2011年11月のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

祈りの向こう側。


ふと何かに祈りたくなる、誰しもそんな瞬間を抱えながら日々を生きているものではないでしょうか。自らの手に負えないような偶然や必然が、時に我々を天高く舞い上げ、時に我々を深い川底に沈める。何かが上手く行けば感謝の気持ちが湧き起こるし、そうでないときは何かにすがりたくもなる。

祈りの対象。

それがお墓でなければならないのかと問われれば、僕にも分かりません。
神社や教会でもきっと良いのだと思う。
けれど僕の祖父母やご先祖様は、そうした神様よりも僕のことをずっと良く知っていて、
いつもどこか遠くで見守ってくれているのだという漠然とした感覚がどこかにある。
だから時々はこちらから出向いてあげて、ありがとうだとか助けてくれだとかぶつぶつぶつぶつ言いながら手を合わせてみても罰は当たるまい、などと思うわけです。



こんなに幸せで本当に良いのかななんて不安になったり、嫌なことが重なってやり切れなくなったり、少なくとも僕は極端に振れるとどうにも落ち着かない性質なんです。真ん中よりちょい幸せくらい(笑)でいいなって思う。もちろんこの「真ん中」は、誰かと比べてっていうことではなく、僕自身の中にぼんやりと存在する基準でしかありません。
上手く言えないのですが、自分の運命の平均点がたとえば50点だとすると、時々何故か90点になったり20点になったりするわけです。プラス40点のときはちょっと出来過ぎだな、たまたま勉強した問題がそのまま出ただけだな、なんて思い、マイナス30点のときはとりあえず何かに八つ当たりします。
いずれにせよ50点というのが僕の持ち分であって、それ以上のとき、あるいはそれ以下のときは僕という存在を超えた大いなるチカラが働いているのだと、そう思うんです。

だから。

幸せなときは、祈る。
何か後ろめたい気持ちもあるけど、とにかくありがとさんです!
調子イマイチなときも、祈る。
分かってますよね? よろしく頼んます。

血が繋がったご先祖様だし、多少の厚かましさも大目に見てくれるだろうということで、若干ルーズな物言いもご愛嬌。要は僕の人生というのは僕のものであって僕のものでない、目に見えぬ祈りの向こう側の世界のうねりの中でか弱く揺らぐ小さな木の葉みたいなものなんだなっていうことを、お墓の前で目を閉じて手を合わせるという行為によってあらためて自覚することができるのではないかということなんです。

気軽に祈りを捧げることの出来る自分だけの場所って、今の時代本当に必要だと思います。
田舎からお墓を移す方が物凄い勢いで増えているのも、きっとそういうことなんだろうという気がします。




 
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満を持して。


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以前にもご紹介した「カトカトログ」のキャラクターが、ついに動きはじめます!!
その名も「カトカトくん」。
そのまんまですねん。 

     

さて、このカトカトくん、この先どんな場面で登場するのでしょうか?
今はまだ、秘密にしておきます。

もったいぶるほどのこともないのですが、何となく。