滝田城の兵士と民はまず岩熊鈍平を討とうとして、二の城戸狭しと集まった。そして鬨の声を上げた瞬間、思い掛けなくも城戸が開いた。
皆がまず見たのは、槍の穂先に貫かれた生首だった。そして大きな声が響いた。
「皆、私たちに何かしようというのか。私は最早非を悔いて、逆賊に従うのを止めたぞ。気持ちを寄せ手の里見勢に通わせて、人食い馬の定包を誅伐した。さあ、皆よ、ともに城を開いて里見の殿を迎え入れよう。これ以上、同士討ちはするな」
城戸を颯爽と押し開き現れたのは、華やかな武装で着飾った数多くの兵を従えて、岩熊鈍平と妻立戸五郎が床几に座っていた。
軍配を持って攻め込もうとした者たちを招こうとするので、人々は半分呆れ、戸惑ってしまった。
しかし槍の先の首を見上げると、間違いなく山下定包である。
さては岩熊鈍平と妻立戸五郎は逃げ逃れる手段がないことを悟って、山下定包を討取ったのであろう、憎い奴らめ、と皆は思ったが、今更同士討ちはできずに、やむを得ず里見の軍を迎え入れようとする命令に従わざるを得ない。
滝田城の櫓に降参の旗を立てて、大手門を開くと、岩熊鈍平と妻立戸五郎は先頭に立って寄せ手を迎えた。
里見の先鋒は金碗八郎だったが、子細を良く聞き取って山下定包の首を受け取った。
軍法により降伏した者らの刀を取り上げて、ことの次第を後方へ連絡すると、大将の里見義実が軍を進めてやってきた。岩熊鈍平と妻立戸五郎は地面に頭を埋めて、迎えるしかない。
降伏した城兵も皆、万歳と叫んだ。
しばらくしてから後陣の堀内貞行もやってきたので、全軍の隊伍を整えると大将里見義実は静かに入城し、城内をくまなく巡検した。
城内は神余時代より豪華になっており、派手で驕奢である。金銀もふんだんに使って飾り立てている様であった。それだけではなく、山下定包が民を絞りに絞って貪り蓄えた金銀財宝や兵糧が、倉庫や蔵に満ち溢れている。
漢の沛公劉邦が長安の阿房宮に入った時、鎌倉の頼朝公が奥州の藤原泰衡を討った日もこの様であったろう。しかし里見義実は、山下定包の貯めた物に少しも触れることはなく、米蔵を開いて平群郡と長狭郡の百姓に均等に分かち与えることにした。
堀内貞行たちは諫めて、
「山下定包は誅伏いたしましたが、平舘と舘山には麻呂と安西の強敵がおります。軍用の物資が不足がちでございましたが、幸いにしてこの城を得ました。しかし何も蓄えずに百姓たちにお与えになるなど、殿のお考えが理解できません」
と眉をひそめて言う。
里見義実はそれを聞いてうなづき、
「そう思うのは目の前だけを見ている者の理屈である。民は国の基本だ。長狭と平群の百姓は、年来の悪政に苦しんでおり、今逆賊を追いやり道理に立ち戻ったのは、飢えや寒さから逃れるためである。それをまた私が貪ってしまい、彼ら窮している者を救わねば、山下定包と同じになってしまう。米蔵にたくさんの粟があっても、民が皆背けば、誰が一緒に城を守り、誰が一緒に敵を防いでくれるというのか」
熱く語るのである。
「民は国の基本と申したぞ。民が富むということは、私も富む、ということだ。徳政に効果があればことある毎に軍用の物資は、求めなくても集まるはずだ。惜しむものではない」
と言えば、堀内貞行らはもう何も言えずに、涙を流して御前を退出していった。
翌日、里見義実は政庁に出て首実検を行った。その後、降伏した岩熊鈍平、妻立戸五郎を呼び、元の主人である山下定包を討った経緯について金碗八郎から質問をさせた。
二人は同じ様なことを申し出た。
「山下定包は主人を倒し、その土地を奪った逆賊でございましたが、私たちは討つことはなかなかできませんでした。一時的にもその配下となったのは、密かに機会を待っていたのでございます。ですから昨日、賢君、里見の殿様のご命令書をいただきましたので、悪の元を離れ正義に味方すべく、その土産物として奴の首を取ったのでございます」
と誇って申し開きをするのである。
しかし金碗八郎は冷笑を浮かべて、
「言葉巧みに申してもそれは虚言でしかない。そもそもお主らは二人とも、山下定包の悪を助けて、民衆を虐げていたことは明らかである。その証拠に、滝田の者どもはまずお主らを討つべきだと集まっていたそうではないか。それを聞いて虎口から逃れるために、定包を討ったのだろう。私、金碗孝吉は里見の殿の仰せを受けて、城中の民から話を聞いたのだ。まだ申し開きをするか」
