いやー驚きましたねぇ‥‥突然の番組終了報告!
◆「いいとも!」来年3月終了 タモリ感謝「32年、フジが守ってくれた」(デイリースポーツ)◆
私が物ごころついたときにはもう始まっていた番組。学校が休みの日などはかならず視てましたからね。
「笑っていいとも!」をきっかけに、生まれて初めて好きなったお笑い芸人がタモリさん。
いつか自分もテレフォンショキングに出てやろうと、ずっと夢を見続けてきましたが、とうとうその夢は叶えられることなく‥‥
好きなコーナーは何だっただろう。
色々あったけど、わりとコンスタントあった「女装もの」とか好きでしたねぇ。‥やっぱりねって感じ?(笑)
それと「いいとも」で一躍有名になったり、名を上げた一般人の方も結構いましたよね。
藤木相元先生に安斎勝洋さん、昔でいえばマジシャンの赤尾くん?w (彼今何してるのかなぁ)
生放送ならではといいますか、様々ハプニングに見舞われたこともありました。
一番覚えているのは、手錠事件!その放送を目の当たりにしていたので、トラウマ度は個人的にナンバー1です。
ネットなどでみると事実とは少し異なっていることが語られたりしていて、いまいち釈然としなかったのですが、今回これを機に「あの日」のことを“正確”に、振り返ってみようと思います。
自信を持って言います。私の記憶はたしか!です。
放送日は‥これは申し訳ない、定かではないのですが1995年の、遅くとも2月くらいまで。
なので、少し先走りますけど、手錠を切った青年隊は工藤兄弟ではなく、あさりどだったはずです。
問題のシーンは素人参加型の企画でステージ上でダンスを披露し、タモさんら審査員がそれを評価するといったコーナー。その日は司会者役として久本雅美さんと当時の近藤サトアナ。審査員にタモさんと片岡鶴太郎さん、それからゲストのオナペッツ。
目立ちたがり屋な派手で一風変わった装飾などを身につけて登場してくる素人さんが多かったなかで、その人はごく普通の、スーツだけを身にまとった男性。この時点でまぁ異色といわれればそうだったかも。
当たり障りなく、ひと通り踊り終えたあと、男はおもむろにタモさんの元へ歩みより『お土産を持ってきた』を背広から何かを取り出します。一般人からのおもわぬ好意に、タモさんも手を差し出しますが‥‥
『オカチマチで買ってきた』と、取り出したブツは、なんと手錠。
それを素早く片方を自分の腕に、もう片方はタモさんの手首にくくりつけます。この時すでに久本さんは何か“危険なもの”を感じ取ったのかコーナーの進行を続け、カメラも次に出てきた素人さんを捉えていました。
その人のダンスが終わった頃でしょうか‥‥
『いつまでそこにいるんだよ!』
声の主は鶴太郎さんで、何か真面目にキレています。カメラをそこに向けると、タモさんの横には、まだ男の姿が!
ただならぬ気配に客席がざわつき始めます。その後、若干苦笑いを浮かべたタモさんの口にした言葉が衝撃的でした。
『飲みこんじゃったみたい‥』
手錠を外すための鍵を、どうやらその男が口から飲みこんでしまったとのこと。客席からは悲鳴にも似た声が上がり、関わったすべての人が今でいう 「どん引き」状態。鶴太郎さんの表情がみるみる険しくなってゆきます。
これは一大事!と、すぐさまあさりどの‥確か堀口さんの方が(ぜひ本人に聞いてみたいな)、ペンチを持って駆けつけ、ふたりを繋いでいた手錠を切断し、男も退場させて、番組進行上には事なきをえました。
‥ペンチで切れるくらいだからオモチャだったのでしょう。モノホンだったらもっと大騒動になるところでした。
ただ、タモさんの手首にはまだ手錠の“ワッパ”がついたまんまで、次のコントコーナーに行かざるをえなくなり、鶴太郎さんの怒りは幾分収まったものの『ちゃんとオーディションしてんのかよ』などと、半ば呆れていたようなご様子。
大ベテランのタモさんはさすがで、動揺した様子をさほどみせることもなかったのですが、鶴太郎さんの一連の発言などを考慮すると、放送終了後はスタッフ総出で「大反省会」が行われたのではないでしょうか。
出演者の言葉、一語一句までは合っていない可能性はありますが、シチュエーション的にはほぼこれで間違いありません。
32年も生でやっていればこういった「放送事故」も、そりゃ起きますよね。これ以外にも多種多様なハプニングはありましたが、都度飄々と切り抜けてきたタモリさん!とにかく長い間本当にお疲れさまでしたm(__)m
