![2008年1月のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~](http://www.forever-kato.co.jp/blog/img/keyvisual_katokato.jpg)
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式直前の供養碑。テントの下にお供え物が並ぶ。
川西中央霊園でこの度完成した永代供養碑【lights:arc】。
今日(日が変わってしまいましたが・・・)はその除幕式を行いました。
僕も朝から川西中央霊園に直行し、霊園スタッフや他部署から応援に駆けつけた社員とともに式準備のお手伝いをしました。
準備中は雪もちらつき、風もやたらと強くて困ったもんだと思っていたのが、式がはじまる頃には見事な冬晴れ。
これもカトカト社員の日ごろの行いが良いから、ということにしといてください、いや、しときます。
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準備中。お墓と同じように白い布が。
式の光景はプロのカメラマンの方に撮ってもらいました。
供養碑に魂を入れるためにお寺様をお招きし、ありがたいお経を詠んでいただいたわけですが、その写真は来週お目にかけたいと思います。
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今日はお休みでした。
出かけるには外はあまりに寒く、僕は家にこもってパソコンに向かい、日本語テストなるものを受ける。
これがなかなか難しい。
普段当たり前のように接している語法・話法の、いかに間違いが多いことか。
日本語で最も複雑と言われるのが、敬語。
丁寧語、尊敬語、謙譲語の使い分けがとにかく入り組んでいて、日本語を学ばんとする外国人は勿論のこと、我々自身をも混乱させています。
なかでも最近気になっているのが「亡くなられる」という言い方。
正しくは「亡くなる」「お亡くなりになる」なのですが、お葬式などの場でも「亡くなられた○○様の~」みたいな言い方が跋扈しています。
「亡くなられた」という誤った言い方がメジャーになり過ぎて「亡くなった」なんて言うと敬意が足りないとか思われそうで若干躊躇してしまいます。
僕らも同様、人の生死にかかわる職業なので、言葉遣いにかんしては特にデリケートでなくてはならない。
ところが、その根幹が揺らいで見えない。
メッセージが不特定多数に向けて開かれすぎているのも一因かもしれません。
ブログやSNSなど、メッセージは常に見えざる誰かに向けて発信されている。
関係性を持たないコミュニケーション。
最大公約数としての丁寧語。
独白。
それが、すべて。
これが良いことなのか悪いことなのかは、正直分かりません。
ひとつ言えるのは、日本語が貧しくなってきているということ。
話す相手との関係性を考慮して、同じ情報を伝達するのにも多様な言い回しを用いる。
それが日本語という言語の特異さを際立たせ、我々日本人の生活・文化を豊かにしてきたのだと思うのですが。
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今日は加登ホームページの制作をして下さってる方々と打ち合わせをしました。
そんでまあ、この人(↓)に名前を付けちゃいますか、みたいな話が妙に盛り上がったので、あったかいうちに日記に書いておきます。
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この日記を読んでいる方なら大抵見覚えがあるかと思いますが、加登ホームページ内の【カトカトログ】ページに登場するお方です。
現在この人について分かっているのは、彼が男性だということだけ。
それも今日知りましたから。
年齢も不詳、何なら国籍すら不明。
いろいろと考えてるうちに、いっそ日本人とイタリア人のハーフとかいう設定にしてみようか、などとキテレツな妄想も暴走しはじめ、
しまいには「彼の家族も要るのでは?」みたいな展開に。
よし、こうなったらただ家族を登場させるだけでなく、それぞれの性格やら口癖やら好きなドレッシングやら使ってるケータイの料金プランやらかかりつけの医者やらを考えて、ストーリーをつくりますか。
目指すは、アニメ化!?
