起死回生し、寿命を延ばせると思い込まさせた。
実に馬鹿げたことではないか。
薬は、偏ったものであって、一つの薬では病を治すのは難しい。
治すことが出来ても、一薬では副作用の害が出る。
薬というものは、君臣佐使の法則に則って、五種類、三種類、あるいは十種類、二十種類ほど組み合わせて、始めて、多くの病気を治し、身を養うことができる。
(訳者注:この組み合わせるのは、漢方の理論に基づいています。何種類かの生薬を、ある法則=君臣佐使=によって、組み立てて、処方をつくります。そうすることによって、目的とする効果をあげようとするものです。一つの生薬を単独で用いるのは、例外的なことです。ミイラ薬単独では、十分な、効果を得られないだろう、と主張しています。)

なにか、一つの薬で、多くの病気を治せるものならば、医者の上手下手も無いであろう。
ウニコオル(一角獣の角:ユニコーン)と言うのは野底茄(ヤテイキャとルビがふってある)である。
アメンドウスとう言うのは巴旦杏(パタンキョウ)である。
ミイラと言うのは、木乃伊である。
これらの類は、たいして効果のあるものではない。
それのみならず、妙薬と言って、さまざまの合薬を売っている。

効果がないのは、こういうことからである。
害を受けることが多いであろう。
人身は、再び得られないものである。
大事にしなければならない。

以上
「醍醐随筆」(中山三柳、寛文10年 広文庫 より