なす日々

何かを成すつもりが、気がつけばこの歳に・・・でも、生きていれば何かは成している。

そを聴きにゆく

2024-03-06 07:06:57 | 雑感

なんとなくTVを流し見していたら(多分NHK)

盛岡のひな祭りの特集をしていた。

 

江戸時代からのおひな様、花巻人形など埋もれていたのを

街の方が集めて展示しているというような内容だった。

 

その立ち上げをした方が、説明等で出ていらしたのだが・・・

ちょっと、姑に声が似ていたのである。

 

姑は20代前半で結婚し、夫(私にとっては舅)と関東に出てきたので

もう、私が夫と結婚した時は関東暮らしの方が長かった。

それでも、あの、独特の鼻濁音と少しだけ方言が残っていた。

 

結婚して、すぐに姑と完全同居をしたので

姑との距離は近く、今も、姑の好物や旅行や店などに行くと

「これ、お姑さんに食べさせてあげたかったな」

「ここ、お姑さん来たら喜ぶだろうな」と亡くなって大分経つのに

家に姑を残して外出した時のように思ってしまう事もある。

 

ただ、その時は、何か寂しいとか負の感情はなく

まるで生きているときと同じように思うだけなのだ。

 

それが、この不意打ちのような「お姑さんの声」にはやられてしまった。

暫く、その場を動けなかった。

 

姑と同居していた時は、勿論姑はとても良い人で

私も実の娘のようにかわいがってくれたが

正直、煙たいと思う事も多かった。

 

でも、長年一緒に暮らしている内に

やはり、自然と家族になっていたのだなぁ、と改めて思う。

 

実母は、カリスマ性があり魅力的な人であったが

所謂「毒母」だった。

気質と家庭環境がそういう母にしたのだと理解しているので

姉ほど引き摺っている訳ではないけれど

それでも、姑のような母性溢るる人と過ごしたのは

自分が得られなかった「母」を与えて貰えた貴重な時間だったのだと思う。

 

週末、お墓参り行こう。