言われた二人は驚愕した。
中でも岩熊鈍平は眼を見張り、抗弁した。
「それは妻立戸五郎のことでございます。彼は若党のころから、山下定包に仕えて、一番に出世した者でございます。しかし、戸五郎は密かに美女玉梓に思いを寄せており、不義密通を果たすつもりで、私に加担し、定包に初太刀を振るいました。私は奴の心底を信用しておりませんでしたので、身の潔白を明かすつもりで、例の玉梓を生け捕らせております。お呼びになって尋問なさってみて下さい。何が正しいのか、邪なのか、良くお調べ下さい」
妻立戸五郎は岩熊鈍平を睨み返して、大きな声で叫んだ。
「金碗八郎殿、岩熊の言葉は嘘でございます。どうして私が玉梓に邪まな気持ちを抱き、主人を討って里見にお味方をいたしましょうか。岩熊は、最初神余光弘の馬の口取りです。落葉が岡の狩場では山下定包と示し合わせて、神余の乗馬に毒を与え、主人を殺したのでございます。定包の領土を奪うに及んで、第一の側近になりました。民の恨みも大層買い、その罪から逃げるために、二代に渡って主人を殺害したのです。欺かれてはなりませんぞ」
お互いに聞き苦しい嘘で非難し、貶め合うのである。嘘が嘘を呼び、その罪を段々と増し、争いが果てしなくなっていくと、突然、金碗八郎孝吉が乾いた声で笑い出した。
「問うに落ちず語るに落ちる、とはこのことか。他人に聞かれている時は、警戒して秘密を守っている者でも、自分から話をする時には、うっかり本当のことを口にしてしまうものなのだな。お主たちの邪悪さは、生まれ変わったとしても、またこの世が変わったとしても、首を刎ねるに値する。幾ら山下定包が逆賊だといっても、妻立戸五郎はその家臣なのに主人を討ってはならない。岩熊鈍平は定包のために主人を殺す片棒を担い、定包の陰に隠れて、今度自分が危うくなると、また次の主人である定包を討つ。悪逆はここに極まった」
声が一層厳しくなった。
「我が君、里見義実公は民の父母として、仁と慈を旨となされているが、もしお主らをお赦しになれば、賞罰はとうとう行われず、また忠孝は廃れてしまうことになる。お主らの証言を待たず、民からの証言で隠匿しようとしていた悪が露見したが、自白させようとして、申し開きの場所に引き出させたのだ。罪状はすでに決まった。法において赦しがたし」
金碗孝吉は控えていた侍に向かって、
「捕縛せよ」
と命じた。
二人は侍たちによって地面に倒され、縄で縛られていく。
屠殺される羊の様に泣き叫び、恨み言や詫びたりを何度も繰り返すので、金碗孝吉も怒った声で、
「お主たちの起こしたことに対して、お主たちの身に返る天罰は八つ裂きの刑がふさわしい。早く実施しろ」
侍たちは命じられた通り、立とうとしない罪人を何とか政庁の外に連れて行き、すかさず刑を執行した。そしてその首二つを青竹の串に貫き、首実験に備えるのだった。
金碗孝吉は次の命令を発した。
「例の玉梓を連れてこい」
玉梓は花の様な姿ではあったが、その花は無残にも夜半の嵐に吹き萎れていた。
天の戒めから逃げることはできず、縛られたその縄に引かれて入ってきた。何かの音に脅えて泣く子供の様でもある。
まだ夕方ではないが、見た目は暗い政庁の外に座らされている。前から見知った顔の金碗孝吉のことが恥ずかしい様で、頭を上げることはなかった。
「面を上げよ」
金碗孝吉は命じて、小膝を進めた。
「玉梓、お前は前国主の側室であると皆が知っている。寵愛を誇って主君を誑かし、ご政道にまで手を加えて、多くの忠臣を失わせたその罪が第一」
金碗孝吉は罪を数え始めた。
「その身を美しい綾絹にまとい、無駄に高い買い物を行い、富貴歓楽を極めたが、それだけでは飽きずに山下定包と密通した。第二の罪だ」
いよいよ舌鋒が厳しくなっていく。
「人々が私に報告してきたのではなく、この孝吉が自分で知ったことである。山下定包の反逆後、両郡を奪い取った日から、お前はその妻となって、恥じることなく、憚ることもなく、城が陥落するまで生きていたのは、今までの悪事に対する報いでもある。生きて縛めの縄に繋がれ、死んでは祀らわれることもない鬼となるのだ。天罰、国の罰を思い知るがいい」
