「八ッ場ダム」中止 「地元」だけの問題か
2009/9/24
<テレビウォッチ>群馬県長野原町の八ッ場ダム。前原誠司国交相を迎えたのは住民らの話し合い拒否だった。
翻弄され続けた住民の気持ちは痛いほど分かる。が、国交省の調査では治水・利水の点で必要性がきわめて低いダムという。それでも完成させる必要があるのか……
スタジオでは、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)が「いきなり難問中の難問に遭遇しましたね。住民にしてみれば、政党と約束したわけでなく国と約束したわけだから妥協は難しい」と。
しかし、前原国交相にしてみれば、ダム事業とのかかわりはいきなり遭遇したわけではなく9年前の『緑のダム構想』に遡る。
国の直轄事業のなかでも膨大な費用と時間をかけ作るダムは、作っているうちに時代にそぐわなくなり、環境を破壊しただけの無用の長物になっているケースも多い。
そこでダムに頼らず森林の保水力で治水能力を高めようというのが『緑のダム構想』。現在、建設中や計画途上にある全国のダムを見直すスタートが八ッ場ダムだ。
群馬県知事が「政権が変わったから今度は必要ないと言われては地元はたまったものではない」と前原国交相に訴えていたが、政権交代でようやくその見直しが可能になったのである。
スーパーモーニングが八ッ場ダムについて、近頃のマスコミにしては、割とまともな事を言っていた。
「長年反対し続けてきた住民をねじ伏せて、とうとう造り始めたダムなのだから、今度は住民の犠牲を無駄にするような事だけはしないで欲しい。」と言う住民の意見なるものは、一見筋が通っているように見えるけれど、
良く考えたらそんな事だけの為に、住民がそこまで強硬に反対するだろうか?
ダム湖に沈められるはずだった所の住民は、
もう古い家を手放して新しい生活が始まっているから、「今さら計画を変えられたらたまらない。」と言って民主党政権のダム建設中止に反対しているとマスコミは言う。
前原大臣は、既に受け取った住民の家や田畑の代金を、政府に返金して、
又古い家にもどれと言っているのだろうか?
建設中止反対に躍起となっている報道でも、そんな話は全然聞かない。
既に移転した住民は、現在住んでいる新しい家に、これからも住み続ければよいだけのはずである。
旧住宅その他に対する保証金を返却する必要が無いのなら、
住民にとってダムを造るのと作らないのとでは、どちらがメリットが大きいだろう?
*ダムを造らなかったら、昔の家のそばに行きたい時には、何時でも行く事ができる。
*その一方ダムを造ったら、古里は水の底に沈められて、二度と訪れる事はできなくなる。
比較してみたら、政府の新方針通りに、ダムを造らない方が好いに決まっていると思えるのに、現地住民はダム建設中止に反対していると、
群馬県知事やその他関係者は言う。
しかし私には、住民の反対理由がどうも分からない。
テレビの放送中、チラッとだけどダム建設中止賛成と言うプラカードを持った住民の姿が映っていた。
住民が皆反対していると言うのは、ダムを造り続けたい者達の、作り話ではないだろうか?と言う疑問も湧いてくる。
ダムを造っても鉄砲水には効力が無いし、水資源も昔ほどの需要が有る訳ではないといった具合に、
ダムを造るメリットがほとんど無い上に、
自然環境を破壊すると言うデメリットが有ると言うのだから、
此処までの過程で投入した税金が勿体ないから、完成させるべきなどと言うのは、
本末転倒もはなはだしいと思う。
もうこれ以上1円もダム建設のために、新たに税金を使うなどもってのほかの事であると思う。
例え此れまでに造ってしまって、もういらなくなった構造物を壊す為に必要な金額と、同じ金額でダムを完成させる事ができるとしても!
此れまで失政によって無駄な税金が、湯水のように蕩尽され続けてきたけれど、
民主党政権は違うのだと言う事を天下に知らしめるためにも、
前原国交相はごり押しに負けないで、頑張ってほしいものである。