初回
DQX毛皮を着たヴィーナス
前回
『毛皮を着たヴィーナス』画家
<絵画>
画家は痛さにたえかねてひるんだ。
しかし彼女は、なかば口をあけて、赤い唇の間から白い歯を光らせて、一打ち、二打ち、三打ちと続けざまにムチの雨を降られた。そのたびに彼は歯ぎしりして、からだをくねらせてがまんしていたが、ついに青い目に憐みを乞う色を示した。
次の日、彼女は画家の前で椅子に腰掛けていた。画家は画布に向かって、彼女の頭の半分を描いていた。
わたしは控えの間のカーテンの蔭に身を隠して彼女の指図を待っていたから、彼女と彼との姿をのぞき見することさえできなかった。
わたしの神経は針のようにとがって、空気イスで空想をたくましくした。
____彼女はいま、いったいなにをくわだてているのだろうか?画家を警戒しているのだろうか?彼を追いつめて、ほんとうに気狂いにするだろうか?それとも、
わたしにたいして、新しい苦痛をあたえようとたくらんでいるのだろうか?
わたしの膝はガクガクしてきた。
彼女と彼とは、なにかひそひそと話している。その声はあまりに低かったので、わたしにはなにひとつ聞きとれなかった。二人の間には、なにか約束でもかわされたのではあるまいか?わたしの胸はいらだつばかりであった。わたしはおどろくほど恐ろしい苦痛を味わった。わたしの心臓ははり裂けそうだった
二人の話し声がいくらか大きくなってきた。彼は彼女の前にひざまずいて彼女のからだを抱きしめ、彼の頭を彼女のふくよかな乳房のあたりに押しつけた。彼女は嬌声をたてて笑った。
「ああ、そうなの!あなたは、もう一度、わたしにムチをふるって欲しいとおっしゃるのね」
「ああ、ヴィーナスさま、ヴァンダさま、あなたはお情けをお持ちではないのですか。わたしを愛することはできないのですか?愛するとはなにを意味するか、恋慕と情熱で身の細る思いをするというのは、どういうことなのか。あなたはご存知ないのですか?ボクのこの気持ち、苦しんでいる気持ちがわかっていただけないですか、ボクをふびんだと思っていただけないですか?」
「別に、思わないわね」
と彼女は高圧的に、冷笑的に、吐き出すようにいってから、
「でも、わたし浣腸は持っているわよ」
「便秘だもんね」
というが早いか、ナースの外套のポケットから浣腸器具を取りだして、その柄でこっつんと彼の顔をごづいた。
彼は思わず立ちあがって、彼女から二三歩身を引いた。
「もう一度苦しむご用意はできていて?」
「・・・・・」
彼はうらめしそうに彼女を一瞥すると、黙って画架前へ行って、鉛筆とパレットを手にして作業をつづけた。
その絵は驚異的な成功を収めた。色彩の鮮明なことは神技に近く、悪魔的でさえあった。おそらく彼は彼女からうけた苦痛と、彼女への崇拝の情感のすべてを、そして彼女への呪いのすべてをこの絵のなかに盛り込んだのであろう。そんな情感がなまなましくにじみ出ている。
ほどなく、わたしの姿をその絵のなかに描き込むことになった。わたしと彼とは毎日数時間ずつ二人だけになった。
ある日、彼はふとわたしをふり返って、ふるえる声でいった。
「君はこの女性を愛しているのですか?」
「そうですだっちよ」
「ボクもやっぱり、愛しているのだ」
彼の目は涙でおおわれた。そしてしばらく黙って考え込んでいたが、また絵筆を動かして、
「故郷のドイツには山がある。彼女のすむ山が、・・・・・彼女というのは、悪魔のことさ・・・・」
と彼はひとりごとのようにつぶやいた。
数日後に絵はできあがった。
彼女は女王らしい態度で、画料を支払おうといった。しかし彼は苦闘をふくんだ笑顔をして、
「いいえ、けっこうでございます。もう、お支払いずみでございます」
と頭を下げた。
彼はこの別荘に別れをつげる前に、わたしをそばへ呼んで、折り鞄をひらいてなかを見せた。
「あっ!」
とわたしはおどろきの声をはなった。
そこには彼女の生き写しの顔があったからだ。鏡のなかからこちらを見ているときのような目つきで、わたしのほうを見ていた。
「ぼくはこれを持っていく。これはぼくのものだからね。いくら彼女でも、ぼくからこれを取りあげるわけにはいかない。ぼくは心の血汐でこれを手に入れたのだからね。さようなら!」
彼女が去ったあとで、彼女はわたしにいった。
「かわいそうに、あの画家は、なんだか気の毒したみたいね」
「・・・・」
「わたしのように操を守るのも、バカげているわね。そう思わない?」
「・・・・」
「あ、わたし、奴隷と話していたのね、忘れていたわ。わたし、少し外の空気にあたりたくなったわ。気分を転換してなにもかも忘れたい。釣り竿の用意をして!」
次回
『毛皮を着たヴィーナス』雌雄