江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻之二  10、脇の下に小紫という文字ありし事

2021-11-27 23:05:08 | 新説百物語

新説百物語巻之二  10、脇の下に小紫という文字ありし事  

西国の遊女町に、小紫と言う傾城(けいせい)がいた。
田舎そだちながら、姿心ともにやさしく、歌なども詠んだりしていた。
街道をゆき通う旅人も、小紫の名を知らぬ者は誰一人いなかった。

長崎へ通う商人に、さぬきや藤八と言う者がいた。
彼もやさしい生まれつきで、一年に二回の長崎へのおり下りには、かならずこの小紫の所に立ち寄り、一宿して遊ぶこと四五年に及んだ。

小紫は、どのよう思ったのか、外の客とは違って、一年に二度の藤八が、長崎に下って来るのを待って、むつまじくもてなした。

ある年、藤八は、又いつもの様に長崎へ下って来た。いつもの様に小紫の方によって、一宿した。
小紫は、少し前の頃より大病を患い、なかなか快気の様子も見えなく、次第に衰えていった。

唯あけくれ、藤八の事のみ、夢うつつにも、言っていた。
もはや、命の尽きるのも今日か明日かという時に、藤八は、仕事で立ち寄った。
早速、枕元にたちより、「具合は、どうなのかい。」と言った。
すると、今まで寝ていた様であったのが、目を開けて、にっこり笑い、
「わたくしの命も、もはや今日限りでございます。
どうしたわけか、あなた様の事を忘れることができず、何とぞ命のうちに、夫婦になりたいと思っておりましたが、かなわぬ事となりました。
私の死んだ後に、何にても不思議なことがあれば、よろしくお願いします。」
と、言うかと思えば、そのまま死んで、息が絶えた。

心だてもよろしい者であったので、家内のなげき、藤八の悲しみは、大きなものであった。
藤八も一二日滞留して、葬礼などを終えた。

その後、長崎での仕事もうまく終えて、上方(かみがた)へ上って行った。

その年の霜月、となりの米屋の女房が安産して美しい女の子を産んだ。
近所の事であるので、毎日毎日見まいに行った。
その女の子を、みれば見るほど小紫のおもざしに似ていた。
人に言わないでいたが、何とやらなつかしく思っていた。
百日ばかり過ぎて、母親が湯あみさせた時に、ふと脇の下をみれば、アザなどの様に小紫と言う字が、ありありとあった。
その時、藤八が居あわせて、涙をながし、ありし次第を語った。
世間へは、何も言わずに育てた。

その藤八が四十七歳の時、娘が十八歳であったが、女房にもらって、仲むつまじく暮らした。

娘は、二十八歳の時に病気になって、亡くなった。

藤八は、浮世を思い切って、五十七歳で出家して、最近まで存命であった。


「天草島民俗誌」河童記事  その1

2021-11-26 20:51:33 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その1


「天草島民俗誌」(浜田隆一著、東京郷土研究社、昭和7年、1932年)


河童     「天草島民俗誌」河童記事  その1

河童に教わった妙薬で、名医となった話    
今から五百年程前、或る村に、一人の骨つぎ医者がいた。
ある夜、一心に筆をとっていると、畳の間から冷たい手が出てきて、自分の尻ぺたを撫でた。
それで、驚いて素早く刀に手を掛けたが、もう居なかった。


次の夜も、机に向って本を読んでいると、また撫でるので、刀に手をやったが、やはり間に合わなかった。
けれどもある晩、遂に首尾よく、斬り落してしまった。
よく見ると河童の手であった。
そのまま机の上に置いて、又読書を続けていると、外で河童の泣声がする。
しかし、知らんふりをしていた。


翌晩、河童は窓から「もう決して悪戯(わるさ)をしませんから、手をかやして(原文のまま)下さい。」と嘆願した。
そして 「今夜までに接がなければ、接げませんから」と言った。
医者は不思議に思って「一日も経った手をどのようにして接ぐのか?」と訊ねた。
河童は、自分達の骨接ぎの方法を教えた。
それを医者は、すらすらと書きとって置いた。


それから患者がある時は、その方法でやって見ると実によく接(つな)がるので、たちまち名医として有名になった。
(中原清峯君報)


