「円魚(エイ)の子の事」
奇異雑談集の「伊勢の浦の小僧、円魚(えいのうお)の子の事」
紫野(京都)の大徳寺の坊さん達は、応仁の乱の中に、ちりぢりになり、あちこちに、逃げて行った。
岐庵和尚の弟子の某書記は、字は牛庵、出家前の俗姓は中村であった。
近国を巡っていたが、伊勢の国の海辺に漁村に行った。
山の腰に小さな庵があった。
上って行ってみると、遠くまで見渡せて絶景であった。
その小さな庵の縁に、腰をかけて休息した。
すると、庵の主が出で来て 雑談した。
庵主は小僧を呼んで、
「お茶を出しなさい。」と言った。
小僧が茶を持って来た。
牛庵は、この小僧を見ると、人の様だが、人でもないような気がした。
不思議がって、つくづくと見ていると、庵主が、こう言った。
「この小僧は、円魚(えい)の子です。」と言ったが、牛庵はなお怪しんで、そのことを問うた。
庵主が言うには、
「麓の漁村に、一人の漁師がいたが、大きい円魚を釣り上げた。
持って家に帰って、あおむけに置いた。
その陰部の動くを見て、人の陰部のようであったので、これを犯したが、まるで人のようであった。
不憫な気持ちになったので、それを海に帰した。
見ると、喜んで、海底に潜っていった。
十ヶ月すぎて、夢に円魚(えい)が出てきて、
『あなたの子供が産まれました。
他の浦の岩の間に置いています。
行って、連れ帰って下さい。』と言われたかと思うと、夢がさめた。
不思議な夢であった。
つらつら思うに、以前の事をおもいだした。
その浦に行って探すと、はたして子供がいた。
携へて家に帰り、その子を養って、大きくなった。
その子を我が弟子として、この庵に置いている。
年は、十八です。人であると言おうか、人では無いと言おうか?」。
ともに一笑して、牛庵は、その庵から、もとの所へ帰って来た。
本草書に、「囲魚」という項目があるが、この円魚とは、別のものである。また、円魚という名称の意味も不明である。それで、推量して、「エイ」とした。
編者注:本文の末尾に、本草書云々とありますので、いくつかの本草書を当たりましたが、「囲魚」も「円魚}の項も、見当たりませんでした。
さて、この話は、異類婚の類である。
異類婚には、人と狐(安倍睛明など)、人と熊、人とネズミ(ねずみ男など?)など、様々な型があります。
また、神武天皇の父であるウガヤフキアエズの尊は、ヒコホホデミの尊を父とし、ワニ(鮫)の化身である豊玉姫を母としています。すなわち、神武天皇は、1/4がワニ(鮫)の子孫という事になる。
このように、人(神)と動物との異類婚は、神話、説話などにしばしば見られます。
このエイとの異類婚に似た話が、宮古島(沖縄の南)にあります。
古い話で、宮古島の神話時代の話ですが、これと、浦島太郎の話を組み合わせた内容です。
昔、宮古島に真々佐利(ままさり)という漁師がいた。
ある日、漁でエイをつり上げた。
すると、たちまち美しい女になったので、真々佐利(ままさり)は彼女と交わって、別れた。
数ヶ月して、二三歳の童子(真々佐利とエイの子供)が三人あらわれて、その母の海中の国に誘った。
海中には、竜宮があり、そこで、先だってのエイであった姫に迎えられ、歓待された。
真々佐利(ままさり)は三日三晩を竜宮で過ごし、瑠璃の壷を貰って帰って来た。
すると、もうすでに、三年三月が過ぎていた。
その壷からは、不老不死の酒が、わき出てきて、無病息災となり、生活も豊かになった。
その事を、島人達が、聞きつけて、続々と壷を見に来た。
すると、真々佐利(ままさり)は、その事を嫌がって、
「同じお酒がわき出るばかりなので、もう飲み飽きてしまった。」と言った。
そう、言い終わらないうちに、壷は白鳥に化して、大空に高く飛んで行ってしまった。
「宮古島郷土誌(沖縄県都教育部会著、昭和12年10月30日)」より。