初回
DQX毛皮を着たヴィーナス
前回
『毛皮を着たヴィーナス』餅
<置手紙>
わたしは自分の部屋にもどると、二、三の持ち物をひとまとめにして荷造りし、彼女にあてて、つぎのような手紙を書いた。
親愛なる淑女よ
わたしはこれまで気が狂うほどあなたを愛し、これまでに例がないほど献身的にあなたにつくしてきました。
それなのに、あなたはわたしの神聖な熱情を無意味にし、
わたしを相手に、恥知らずで不謹慎な遊戯をやってきました。
あなたが残忍で無慈悲だけであったならば、わたしにはまだまだあなたを愛しつづけることができたはずでです。
しかし今では、あなたが蹴ったり、モチをついたりできる奴隷ではありません。あなた自身がわたしを自由の身にしてくれました。
わたしは、ただ嫌悪し、軽蔑している婦人にすぎないあなたから、永遠に別れ去ります。
ゼフェリン・クジムスキー
わたしはこの手紙を黒人女に託してその場を去り、息をきらして停車場へ急いだ。
しかしわたしは心の苦痛で足をとめないではいられなかった。わたしの足は急に鉛の塊よりも重たくなってしまった。
____逃げようと願っても、できない。恥ずかしい。引き返す?どこへ?嫌悪しながらも崇拝している彼女のもとへ?
____いや、どうしたらフィレンツェからのがれることができるだろうか?懐中には一銭のお金もない。かまわない。
歩いていこう。娼婦のような女に養ってもらうよりは、正直な乞食になる方がましではないか。
____いや、彼女は、わたしが名誉にかけた誓約の言葉を握っている。それなら、彼女のもとへもどらねばならない・・・・
わたしはカシヌの町を通り抜けて、アルノ河のほとりに出た。わたしは、二本の柳の根もとで黄色い河波が単調なしぶきをあげているあたりに腰をおろして、最後の思い出の総決算にとりかかった。
わたしは、恐ろしい病気にかかってやせ衰えて死んでいった母のことを思った。青春の花の蕾のうちに死んだ、弟を思った。幼な友だち、学友たちのこと、かつて賞玩した雉子鳩(きじばと)のことを思った。
わたしは狂気したように高笑いして、水のなかへ身をすべらしたが、そのまま黄色い河水のなかに没し去ることはできなかった。水面に垂れ下がっている柳の枝をつかんで、岸辺にあがってしまった・・・・
わたしは、屈辱の思いと発熱で顔をまっ赤にして、とぼとぼ彼女の別荘へ戻ってきた。
____自殺のできない弱虫のわたし。こうなったら彼女に殺してもらうより仕方がない。
わたしはそう思って柱廊のそばまでくると、彼女が欄干のうえによりかかって、緑の目でわたしのほうをじっと見ていた。
「まだ生きていたの?」
彼女は冷然と言った。
「・・・・・」
わたしは黙って頭を下げた。
「短刀を返してちょうだい。自分で自分の命を絶つ勇気もないようなあなたは、用はない品物ですから」
「なくしてしまいました」
わたしは悪寒にうちふるえた。
「アルノ河でね、フフフ」
彼女は冷笑して、肩をすくめて、
「どうして、そのままどこかへ行ってしまわなかったの? ああ、お金がなかったんだわね。これを持っておいで」
といって、言葉に絶する侮辱の身ぶりをして、わたしの目の前へ財布をほうり投げた。わたしはひろいあげなかった。
「行く気がないのね___?」
「わたしには行けません」
わたしは、しばらく圏内でぶらぶら暮らしていた。ある日、二羽の雀が種子を争って喧嘩しているのを見ていると、きぬずれの音が聞こえてきた。ふり返ってみると、ヴァンダが地味な黒い絹のガウンを着て近づいてきた。例のギリシャ人の青年もいっしょであった。
ふたりはなにか、しきりと言い争っていた。彼は憤慨して砂利を蹴って、乗馬用のムチをびゅーんとうち振った。彼女はびっくりした。
やがて彼は、さっさと立ち去った。彼女がいくら懇願をこめて引きとめようとしても、無駄だった。
次回
『毛皮を着たヴィーナス』わな