河童は大きくなったり小さくなったりする
河童は、大きくなったり小さくなったりする。
小さくなった時は、馬の足跡に千匹でも入ると云う。

村の川に、橋がまだ架からぬ前、飛石であった時分は、老人がその飛び石を渡ると、煙草入れを流した。
老人が欲しがって、それを取りに水の中に入ると、引込んだりした。
女が渡ると、櫛や油びんなどを流して、引込んだりした。
冬は山に打って、柴の葉に化けて居て、人間の尻を取る。
〔林田靖史君報。教良木村〕


河童の姿
僕のお父さんも、河童を見たと言っていた。
格好はまるきり犬とそっくりで、頭が少し犬よりか平たいと言っていた。
(田中留君報)


河童の妙薬   「天草島民俗誌」河童記事  その2
或る所に一人の女の人がいた。
その人の家は川端に近かった。
そこの川は、丁度 瀧のようになっていて、下は深く甕(かめ)のようになっていた。


女の人が或る晩、縫物をしていると、台所の方でコトコトと音がするので、不思議に思って行って見ると、そこに有ったはずの野菜が、食いちらかされてあった。
そこで、その辺をよく見ると、鶏の足あととも判らぬ、又人間の足あとも判らぬ小さな足かたが、雨あがりの地べたについていた。


あくる日、隣に行って爺さんに話すと
「そこん先の川に、がわっばがいると言うこっちやで。ひょっとすれば、そん がわっぱかも知れんわい」と言った。
この女の人は、女ながらも、こんな淋しい家に一人でいる位、度胸のすわった人だったので、その晩は、河童が来たら手を折ってやろうと思って、出刄庖丁を磨いで、今夜はわざと野菜を自分の前に置いて縫物をしていた。
しばらくすると、障子の破れる音がして、やがてその破れから不思議な手が’ニュウと来て野菜をにぎった。
女の人は、すぐその手を握って一方の出刄庖丁でジヤキンと斬り取った。
すると外では、苦しそうな叫び声が聞えて、はしり出した様な物音がした。
女は、その手を大切にしまって、床に就いた。


翌日、起きて外に出て見ると、血が川の方へ続いているので、いよいよ河童であると思った。
二三日経った或る晩、戸をコツコツと敲く音がするので戸を開けて見ると、片腕の無い頭の上が皿のようになった爺さんが立っていた。
「どなたですか」と聞くと、
「わしは、この川に棲む河童ですが、この前あなたの家まで来ると、好きな野菜が台所にあったので、つい口をつけて見ると、非常においしかったので、食いちらして帰りました。翌晩も、その昧が忘れられず、また台所に行きましたが、そこには、見あたりませんでした。ふと見ると、あなたの前に置いてあるので、しめた!と手を差のべたところを、斬り落されたのでした。もう決して、こんな事はしませんから、あの腕を返して下さい。その代り、返して下されば、傷にはどんなのでもよく利く薬を差上げますから。」と言った。
それで腕を返してやったら、果して不思議な薬瓶をくれた。


今もその薬がその村には伝わっているそうだ。
(仁田長政君報、宮地岳村)

 


人形に化けた河童   「天草島民俗誌」河童記事  その3
昔、或る所に一人のおばあさんがおられた。
そのおばあさんは、一人で住んでいて、川端に家があった。
毎日夕方になると、川端に妙な嗚き声がするので不思議に思っていた。


あくる日の昼頃、川に洗濯に行かれた。
すると向う岸から、おばあさんの方へ美しいべんた人形が流れて来た。
そこでおぱあさんは喜んで、その人形を拾い上げ、洗濯を什上げて家へ帰って、その人形を大切に戸棚の中にしまって置いた。


夜になって、その人形の鳴き声を聞こうと思い、今に鳴くか鳴くか鳴くか、と待っているが、中々泣かない。
一時(いっとき)すると泣き声が聞えて来た。おばあさんは戸棚をあけて、その小さな人形を取り出し、その晩は、自分の懐に抱いて寝ることにした。
すると夜中頃、おばあさんは、自分のお尻がモザモザするので、手をやってかかって(触って)見ようとしたが。
クスクスと笑ってすぐに死んでしまったという。
(真西哲雄君報、柄本村)

 


河童は、仏様のご飯を恐れる   「天草島民俗誌」河童記事  その4
昔、或る浜辺を一人の子供が歩いていると、突然海の中から、小さな頭に髪が生えて皿の様になった物が、ジャブジャブと上って来て、
「坊ちゃん、相撲をとろう」と言ったので、その子は面白がって晩まで飯も食わずに取っていた。