◆「いいとも!」来年3月終了 タモリ感謝「32年、フジが守ってくれた」(デイリースポーツ)◆
私が物ごころついたときにはもう始まっていた番組。学校が休みの日などはかならず視てましたからね。
「笑っていいとも!」をきっかけに、生まれて初めて好きなったお笑い芸人がタモリさん。
いつか自分もテレフォンショキングに出てやろうと、ずっと夢を見続けてきましたが、とうとうその夢は叶えられることなく‥‥
好きなコーナーは何だっただろう。
色々あったけど、わりとコンスタントあった「女装もの」とか好きでしたねぇ。‥やっぱりねって感じ?(笑)
それと「いいとも」で一躍有名になったり、名を上げた一般人の方も結構いましたよね。
藤木相元先生に安斎勝洋さん、昔でいえばマジシャンの赤尾くん?w (彼今何してるのかなぁ)
生放送ならではといいますか、様々ハプニングに見舞われたこともありました。
一番覚えているのは、手錠事件!その放送を目の当たりにしていたので、トラウマ度は個人的にナンバー1です。
ネットなどでみると事実とは少し異なっていることが語られたりしていて、いまいち釈然としなかったのですが、今回これを機に「あの日」のことを“正確”に、振り返ってみようと思います。
自信を持って言います。私の記憶はたしか!です。
放送日は‥これは申し訳ない、定かではないのですが1995年の、遅くとも2月くらいまで。
なので、少し先走りますけど、手錠を切った青年隊は工藤兄弟ではなく、あさりどだったはずです。
問題のシーンは素人参加型の企画でステージ上でダンスを披露し、タモさんら審査員がそれを評価するといったコーナー。その日は司会者役として久本雅美さんと当時の近藤サトアナ。審査員にタモさんと片岡鶴太郎さん、それからゲストのオナペッツ。
目立ちたがり屋な派手で一風変わった装飾などを身につけて登場してくる素人さんが多かったなかで、その人はごく普通の、スーツだけを身にまとった男性。この時点でまぁ異色といわれればそうだったかも。
当たり障りなく、ひと通り踊り終えたあと、男はおもむろにタモさんの元へ歩みより『お土産を持ってきた』を背広から何かを取り出します。一般人からのおもわぬ好意に、タモさんも手を差し出しますが‥‥
『オカチマチで買ってきた』と、取り出したブツは、なんと手錠。
それを素早く片方を自分の腕に、もう片方はタモさんの手首にくくりつけます。この時すでに久本さんは何か“危険なもの”を感じ取ったのかコーナーの進行を続け、カメラも次に出てきた素人さんを捉えていました。
その人のダンスが終わった頃でしょうか‥‥
『いつまでそこにいるんだよ!』
声の主は鶴太郎さんで、何か真面目にキレています。カメラをそこに向けると、タモさんの横には、まだ男の姿が!
ただならぬ気配に客席がざわつき始めます。その後、若干苦笑いを浮かべたタモさんの口にした言葉が衝撃的でした。
『飲みこんじゃったみたい‥』
手錠を外すための鍵を、どうやらその男が口から飲みこんでしまったとのこと。客席からは悲鳴にも似た声が上がり、関わったすべての人が今でいう 「どん引き」状態。鶴太郎さんの表情がみるみる険しくなってゆきます。
これは一大事!と、すぐさまあさりどの‥確か堀口さんの方が(ぜひ本人に聞いてみたいな)、ペンチを持って駆けつけ、ふたりを繋いでいた手錠を切断し、男も退場させて、番組進行上には事なきをえました。
‥ペンチで切れるくらいだからオモチャだったのでしょう。モノホンだったらもっと大騒動になるところでした。
ただ、タモさんの手首にはまだ手錠の“ワッパ”がついたまんまで、次のコントコーナーに行かざるをえなくなり、鶴太郎さんの怒りは幾分収まったものの『ちゃんとオーディションしてんのかよ』などと、半ば呆れていたようなご様子。
大ベテランのタモさんはさすがで、動揺した様子をさほどみせることもなかったのですが、鶴太郎さんの一連の発言などを考慮すると、放送終了後はスタッフ総出で「
出演者の言葉、一語一句までは合っていない可能性はありますが、シチュエーション的にはほぼこれで間違いありません。
32年も生でやっていればこういった「放送事故」も、そりゃ起きますよね。これ以外にも多種多様なハプニングはありましたが、都度飄々と切り抜けてきたタモリさん!とにかく長い間本当にお疲れさまでしたm(__)m