加登が運営する親孝行サイト「孝行好日(こうこうこうじつ)」にて、「親孝行旅行キャンペーン」なるキャンペーンを開催させていただいたのは記憶に新しいところ。
それに触発されてというわけではないのですが、長期入院中の父の看病に疲れた母が「旅に出たい、出たいったら出たいんやで~」などとのたまうゆえ、母と私、妹の三人で二泊三日の小旅行を計画することになった次第であります。
実際のところこれをもって親孝行などと呼ぶのはおこがましく、ただただ親子で旅行してきましたよというだけのお話でございます、はい。
というわけで、やってきたのは出雲の国。
10月の末ということで、滑り込み「神在月(かみありづき)」でした。
出雲大社に集結した津々浦々の神々が、そろそろ帰り支度を始めようかという頃ですかね。
ありがたや。
出雲に来ると駅まで神々しいのは気のせいではありますまい。
さて、なぜ出雲かと申しますと、転勤族だった父の仕事の関係で私が1歳から3歳くらいまで過ごした地が島根県は松江市なんです。
その間に妹が生まれ、四人編成となったわが家の黎明期の思い出をたどるべく島根県、そして私が生まれた広島県を訪れようじゃないかとなったわけですね。
妹や私としては正直記憶がほとんどないので、両親が新婚旅行に訪れたという沖縄なんかもよいのではと思ったのですが、父が同行できないとなってはそれもちょっと違いますよね。
一行は松江城のお壕を遊覧船で廻ったり、奇跡としか思えない美味しさのラーメンに舌鼓を打ったりしながら、妹が生誕した家(出産は病院でしたが)を目指します。
着きました。
・・・・・まんま「三匹の子豚」ですね。
というのはもちろん嘘で、こちらは「島根県立八雲立つ風土記の丘」という屋外ミュージアム。
当時住んでいた松江市内の自宅から近かったため、時々連れてきてもらっていたようです。
その頃の写真がこちら。
妹が生まれる前、父に抱かれた私は1歳半くらいでしょうか。
なんか、全然可愛くないんですけど!
この瞬間にタイムスリップできるなら、とりあえず口は閉じてみようかと言ってやりたいです。
こちらが先日撮った写真です。
あれから50年近く経っているわけですから、その間に度重なる修繕を受けてきたことでしょう。
それでもスタッフの皆様が往時のままと言ってよいフォルムを維持してくださっているおかげで、母の脳裏には懐かしい思い出がつい昨日のことのように蘇ったことと思います。
感謝しかありません。
実はこの「八雲立つ風土記の丘」を訪れた時点で既に妹の生家は発見してまして、田んぼばかりで蛍すら舞っていた周辺の景色こそすっかり変わっていたものの、かつてのわが家はおぼろな記憶通りの姿で残っていました。
当然写真は掲載できませんが、母の記憶だけが頼りだっただけに辿り着いたときは感動でした。
思わず不法侵入しようとする母を慌てて引き留め、通報されないうちに退散した一行は先述した「風土記の丘」を経て、さらに近くの神社を2社ハシゴしました。
まずは八重垣神社。
父の恢復を祈念する母。
想いが届くといいなと思います。
こちらは神魂(かもす)神社。
階段が多いため母は参詣を断念し、代わりに妹と私とで詣でることに。
ご本殿は、現存する大社造りの社殿では最も古く、国宝にもなっているのだとか。
なかなかお目にかかれないほど趣深く、壮麗な木造建築でした。
というわけで、飛行機に乗り遅れそうになるなど割と洒落にならないハプニングも経験しつつ、無事に初日を終えた私たち。
夜はなぜかコテージに宿泊でした。
近所のスーパーでお酒と食材をしこたま買い込み、部屋飲みでございます。
思い出話に花を咲かせたのち、泥のように丸太のように眠りましたとさ。
明日は再び出雲市に移動し、神々の集う出雲大社を参詣します。
続きはまたの機会に・・・
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