なんとなくTVを流し見していたら(多分NHK)
盛岡のひな祭りの特集をしていた。
江戸時代からのおひな様、花巻人形など埋もれていたのを
街の方が集めて展示しているというような内容だった。
その立ち上げをした方が、説明等で出ていらしたのだが・・・
ちょっと、姑に声が似ていたのである。
姑は20代前半で結婚し、夫(私にとっては舅)と関東に出てきたので
もう、私が夫と結婚した時は関東暮らしの方が長かった。
それでも、あの、独特の鼻濁音と少しだけ方言が残っていた。
結婚して、すぐに姑と完全同居をしたので
姑との距離は近く、今も、姑の好物や旅行や店などに行くと
「これ、お姑さんに食べさせてあげたかったな」
「ここ、お姑さん来たら喜ぶだろうな」と亡くなって大分経つのに
家に姑を残して外出した時のように思ってしまう事もある。
ただ、その時は、何か寂しいとか負の感情はなく
まるで生きているときと同じように思うだけなのだ。
それが、この不意打ちのような「お姑さんの声」にはやられてしまった。
暫く、その場を動けなかった。
姑と同居していた時は、勿論姑はとても良い人で
私も実の娘のようにかわいがってくれたが
正直、煙たいと思う事も多かった。
でも、長年一緒に暮らしている内に
やはり、自然と家族になっていたのだなぁ、と改めて思う。
実母は、カリスマ性があり魅力的な人であったが
所謂「毒母」だった。
気質と家庭環境がそういう母にしたのだと理解しているので
姉ほど引き摺っている訳ではないけれど
それでも、姑のような母性溢るる人と過ごしたのは
自分が得られなかった「母」を与えて貰えた貴重な時間だったのだと思う。
週末、お墓参り行こう。