いよいよ【ぼくは麻理のなか】が来週、最終回を迎えます....
ちょっと個人的に言いたくてウズウズしていたことが、本編とは別にありました。
“ネタバレ”になってしまうから避けていたんだけれど、クライマックスに近づき、薄々勘づいている方もおられるだろうし、そもそもここへ訪れている方は原作に目を通している方がほとんどだろうってことで、勝手に解禁w
麻理のなかにあった、別人格‥‥。それが小森功という、オタッキー。
実在する人物の人格が宿るのは、けっこう珍しいパターンかと思われます。だから、当初は「入れ替わり」マンガとしても成立していました。
昔、俳優の三上博史が主演を務めていた番組に多重人格を扱ったドラマがありましたけど、あれもすべて架空の人格。
架空の人格に変わりはありませんが、同じ三上博史主演のドラマで、2003年放送の 【共犯者】。
こちらはひとりの女性(浅野温子)に、三上の人格が宿っていたという点においては「ぼく麻理」に近い設定ともいえます。
小森のようなオタク程度の男の人格なら、まだいい(?)。このとき女性に宿っていたのは、なんと殺人も厭わない、凶悪なオトコ‥‥。
むろん、オトコは実在などせず、女性が脳内だけでつくり上げていた産物に過ぎなかったのですが、“共謀”して数多の殺人を繰り返していくことになります。
オトコを、あたかも「共犯者」として視聴者に見せかけるためのトリック、演出がハンパなかった!
なにせ1時間ドラマの全10話‥‥。引き延ばし、引き延ばして、ようやくラストで全貌が明らかになるのだから、ドラマ版「ぼく麻理」とは格段にスケールがちがいますw
「ぼく麻理」の劇中歌に使われている【僕は雨のなか】という曲のなかに 『追いかけても~追いかけても』なんて歌詞がありますが、この表現は的確。
なかなか三上博史に“たどり着けなかった”女の悲劇は、サスペンスなドラマとしてみても「一級品」であったといえるでしょう。
‥ただ、このドラマで、筆者は何点か解からないことがあったんですよね。
ひとつは電話のトリック。舞台はオフィスにて。
オトコが内線をかけるシーンがあって、それを実際に女性の側が受けているのです。
あれれ?ふたりは“同一人物”であるはずなのに、おかしくないですか?と。
同様な場面が「ぼく麻理」でも見受けられましたけど、あのときは実在する方の小森が「音声変換器」を使用し、麻理を欺いていたという事実が発覚‥。
さて【共犯者】のケースは、どうだったのでしょうか。
女性は、たしかに内線を受けていた‥‥では電話をかけた相手は誰だったのか?
その着信自体、そもそも女性の妄想で‥という線もなきにしもあらずですが、電話がなっていたのは、隣のデスクにいた同僚も確認しています。
うーん‥‥ますます解からない。このカラクリ(^^;
あと、殺人に手を染め、遺体を運び、山中に穴を掘って埋めるという行為までを、華奢な女性がすべて一人でやっていたというのも、にわかには信じられません。
「共犯者」の存在があるものとばかり思っていたので、視聴者はそれを後になって知ったことなるのですが‥。相当な怪力ですよね(笑)
これら一連のトリックがお解りになる方がいらっしゃいましたら、どうかご一報いただきたいものです。
《関連》
■共犯者 DVD-BOX
ちょっと個人的に言いたくてウズウズしていたことが、本編とは別にありました。
“ネタバレ”になってしまうから避けていたんだけれど、クライマックスに近づき、薄々勘づいている方もおられるだろうし、そもそもここへ訪れている方は原作に目を通している方がほとんどだろうってことで、勝手に解禁w
麻理のなかにあった、別人格‥‥。それが小森功という、オタッキー。
実在する人物の人格が宿るのは、けっこう珍しいパターンかと思われます。だから、当初は「入れ替わり」マンガとしても成立していました。
昔、俳優の三上博史が主演を務めていた番組に多重人格を扱ったドラマがありましたけど、あれもすべて架空の人格。
架空の人格に変わりはありませんが、同じ三上博史主演のドラマで、2003年放送の 【共犯者】。
こちらはひとりの女性(浅野温子)に、三上の人格が宿っていたという点においては「ぼく麻理」に近い設定ともいえます。
小森のようなオタク程度の男の人格なら、まだいい(?)。このとき女性に宿っていたのは、なんと殺人も厭わない、凶悪なオトコ‥‥。
むろん、オトコは実在などせず、女性が脳内だけでつくり上げていた産物に過ぎなかったのですが、“共謀”して数多の殺人を繰り返していくことになります。
オトコを、あたかも「共犯者」として視聴者に見せかけるためのトリック、演出がハンパなかった!
なにせ1時間ドラマの全10話‥‥。引き延ばし、引き延ばして、ようやくラストで全貌が明らかになるのだから、ドラマ版「ぼく麻理」とは格段にスケールがちがいますw
「ぼく麻理」の劇中歌に使われている【僕は雨のなか】という曲のなかに 『追いかけても~追いかけても』なんて歌詞がありますが、この表現は的確。
なかなか三上博史に“たどり着けなかった”女の悲劇は、サスペンスなドラマとしてみても「一級品」であったといえるでしょう。
‥ただ、このドラマで、筆者は何点か解からないことがあったんですよね。
ひとつは電話のトリック。舞台はオフィスにて。
オトコが内線をかけるシーンがあって、それを実際に女性の側が受けているのです。
あれれ?ふたりは“同一人物”であるはずなのに、おかしくないですか?と。
同様な場面が「ぼく麻理」でも見受けられましたけど、あのときは実在する方の小森が「音声変換器」を使用し、麻理を欺いていたという事実が発覚‥。
さて【共犯者】のケースは、どうだったのでしょうか。
女性は、たしかに内線を受けていた‥‥では電話をかけた相手は誰だったのか?
その着信自体、そもそも女性の妄想で‥という線もなきにしもあらずですが、電話がなっていたのは、隣のデスクにいた同僚も確認しています。
うーん‥‥ますます解からない。このカラクリ(^^;
あと、殺人に手を染め、遺体を運び、山中に穴を掘って埋めるという行為までを、華奢な女性がすべて一人でやっていたというのも、にわかには信じられません。
「共犯者」の存在があるものとばかり思っていたので、視聴者はそれを後になって知ったことなるのですが‥。相当な怪力ですよね(笑)
これら一連のトリックがお解りになる方がいらっしゃいましたら、どうかご一報いただきたいものです。
《関連》
■共犯者 DVD-BOX