中高生の頃読んだことのある作家であるが、教科書的な知識しかない。
いくつか知る素朴な絵や、題名以外忘れてしまった小説の作者として覚えている程度。
失礼ながら時代遅れの作家と受け止めた。「新しき村」も、理想を求めて作られたにしては、
こぢんまりしたたたずまいに軽い驚きを禁じ得ない。村民に接した印象は、悪くはなかった。
宮崎と埼玉の村民は、合わせても20人以内。ほそぼそと暮らしているようだ。
気になる村ではあるので、美術館で買った「新しき村について」という小冊子を読んでみた。
新しき村の趣旨が書かれている。今の風潮とは合わず、関心を持つ人は少ないと思われる。
しかし、武者小路の主張を読んでみると、言葉は昔風だが、言いたいことは現代にも通じる。
自らの態度と、村民外の人との関わりは、杉下右京のごとく、淡々としており、無理がない。
自己を生かす道は、他者を生かす道に通じさせたいが、無理押しはしない。
来るものは拒まず、去る者は追わずの立場をとる。もっとも共感を持ったのは、
「協力は独立人同志で行われて始めて本当の協力と言える」という言葉だった。
村(組織)に自由意思で集まった個人は、一人で立てる人であって始めて、
無理のない協力ができるという意味であろう。
私も意に沿わない協力はしたくない。協力するからには、その意義を押さえて関わりたい。
一見きれい事と捉えられる言葉が並ぶ。中高生の頃の正しく生きたいという思いと重なる。
しかし、その頃は思いだけが先走っていた。空理空論でもあっただろう。
この歳まで生きてきて、自分の汚れ、ずるさ、弱さも知ってなお思う、誠意を生かす道、
自己を生かす道を求める武者小路の言葉には十分共感できる。