今日は息子の心療内科の日。
試験休みに入ったので午前中の受診予約だった。
待合の顔ぶれも、ちょっと違う・・・意外と若い人が多いかな。
いつもは、午後最後の回なので勤め人が多い印象。
息子の症状は、薬が出た後も変わらず。
寧ろ無気力になることも多いので自主的に辞めてしまった物もある。
どうも、自分の症状がきちんと伝わっていないのかも、と息子。
私は、口頭で説明しづらいのならば、と、事前に書いておくのを勧めた。
そんな中、改めて発症の時期を聞いているときに
「これ、初めて話すかも」と具体的なきっかけを話してくれた。
それは、あるテレビドラマ内の話で、内容が怖くなって最後まで観られなかった、と。
その内容は確かに自分に置き換えると辛い事だったが
多分、その恐怖自体を理解できる子も少ないだろうし(当時小二)
また、額面通り受け取ってしまう(機微が読めない)のも年齢的な事もあるが
息子の特性による物かもしれない。
そして、そこまで怖くなるのは、過敏さもあるような気がする。
ただ、私が
「そのテレビドラマは、後味が悪いまま完結するタイプではないので
その先は~だったと思うよ」と私なりにストーリーを完結させた物を伝えてみた。
すると、息子は「あ、なんか心が軽くなった気がする」と言ってきた。
正直、内容について、小二の子がそこまで心を痛めるのか、と驚いたのと
そのドラマ内容も詳しく覚えているのに、何故、今までの聞き取りの際
言わなかったのだろう?と思ったが、息子にとって、心療内科に通い始め
少しずつ開示できるようになり、今がそのタイミングだったのかもしれない。
息子の不安症状の強さの源を見た気がした。
そして、受診。
今まで、医師が質問、息子が答える、医師が私に様子を聞く、私が答える。
一見、キャッチボールが成立しているかに思えたが
ここにきて、医師の特性的な物が垣間見られた。
拝聴が難しいタイプだ。
そして、ライブ的な話し合いでの弱さ、型にはまった物を外すのが難しいらしく
医師が違う、と思ったら、中々こちらの話を聴こうとしないのだ。
医師がAという結論を出す。
私もAというのは同意だが、それは、療育指導の際の診断結果や
私が見た息子の特性を鑑みて、こういう事ではないですか?と
そこに至る課程についての意見を聞こうとしたのが
何故か、私の一つの言葉に拘って「それは違う」と。
改めて、医師の言葉を肯定し、その上で、と筋道を一から立て直したら
賛同を得られ、その後はスムーズだった。
こういう事は療育現場でも良くあった。
心理士や通級教師などとは、寧ろ、立場を超えて息子の話以外の療育のあり方等
もう、保護者として以外の話で盛り上がってしまう事が多かったが
発達外来の医師などとは「どうして、そんな結論に?そういう意図じゃないのに」と
こちらの話がうまく伝わらない人が何人かいた。
その中でも、息子の発達外来の医師で、有能だが親泣かせで有名な人がいた。
子には絶対的味方なので、子どもにとっては素晴らしい医師だが
親には言葉を選らばず断定的なので、受診中親が泣いてしまう事も多々。
診察後、親の方に看護師のフォローが入るという、凄い人だった。
仕事で共通の医師と携わる息子の心理士までも
「最近、FAXで文頭に挨拶してくるようになったのですよね。
ソーシャルスキル講座でも行ったのかも」と仕事仲間内でも言われるほどだった。
(ちなみにこの話は、もう、心理士と親としての関係以上になってから)
ただ、息子が、もう、発達外来に来なくても良いという診断後、
その医師が
「お母さんの適切な導きがあったから、今の息子さんなのです」と
言われたときは、目頭が熱くなった。
(私は泣くほどひどい目?にはあった事はなかったが
このときばかりは・・・)
親には厳しいが、それは、子どもの成長と心を守るため。
お世辞など一切言えないその医師が発した言葉は
どんな美辞麗句よりも最高の賛辞とねぎらいだった。
今回の受診で、薬はあまり意味がないのかもしれないので
(大人用だったら、まだ他にもあるが今の年齢で出せる薬では
もう、適当なのがないらしい)次回はカウンセリングを受けますか?と言われ
二つ返事でOKをした。
それは、息子も夫も私も共通した意見だったのだ。
この医師も、その発達外来の医師のように
息子には十分寄り添ってくれる事を信じたい。