死んだあとどんなことが起きるかについては、いろんな宗教や人がいろんなことを言ってますが、
自分でいつの間にか思いついたものやら、
映画やテレビで観たり、なんかで読んだのを、忘れているのやら、
今となってはよくわからないのですが、
こうだったらいいなあと、わたしが思ってるのは。
自分より先に死んだとても親しい人たちが迎えに来てくれること。
わたしがもし今死んだら、絶対に迎えに来てくれると思うのは、
ばあちゃんとシャム猫のCHAUDちゃんと真っ黒犬のスペンサーと白黒猫の紳一。
死んで、しばらくしてふと気がついたら、
なぜだか夕焼けでオレンジ色の浜辺にいて、
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(「夕日 浜辺」で画像検索してみつけた中からへちくってきました。元サイトは楽天トラベルの神湊スカイホテルさんとやらでした)
海のほうから、ばあちゃんとCHAUDちゃんとスペンサーと紳一がわたしのほうへと、てくてくとやってくるのだ。
ばあちゃんはわたしがちっちゃかった頃から亡くなるまでのすべてのばあちゃんで、
わたしもちっちゃかった頃から亡くなるまでのすべてのわたしで、
CHAUDちゃんもスペンサーも紳一もそうで、
わたしはばあちゃんに手をひかれ、
わたしはばあちゃんと手をつなぎ、
わたしはばあちゃんの手をひいて、
CHAUDちゃんとスペンサーと紳一を足元にまとわりつかせながら、
ばあちゃんたちがやってきた夕日のほうへ、一緒にてくてくと歩いていくのだ。
そのときのわたしは本当に、どれだけ幸せなことだろう。
まあ、問題があるとすれば、
生前のばあちゃんとCHAUDちゃんが、不倶戴天の天敵同士だったこと…。
死んだ途端にこのふたりの仲裁するのって、かなりイヤかもーーー。
死んで親しい人が迎えに来てくれたのはよいが、
まず説教くらうこともあるんだろうな。
たとえば、横山美奈子さんていう人なんかは、
「死ぬなら死ぬでもうちょっと時期を考えなさい」
「うっかりにもほどがある」
「ほんとお前は死ぬときまで、これほどそそっかしいとは」
などと、お父さんとお母さんからまずは、山ほど小言を喰らったと思うのだ。
我が子を虐待死させた親のとこにはその子が来るんだろうな。
まずはその子に対して弁明する羽目になるんだろうな。
3月11日です。
一年前のこの日、あの地震で、津波で、たくさんの、本当にたくさんの人が亡くなりました。
自分でもよくわからないうちに亡くなった人もいれば、
あがいてあがいてあがきぬいた末、力尽きた人もいたのだろう。
その誰もが、ふと気づけば、夕日でオレンジ色に染まった浜辺にいる。
亡くなったときに傷ついた体はいつの間にか癒え、濡れそぼって汚れた衣服はさらさらと乾いていく。
そこに迎えにやってくる、亡くなったたくさんの人たちよりもさらにたくさんの、親しかった人、動物。
自分たちよりも先に亡くなった、親しかった人々や、動物たち。
そこここで再会の抱擁がかわされ、犬たちが尻尾をぶんぶん振ってそのまわりを駆け回る。
見送った猫たちに完全包囲される人もいれば、
会ったこともなかったひいおじいちゃんひいおばあちゃんにぼてくりまわされる子もいる。
ひとしきり再会を喜び合ったあと、
見渡す限りのオレンジ色の中、
彼らは手をつなぎ、夕日のほうへと歩いていく。
楽しげに笑いながら、夕日のほうへと歩いていく。