企画倒れになってしまうかもしれませんが、彼の名前を一般公募しようかという案もあります。
そうなったら皆様、ご協力お願いします。
うーん、こういうこと考えてるとホントに眠れなくなるんだよな・・・。
3連休の最終日、大阪の道路はどこも混んでましたね。
昨日以上に冷え込むなか、晴れ着を着た女性の姿がやたらと目につく朝でした。
昼ごろになって、ようやく今日が成人の日だってことに気がつきまして。
それくらい無関係になってしまったイベント。
切ないス。
僕が成人を迎えた年は東京で学生やってまして、戦火を免れて生き延びたんじゃないかって気配すら漂うオンボロアパートに下宿してました。
部屋の壁がとにかく薄くて、隣の人が水戸黄門観てるな、とかリアルタイムで分かるんですよね。
これだけ薄く作るほうが逆に難しいんじゃないかって思うくらい。
アパートは漱石の遺作「明暗」かなんかにも登場する古い斎場のすぐ隣にあって、今思えばこういう仕事に携わるようになったのも畢竟必然だったのかな。
そんな僕にも新宿区役所から成人の日イベントの案内が届き。
ああそうか僕もいよいよ成人か、なんて感慨を深めたかっていうとそんなことは決してなくて、これまで7千余日生きてきたなかの1日に過ぎないよね、なんてクソ生意気にも思ってまして。
強いて思い出をあげるなら、ゲストが爆風スランプで「runnner」という、当時としても若干古い曲を演奏するのを知って「どうせなら中野サンプラザでやればいいのに」と思ったくらいのものでした。
結局大阪にも帰らず爆風スランプも観ず、僕は凍てつくような新成人でした。
若過ぎて一日一日の大切さを理解できず、ただただわんこそばのように流し込んでるだけだったんですね。
こうして歳を重ね、疾風の如く飛び去っていく時間に持ってかれそうな今、毎日はすごく重くて、僕という存在は相も変わらず軽い。
しっかりつかまってないと飛ばされっちまう。
ぼうっとしてたら、一日はおろかひと月だって一瞬です。
よく噛んで味わって、飲み込んで一回消化したやつをまた戻して噛んで・・・。
牛か! 反芻か!
っていうくらい味わわないと勿体無い。
そんなわけで、今の若い人たちが肩を並べて成人式に赴くのを見てると、何だか羨ましくなります。
新成人の皆さん、おめでとうございます。
13年後くらいに後悔しないよう、日々を慈しんでください。
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2008年ネズミ年、いよいよ加登も本格始動。
今年の加登は一味違うなと、そう言って頂けるよう日々是精進しちゃいます。
はっきり言って期待してください。
無論このカトカト日記も然り。
より広く、より深い情報を皆様にお届けしたいと意気込んでますので、本年もどうぞよろしくお願いします。
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そりでは、早速売出し情報いきます。
常時オープン(定休日を除く)の川西中央霊園、はびきの中央霊園、四条畷霊園などは言わずもがな、
今週末からは蔵鷺庵墓地(大阪市天王寺区)、中央寺霊園(和泉市)、布忍寺霊園(松原市)の売出しが始まります。
殊に蔵鷺庵墓地、中央寺霊園については新区画もオープンし、まさに年はじめに相応しい売出しと言えるのではないでしょうか。
もっぺん言いますが、乞う、ご期待!!
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ちょっと遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。
風も強く冷え込みも厳しい年越しとなりましたが、新年早々風邪など召さぬよう、お気をつけください。
さて、お正月と言えばついついダラダラしてしまいがちな僕。
テレビの前に横たわり、いわゆる正月番組とやらを観るともなしに観ているうちに夜が来て、ビールなんか飲んでるうちに眠くなって、みたいな。
しかし、今年は違います。
無駄にテンション上げてます。
これから近所の神社に初詣したあとは、昨秋から通いだしたジムへ行こうかなと思ってます。
餅も食べず、ひたすら泳ぐお正月。
何を目指してるのかと聞かれれば、正直分からないとしか言えません。
・・・・・・・・・何を目指す?
何を目指そう?
去年はただ漠然と走り、漫然と泳ぎました。
「今日は10キロ走ろう」とか「500メートル泳ごう」などとノルマを設定し、それらを確実にこなしていく。もちろん効果は少なからずあってそれが励みにもなってるんですが、正直日々の課題をこなすことに埋没してた感もあります。
今年はそうした課題をクリアしていくと同時に、それによって「なりたい自分」に近づけているのか否かを常に確かめていこうと思います。
まずは「なりたい自分」を発見することからですね。
格闘家?
・・・・・・・・・・いや、違うな。違い過ぎる。
P.S.年末年始のお参りをお考えの方は、加登ホームページの「WHAT'S NEW」をご参照ください。