夜になって家に帰ると、家の人達は、
「今まで何處(どこ)に遊んでいたのか?」と問うた。
子供はニコニコ笑いながら、
「浜辺で、何ぢゃいろと相撲ばとった」と話したので、皆大へんびっくりした。
そして子供は、
「約束しておいたから、明日も行く」と言うので、しきりに止めた。
けれども
「明日来なければ打殺す、と河童が言った。」と言う。


仕方が無いので、翌日は、仏様に供えた飯を食べさせて、自分も後からつけて行った。
すると砂原に河童がちゃんと宝ものを持って来ている。
そして今日こそ海の中へ子供を引きこんでやろう、と持っていた。
ところが、そこへ来た子供は、仏様に供えた御飯を食べて来たので、目の玉がキラキラ光っていた。
それで、河童は、恐ろしくてたまらず、宝物も何も打捨てて、海の中へ逃げこんでしまった。
そこで、二人はその宝物を持って帰って大変な長者になり、今でもそうだという話である。
(小崎博善君報、棚底村)

 

河童の小包   「天草島民俗誌」河童記事  その5
昔、或所に郵便配達が海水浴をしていた。
そこへ、河童が現われて、
「この小包を送ってくれ、そうするとお前の尻は取らないから。」と言うので、その小包を受取った。
そして、受取人の名前をよく見ると、「島原の河童の大将」とあった。
それには、「人の尻を干した数が九十九、配達人の尻まで百」と記してあった。
配達人は、それを先方に届けず、白分の家へ持って帰った。
それからまた四五日経って海水浴をしていると、先日の河童が来て、その尻を取ってしまった。

 

 

         


「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

2021-11-25 18:34:19 | カッパ

「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

                                 2021.11

城河原村   「天草島民俗誌」河童雑記  その16
内の川の上流の宇田代というに、川に沿って道路がある。
そこを三人の男が通りかかったら、川の中に茄子を沢山つけてあるのを、河童どもがしきりに食べていた。
そして、その三人の中に、その茄子の所有者も混って居たが、その男には見えず、他の二人にだけ河童が見えた。
三人とも、今 現に生きている人である。
 
     

宮田村  「天草島民俗誌」河童雑記  その17
字(あざ)大宮田、
数十年昔「みやなぎ」という相撲とりが、隣村に行く時に海岸を通っていると、河童が出てきて、相撲をとろう、と言った。
用事があるから、帰途に相手になろうと言った。
そして、帰る時に、仏様に供えたご飯をいただいて来た。
果してまた河童が来た。
『さあ相撲をとろう』と言うと、
「あなたは、眼が光って恐ろしい」と言ってかかって来ない。
そこで先刻の約束を守らぬのは、不都合だと責め立てた。
そして結局、以後は宮川の人の尻は決してとらぬ、と言う約束をさせた。

年に一度づつ河童祭がある。
      


佐伊津村  76 「天草島民俗誌」河童雑記  その18
佐伊津の堀内で、五十年程前のことである。
村の或る男が、夜おそく用件で歩いていた。
そこの沼池の附近の茄子畑で、二尺位の大きさの子供のようなものが、がやがや騒いでいた。
驚きと怖れを抱きながらも、怖いもの見たさに近づいて行くと、その姿が何時の間にか消えてしまった。
 
或る日「ガクリョウ」川に、或る女が洗濯に行った。
水の底に小さな子供のようなのが、仰向けに寝ていた。
驚いて飛んで帰り、人々を呼んで、再び行って見たが、もうその時はいなかった。
   


久玉村  「天草島民俗誌」河童雑記  その19
久玉と深海の境に「おなぶつ」といふ淵があった。
その附近を自動車が通る時、四五年前までは毎晩河童が邪魔して困ったという。

或る時、一人の美女が川のほとりを通っていると、又一人の美女が現れて来た。
その女は、重箱を下げていた。
そして重箱の中から、金をつかんでは、川の中に投げ込んだ。
そこで、他の女が、それがほしくなって、拾おうと思って、川の中に入った。
すると河童にとられてしまった。
そこを『女淵川』とい。


坂瀬川 「天草島民俗誌」河童雑記  その20
今から百五十年ばかり前の話。
庄屋の某(これは庄屋と言わずに、ただの百姓にしている話もある)が夫婦で、田の草をとっていると、河童が出て来て「爺、一緒に泳ごうではないか」と誘った。
爺さんは、「うん。泳ぐから、草をとって加勢をしろ」と言うと、河童は加勢をして、草をとってしまった。

