母は若い頃、島田正吾・辰巳柳太郎の
新国劇で女優をしていたことがあります。
母は二十歳で結婚をしています。
女優をしていたのは数カ月位だったようです。
母と父と子ども3人、祖母(父の母)と伯母(父の姉)です。
私は父方似です。
当時、富士山の近くに住んでいました。
父は仕事を辞めることが多く、
引っ越しをすることがよくありました。
3人の子どもを抱え、見知らぬ所で
生活するのはさぞや大変だったことでしょう!
金銭的にも苦労したようです。
🔶 🔶 🔶
その母が21日に施設に入所しました。高齢者賃貸住宅です。
介護保険の範囲で介護サービスを受けることができます。
施設の入所は弟たちがずっと勧めてくれていました。
自分達が遠くて母にあまり関われないことを
気にしてくれていたこともあるのでしょう。
でも、なかなか決断がつきませんでした。
施設入所というと姥捨て山のイメージが
私たちの世代にはあるのかもしれません。
それと育ててくれた親への責任を放棄することに
なるのではないかという思いもありました。
母は一緒にこの家に住むことになってとても喜んでいました。
母の知り合いからとても羨ましがられたこともあるようです。
終の住処と思っていました。
「この家の庭はこの辺でいちばんいい。」とよく言っていました。
中古の家なので、前の方の造った庭に
ちょっと手を入れただけなのですが・・・
それと、家の外から見るのと中から見るのとでは
印象が大分違うと思います。
母の本棚です。
母は読書家でした。
3人の子どもを育てながら、働きながら時間を見つけては
本を読んでいました。
本の内容も小説は勿論、宗教学、哲学書など
私から見ても高尚なものばかり…
太宰治が好きで斜陽館に行った時は
とても喜んでいました。
10年くらい前は須賀敦子に傾倒していました。
「この本棚が私の宝物!」とよく言っていました。
もちろん、図書館でたくさん本を借りていました。
本だけでなく、音楽にも美術にも
とても興味を持っていました。
ユトリロや荻須高徳、佐伯祐三 などが好きだったようです。
(下の全集は私のものです。)
母のCDです。母が以前住んでいたところに行くと
枕元にCDプレイヤーといくつかのCDが置いてありました。
寝る時にはいつも聞いていたようです。
それがよほど心地よかったのか
何人かの人にCDプレイヤーをプレゼントしていました。
タイトルのないCDは次男がダビングをして
贈ってくれたものです。
CDの横に『ホロコースト』の写真集が置いてありますが
最近でも、この写真集やロバート・キャパの写真集なども
時々見ているようでした。
これはイタリアのベネチアで母が写した写真です。
私はこの写真がとても好きです。
母は私が海外旅行を勧めた時、
「日本でもあまり行ってないのに海外には行かない。」
と言っていました。
でも、友人と一緒に行くととても感動したようで
「ドイツに郷愁を感じる。」とよく言っていました。
その後、イタリア、ギリシャ、スペインに友達と行きました。
私とは北欧と中欧(東欧)に行きました。
ツアー客と話す機会も多かったのですが、
母の話す内容のレベルが高く、私は恥ずかしくて、
あまり、しゃべれませんでした。
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6年前、転んで後頭部を打ち、急性硬膜下血腫になりました。
しばらく入院してからはほとんど本を読まなくなり、
音楽も聴かなくなりました。
自分から外に出ることもなくなりました。
母は「フラフラする。」とよく言っていました。
入院した時の主治医に診てもらいましたが
特に異常はないとのことでした。
その後、私の知り合いが介護事業をしていて、
ディサービスに行けることを
教えてくれました。
ケアマネージャーさんを紹介してくださり、
ヘルパーさんにも来てもらえることになりました。
本当に有り難かったです。
母はディサービスでいつも、「笑顔が素敵!」と言われます。
別のディサービスにも行くようになりましたが、
そこでも「笑顔に癒される!」と言われます。
いつもニコニコしていて文句を言うことはほとんどありません。
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親の老いに向き合うことは辛いことでした。
あれだけ知的だった母が
どんどん壊れていく・・・
自分の将来はどうなるのかと嫌でも突きつけられます。
お洒落だった母が服を選ぶことすら出来なくなる。
何から何までこちらが促さないと先に進まない。
今まで出来ていたことが日に日に出来なくなって行く。
そういう現実を受け止められなくて、
「どうしてしないの!」
「頑張ったら出来るでしょ!」
と言ってしまう。
また、おおらかな母と神経質な娘が同じ家で生活するのは
お互いにとってしんどいことでした。
(特に衛生面の感覚が全く違いました。)
お互いにとってしんどいことでした。
(特に衛生面の感覚が全く違いました。)
🔶 🔶 🔶
施設に入所する前に
部屋が広く明るいこと、収納がたくさんあること、
窓からの見晴らしがよく緑がたくさん見えることを伝えました。
(母も下見には行きました。)
「食事も美味しいよ!」
と言うと
「あんた、食べたの?」
と言われてしまいましたが・・・
そして、次に「施設の職員さんは優しいよ。」
と言うと
「ガミガミ言われなくなる。」とジェスチャーで答えていました。
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これは母の枕元に残されていた本です。
どういう思いがあったのでしょう?
母の入居した部屋
自分もそうですが母は特に物を捨てられない人でした。
ところが施設入居となると
入院より少し多いくらいの荷物しか持っていけません。
それに、母に「何を持っていきたい?」と聞いても
返事は帰って来ません。
断捨離の必要性を思い知らされました。
自分なら何を持って行きたいと思うのだろう?
自分もどんどん認知レベルが落ちてきています。
判断がつかなる前にしておかなくてはならないことは?
いろいろ考えさせられます。
窓の外は緑がいっぱいです。
見晴らしを選んだので最上階になりましたが、
これから暑くなりそうです。
弟に写真を送ると
「流石姉さんのチョイスだと感心しています。」
と言ってもらいました。
どこまで、きめ細かい介護をしてもらえるかが
今、一番気になることです。
今、庭に咲いているシモツケです。母は昔の下野国(栃木県)の生まれです。