と声高に叱咤した。
玉梓はようやく顔を上げて、
「おっしゃることに身の覚えがございません。女は万事において儚いものでございますから、三界に、この世に家はないのです。夫の家を家とするなら、百年の苦楽も他人様によるものです。まして私は先君神余光弘様の本妻ではございません。光弘様が亡くなってからは、寄る辺なきこの身を山下様に思われて、深窓でお世話をいただいたのでございます。ずっと夢を見ているだけの囚われの身となったこと、過去の因果かもしれません。またお城勤めの初めから私事で政治を行い、忠臣を失わせた山下様に原因がある、というのは傍にいる方々の嫉妬であり、本当のことではございません」
玉梓は声を精一杯張り上げて弁明する。
「例えば神余の殿の老臣、若党、禄高が高い方々もほとんどのお侍の方々が、神余にも山下にも二君にお仕えして、まったく恥とは思っておられません。金碗殿、あなた様におかれては、なまじご主君を凌ぐ器量をお持ちになったためか、ご主君の元を逐電、更に里見に従って、滝田のお城を落とされた。しかしうさぎの毛ほども、先君のおためにはなっておりません。皆様、おのおのご自身の利益のために山下様にお仕えし、従ったのです。男子ですらその有様ですのに、女子の身の上にはいろいろな見方がございます」
きりと金碗孝吉を見据えた。
「どうして玉梓独りに無実の罪を着せて、憎い者となさろうとするのです。納得できない讒言です」
この恨み言を聞いて金碗孝吉は席を叩いた。
「それは度を過ぎた無礼な物言いだろう。お前の邪悪さは私の当て推量ではない。十人皆同じことを言っていたぞ。それでも承服せず、自らの弁明に過度な例えを引く、正に外面は菩薩のごとく内心は夜叉。顔と心は裏返しで、お前は錦の袋に包まれた毒の石に違いない。いや夜叉の様に逞しい女子でなければ、城を傾けさせることはできんか」
金碗孝吉は声を張り上げた。
「萎毛酷六、岩熊鈍平らは神余譜代の老臣だったが、自己の利のために義を忘れ、逆賊に従い悪の道に進んでいった。しかしとうとう冥罰を免れず、皆八つ裂きにされたのを知らないのか」
玉梓を見つめ返して、
「この金碗孝吉は奴らとは違う。灰を飲み、漆を被り、姿かたちを変えて故神余の殿の仇を狙おうと願っただけである。単身では成し遂げられず、個々の力は一致団結の力に及ばないことは分かっていた。里見の殿に随従し尊敬のできる味方を集めて、今、山下定包を滅ぼして志を遂げたのだ。これでも私のなすところ、うさぎの毛よりも、先君のためにならなかったと言うか。自分の欠点にはなかなか気づかないものよ、婦女子の愚痴というものは、自分には甘く、他人だけを非難するとはどういうことだ。いい加減覚悟せよ」
と一括した。
道理に責められて、玉梓は何も言い返すことができず、ただため息を吐いた。
しかし言葉を何とか紡ぐのだった。
「おっしゃる通り、私には罪があるのでしょう。しかし里見の殿様は仁君と聞いております。東條のお城でもここにおいても、賞を重く罰は軽く、敵城の士卒であっても降参した者はお許しになり、登用されると伺っております。例え罪があったとしても、婦女子は物の数になりません。どうか私をお赦しになって、故郷へ帰ることをお許し下されば、こんなに幸せなことはございません、どうかお願いいたします」
傾城の美女は金碗孝吉を見つめた。
「男と女、身分が違いますが、昔はともに神余のお家に仕えた金碗八郎殿。古いつきあいに免じて、どうかおとりなしをお願いします」
とにっこりと金碗孝吉を見上げる顔は、まるで満開の海棠の花。瞳と唇は濡れて、妖艶な黒髪が肩に掛かる姿は、春の柳が人を招く姿を彷彿とさせた。
上座で尋問と裁判の模様を近臣とともに聞いていた里見義実は、美しき罪人玉梓が、己の非を悔いて助命を乞う姿を憐れと思い、許してはどうかと、
「孝吉、孝吉」
と呼んで近くに招いた。
「玉梓の罪、決して軽くはないが、女子であれば助けてやっても、道理は立つだろう。どうか考えてやって欲しい」
丁寧に話したが、金碗孝吉は表情を変え怒った様に言った。