いよいよ游ぐ時、爺さんは、自分の尻のところに鎌をくくりつけて一諸に游いだ。
河童は、その鎌を捨てろといった。
爺さんが、「おれの尻をとりたくてそんなことを言うのか」と河童の腕をとって引っ張り廻したから、河童はたまらず降参した。
それから二人は、河傍の石に腰を下して休んでいると、「どうぞ一度でよいから尻をとらしてくれ」という。
「よしそれでは、この川の水を逆さに流して見せろ。そしたらとらしてやる」と言った。
河童は、心の中で何か祈願すると、川の水が逆さに流れ初めた。
(坂瀬川の満潮時の逆流)
爺さんはあわてて、
「待て待て、鉄のかたまりが腐れる時は、とらしてやる」と言って、鉄の塊を小山の上に置いた。
それから河童は、日に数回小便をかけて、ひたすらそれが早く腐れるのを待った。
数年の後に果たして腐れた。
そこで、河童が尻をとることを請求すると、今度は又、約束を仕直した。
小山の上に大きな男石をおいて、これが土になったら、約束に従がおう、と言った。
けれども、石は中々土にならない。
河童は、その上に糞を垂れたりして、早く土になる様苦心したが、駄目であった。
今でもこの石はあって、その上が少しクボんでいるのは、その糞をたれたあとだと云うことである。
こうして河童は、永遠に尻をとる機会を失ってしまった。

爺さんは、死後、神に祀られて「別当さま」と呼ばれ、その祠(ほこら)が今も大師山の下に在る。
游ぐとき「別当様の子孫でござる」と言えば、河童に尻をとられない。


これに附隨して、坂瀬川は逆瀬川で、河童が逆さに流したから起こったのだと言う。
坂瀬川の川底が所々深く凹んで居るのは、逆さに流そうと思って、河童が掘ったのだ、といっている。
 


余言   「天草島民俗誌」河童雑記  その21     河童雑記 末文                 
天草では、まだ中学生に至るまで、河童の実在を信じている。
古老は、「河童が陸上に上がったことは、その何ともいえない生臭い臭いでわかる。」と言う。
「河童に尻をとられたのと、溺死したのとは全然違う。溺れたのは、身体が冷く硬くなるが、河童にやられたのは、身体がいつまでもくたくたと柔かく、尻の穴がぽんと抜けている。」
と言っている。

かって二三年前、御所浦島の小学校の生徒を渡す渡船が(御所浦島に小学校があって、附近の小島の生徒は、毎日船で往復するのである)岸に着く時に、どうしたのか不意に転覆してしまった。
水の中にあっぷあっぷしている生徒を、附近の村人達がかけつけて、みな救い上げた。
しばらくしてから、もう一人足らないことが判った。
大騒ぎをして探したが、どうしても見つからぬ。
その時、或る者がひょっと思いついて、先刻転覆したままになっている船をもとにかへして見た。
すると、その中からその子供が現れて来た。
勿論死んでいた。
それから、これを河童がとったのだ、という評判が高くなった。
しばらくは、そこを渡るものがなかった、という話である。

                                                   


「天草島民俗誌」河童雑記   その11 から その15

2021-11-25 18:24:41 | カッパ

「天草島民俗誌」河童雑記   その11 から その15

                          2021.11

鬼池村   「天草島民俗誌」河童雑記  その11
姿はベンタ人形(弁太人形:桐の丸太を削ってつくった人形)に似ている。
鳴き声は、綿くり機械の鳴る様に、キーキーキーと言う。

近来でも、池の傍の茄子やカボチヤ等に、爪のかたをつけたりなどして、悪戯(わるさ)をする。

五十年程前に、あまり農作物に害をするので、人々が罠をかけておいたら、ひっかかった。
人が調べに行ったら姿が見えない。
かかって居ない、と思っていると、連れて居た子供が、横の深い穴の中に落ちこんでしまった。
これは、大方 河童の所業(しわざ)である、と言われた。
それで、村の者が大勢集って、穴の中に石を投げ込んだ。
中から「沢山ナスを持って来れば、子供を返してやる。」と言う声が聞こえた。
そこでナスを持って来たら、子供を返してくれた。

