FUJISUZUKO

藤鈴呼

桜月

2020-04-18 15:32:07 | Weblog






さくらづき、名前にありそうです
夜を入れたいなら 桜月夜、良い雰囲気ですねぇ~☆

朧月夜、花月夜、月待夜、花咲月夜、色々と光景を想像しては 
言葉のみでも 楽しめそう

今年はコロナの影響で ニュース画面で花見、なんて人も多いようです
丁度 移動をしている頃合いで 桜の開花を堪能できました

いや、堪能ではなくて 通り過ぎつつパシャリ撮影したっていう、ね
それでも 灯や月を入れて 時刻を変えて 空と花びらを 楽しめました

*

巨大満月「ピンクムーン」

欧州各地で7日から8日にかけて、
満月が地球に通常より接近して大きく見える「スーパームーン」が夜空を照らし、
多くの人が天体観測を楽しんだ。

4月のスーパームーンは「ピンクムーン」と呼ばれるが、
通常の満月との顕著な色の違いはない。

「ピンクムーン」という呼称は、ネイティブ・アメリカン(米先住民)が
北米で春先に咲く花にちなんで名付けたもの。

*

日本でも
「今日はスーパームーンです☆ 明日はピンクムーンです☆」
と紹介していましたよね。

月の情報と 「今日がその日だ」ということは
二日間とも 気付いていたけど 

カーテンを開けるのが面倒で(?) 
あえて 見逃がしました。

また あるさ と 
ムーン を 眺めて 
ヌーン と 呟きながら

何度目かの夢から覚めたら 
ウイルスも 去ってくれたら いいね

*

夜桜に似合う酒は何だろう?
(呑兵衛の発想かしらん)

宅飲み、いいですよね♪ 時節側 仲間は多かろうもん
我等も ついつい 深夜族になって しまいます☆

胃に残る お年頃
あんまり 無茶は できませんが 楽しみたいです♪

*

アテは外れぬ!?


お酒のアテ、と言われて
何となく 浮かぶのは ヤキトリ

スーパーのヤキトリ 私は好物ですが
夫は物足りないと言う

あとは コロッケ から揚げ ポテトに天ぷら
・・揚げ物ばっかやんけ!

ホロ酔い加減で見つめる
花見と酒の隙間に 猫がいたら 最高だなぁ~♪

うわーっ! コゴミにゃ~♪
・・・と しゃべりながら 

しっぽを くりるんぱ
してくれる姿を 妄想しつつ

あの味を 思い出して ヨダレってます。
たらぼの天ぷらも 大好きです

天ぷらの素材は 色々あります
舞茸 カボチャ サクッと大葉

衣が多すぎるのはアレですけれど・・・
タラの芽 を たらぼ と 呼ぶのだと 知ったのは 岩手時代

岩手と言えば コロナ感染者ナシ、ということで
注目を浴びています 

元県民のワタクシメは ガンバレー!と 旗を振る日々です
そう言えば、先日 

ちょっと勘違いしているカモ!? と気付いた話があります
夫との会話がキッカケでした

鹿島の本社が岩手にある、と 豪語する私と
そんな訳ない! という夫

改めて 調べてみて
何故 勘違いしていたか、が 判明しました

昭和初期に社長就任した鹿島精一さんの
生誕地が盛岡だったんですね

色々と検索している内に 「葛西」さんの苗字にも反応、
赤レンガの素敵な建物を思い出し 故郷へ 脳内旅行♪

*

鹿島建設

鹿島建設株式会社(かじまけんせつ)は、
日本の大手総合建設会社である。対外的には鹿島と称する。

「スーパーゼネコン」とも称される、
ゼネコン大手五社(鹿島建設、大林組、清水建設、大成建設、竹中工務店)
の一つである。

超高層ビル事業を得意とし、蓄積された高度な技術とノウハウ、
業界随一の技術研究所を有している。

東京駅の八重洲口再開発や
丸の内駅舎保存・復原工事(2012年10月1日完成)、
秋葉原地区などの開発事業や海外でのプロジェクトにも実績が豊富である。

沿革

1840年(天保11年)鹿島岩吉、江戸四谷で大工の修行後棟梁株を入手し
          江戸中橋正木町に店を構える。屋号は「大岩」。

1880年(明治13年)鹿島組創立。
         東京京橋木挽町九丁目に本店を構え、鹿島岩蔵が初代組長となる。

1918年(大正7年)丹那トンネル西口着工。
1934年(昭和9年)完成まで17年の歳月を要した難工事。

1929年(昭和4年)本店を木挽町より八重洲へ移転。

1930年(昭和5年)株式会社鹿島組設立(資本金300万円)。鹿島精一が社長となる。
1938年(昭和13年)鹿島守之助社長就任。

*

鹿島精一
(かじま せいいち、1875年(明治8年)7月1日- 1947年(昭和22年)2月6日)は、
大正から昭和時代前期の土木工学者、実業家、政治家。貴族院勅選議員。

旧盛岡藩士葛西晴寧、すえの長男として
岩手県岩手郡上田村(現在の盛岡市上田)に生まれる。

*

親族
養嗣子:鹿島守之助(鹿島建設会長、参議院議員、北海道開発庁長官)

*

岩手銀行赤レンガ館
設計者 辰野金吾・葛西萬司(辰野・葛西建築設計事務所)

葛西萬司
かさい まんじ、 文久3年7月21日(1863年9月3日)- 昭和17年(1942年)8月19日)
は明治から昭和初期に活躍した設計建築家。盛岡市出身。
辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。
城南小学校卒業。


辰野金吾
(たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、
日本の建築家である。位階勲等は従三位勲三等。工学博士。

*

葛西さん、の名前を 初めて知ったのは 
中学校の社会科の時間でした

その先生が
「盛岡には素晴らしい建築物がある、設計したのは盛岡出身者だ」
と 教えてくれたんですよね

君たちは誇りに思って良い、田舎だと思うだろうけれど
どこに生まれても 活躍はできる というメッセージもありました

まあ 私の出身は滝沢、
今でこそ市ですが、当時は村、

試験中に蛙の鳴き声がして集中できやしない! 
と 言い訳もしたものです

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