「殿の仰せではございますが、山下定包に次ぐ逆賊は、この淫婦、玉梓です。この女は多くの忠臣を失わせただけではなく、神余光弘の落命も玉梓が定包のそばにいて協力して密かに練った謀略です。普通の女子と一緒にしてはなりません。今までのことを考えずに、賊婦をお赦しになってしまえば、里見の殿もまた色香に溺れて、依怙ひいきの沙汰があったに違いないと、人々の非難がうるさくなるばかりでございます」
金碗孝吉の決意は揺るがない。
「その昔、妲己は朝歌で殺されて、楊貴妃は馬塊で自死しています。これら傾国の美女は有名でございます。玉梓はそこまでの有名ではございません。が、同様に国が乱れ、城が陥落する時においては、重い刑罰からは逃れられないのでございます。お赦しになってはなりません」
と言葉正しく諫めると、里見義実は何度もうなづいて、
「私の間違いであった。外へ連れて行き首を刎ねよ」
と声を振り絞って命じた。
これを聞いた玉梓は、花の顔を真っ赤に染めて、歯を食いしばりながら、主従をきっと睨んだ。
「恨めしいぞ、金碗八郎孝吉。赦すという主命を拒否して、私を斬るならば」
間が空いた。
「 貴 様 も ま た 近 い う ち に 刃 の 錆 と な り 、 お 前 の 家 を 長 く 断 絶 さ せ て や る 」
今度は矛先が里見義実に向く。
「里見義実も頼りがいがない男だ。赦せと言ったその舌の根も乾かぬうちから、孝吉に言いくるめられて、人間の命を弄ぶなど、聞いていた話と違う愚かな大将だ。殺すのであれば殺せ」
玉梓は里見を呪詛した。
「 お 前 の 子 孫 ま で 畜 生 道 に 落 と し て 、 こ の 世 の 煩 悩 の 犬 と し て や ろ う 」
叫び、罵り、花は夜叉となり、ただ呪う。
「これ以上、何も言わせるな。さっさと引き立てよ」
金碗孝吉の指示に従い、侍が四五人掛かりで罵り狂う玉梓を外へ連れ出し、ようやく首を刎ねることができた。
【賞罰を明らかにして里見義実、玉梓らを刑罰す】
玉梓が処刑されるところ。処刑人の顔、何とかなりませんか……
下には山下定包、妻立戸五郎、岩熊鈍平の首が転がっております。
その後、里見義実は金碗孝吉に命令して、賊主山下定包、玉梓の首を、岩熊鈍平、妻立戸五郎のそれとともに、滝田城下に晒した。積年の悪の報いは死罪、しかも首を晒されるということを人々は改めて知った。
しかし今更ながらに憎むべき相手の首ということもあって、日ごとに見物する者が多くなっていった。
数日後の明け方、東條城の杉倉木曽介氏元の使者である尼崎十郎輝武(あまさきじゅうろうてるたけ)が、馬に鞭を当てながら急いでやってきた。
使者の尼崎輝武は、杉倉氏元が討ち取った麻呂小五郎信時の首を里見義実に献上した。
【杉倉氏元、勇を奮って麻呂信時を討つ】
杉倉さん、麻呂信時を一蹴してます、カッコいい!!
同時に合戦の詳細について、説明し始めた。
そこの光景はここに表し、話が長引くので回を変えて第七回の始めに説明しよう。
また玉梓の悪霊は、里見の家にはなかなか祟ることはできず、その子孫にまとわりつくこととなる。不思議で奇妙、また悲しいことがいろいろと起き、その禍は後に。
結末までは遥か遠い話である。読者は例の妖婦の恨み言に関心を持っていただきたい。
(続く……かも)
意訳していて疑問が起きたものですから。
言い分にうなづけるところがあったので(笑)
ひょっとして私は、淫婦に篭絡されたのかもしれません。
絵は大きい声では言えませんが当時の物のはずです。
歌舞伎になるといろいろな作家が各シーンを描いたりしているようです。
https://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/bijutukan/bijutu.html
お時間あれば見て下さいな。
TVでは、物語の節目に登場する玉梓のこわい顔のシーンが印象的でしたが、何の恨みかその経緯はわからなかったです。逆恨みでしたか…それにしても女はこわい。
すいません、TVが基準になってしまって…TVの後に社会科で学んだものですから…
今回、この先に繋がる貴重な話をありがとうございました。
それにしても、処刑人の眉が!
毎回の挿絵は当時のものでしょうか?
版画ですよね?
いやいやすごい読み物ですね!
初版本なんて残ってるんですかね?