鬼池牟田の池の傍に、高さ二尺位の石があって、それに何か字が彫ってある。
この字が消えるまで、人間の尻をとってはならぬ、という約束がしてあるそうである。河童は、早くそれを消そうと、毎晩 草履でこすっているそうである。

これと全く同型の話が手野村にもある。
又、今は思ひ出せないが、何村かの日露戦役の記念碑か何か字の彫った方の石の面が凹んでいるとか云う。
これも、毎晩 河童が早く字を消して、人問の尻の御馳走になろうと、削っているのだ、と聞いたことがある。

宮野河内村   「天草島民俗誌」河童雑記  その12

河童が山へ登る時、男、女、男、女、と順々に数万匹列をなして行く。
男がギイと鳴けば、それにつづけて女がトンという。
その時は、非常に腥い臭がするという。

人間から腕を取られたときは、その晩すぐ魚を下げて貰い返しに来る。
河童の腕は、一晩経てば、もうつぐことが出来ないからである。
 
   

亀場村  「天草島民俗誌」河童雑記  その13
水に泳ぐときは、釜の尻のススを顔に塗っておくと尻をとらぬと云う話。


小宮地村  「天草島民俗誌」河童雑記  その14
馬場上小平に、渡合川の上流に「わたせ」といふ所がある。
ある時、猿廻しがそこであまり暑いので猿を木につないで泳いでいたら、河童に尻をとられてしまった。
猿は、河童を狙って飛びこもうとしても、自由がきかないので一生懸命にもがいていた。
通りかかった男が繩をきってやると、猿は川の中に飛び込んで、河童を捕えてあがつて来た。

同じ村の字(あざ)棒鶴のお宮の前を小川が流れている。
その川に大きな石がある。
その石にも字が彫ってある。
夏の頃、子供がこの川に泳ぐときは、必ず泳ぐ前にこの石に水をかける。
この石の字が消えると、河童が来て尻をとる、と言われている石である。

 

新合村   「天草島民俗誌」河童雑記  その15
お宮の横を、河童が沢山 川へ下りて行く。
何時か婆さんが洗濯中に河童にとられた。
そこの大きな岩の下に刀を埋めてから出なくなった。

 

 


新説百物語巻之二 9、幽霊昼出でし事

2021-11-24 23:25:27 | 新説百物語

新説百物語巻之二 9、幽霊昼出でし事

                                                                                                                   2021.11

一二年前の事であった。
寺町蛸薬師の寺へ、ある侍が来て、このように語った。
「我等の事は御存知の通り、父母もなく、夫婦と家来ばかりにて暮らしておりましたが、近頃養女をもらいました。
当年十六歳になりました。
その娘が、ここ三夜の間、毎夜おなじ夢を見ました。その様子は、若い侍が来て、
「「我は、この世に亡き者である。名を申さなくとも、この家のご主人には覚えがあるだろう。
弔ってくれる人もいないので、中有(あの世とこの世の間)に迷っております。
念比(ねんごろ)に弔い(とむらい)をして頂きたい。」」と言って帰って行った、と夢に見たそうである。
私には、少しは覚えがあります。
我等の傍輩の弟と兄とが不和で、別別に暮らしていましたが、先年、亡くなりました。
当年で八年になります。
その者ではないかと思います。
御弔い下さいと、包銀の様な物を出して頼み込んだ。

住持も、もとより親しい人の言う事なので、
「相心得ました。」
と、念比に弔い(読経する)をした。

その後、又々かの幽霊が、昼間にかの侍の方に来たが、夢に見た人であるった。
それで、娘は殊の外おどろき、逃げようとするのを、かの侍が引き留めて、こう言った。
「驚かないでください。
先日の夢に見えた侍です。
お影にて、弔いを受け、ありがたいことです。
猶々、この上ながら御たのみ申します。
去年の七年忌にも、御法事をしていただきましたが、わたくしには、届かなくて残念に存知ます。」
と言って帰った。

主の侍と行きちがいで(幽霊は)帰ったが、主(あるじ)の目には、見えなかったそうである。

その後、またまた寺へ頼み、法事を行った。
「七年忌に不都合があった。」と言われたのを、住持が思い起こして、考えた。
すると、その折に用事があって、住持は外に一宿し、その翌日帰って廻向をした、との事であった。

その後二月ばかり過ぎて、
またまた娘の夢に出て来て
「いよいよ、浮かばれることとなった。」
と言い、礼に来た。

その後は、再び夢に出てこなかったそうである。