先日、ふと思いついたことで、
自分自身が納得いくような理由を思い付いたという話。
だから間違っているかもしれないけど、
漸く、これで自分的には解決したから、これでいいのだ。
で前置きと言おうか言い訳が長くなったが、で・・・。
父の葬式で事前の打ち合わせの際、
ご住職がオプションの料金表を指し示しながら、
お布施の金額の説明を始めた。
「それじゃあ、院号も付けてやってください」
「えっ、院号付けるの?それじゃあ、
早速帰ったら一生懸命考えて来ます」
ご住職が「えっ、付けるのか」なんて聞き返すものだから、
私は、
「他所は(世間は)
皆付けているのだろうか、分不相応なことを言ったのか」
と、不安になったりした。
そんな話をしたら、
「院号なんて葬式を出す者の見栄だけ。
死んだ者には何の意味のないもの」
だとか、
「何もそんなにまでして、お寺を儲けさせなくても」
という声も聞こえた。
しかし私の親は、しっかりと自分の葬式代だけは残してあった。
いや、宝くじマニアだった父だから、
みずほ銀行に億の預金があるのではと楽しみにしていたのだが、
残してくれたのは葬式代程度だった。
だからそこは、
さっぱりと葬式に使うのが正解と考えて院号をお願いした。
父に院号を付けて貰ったから当然、
母の時にも院号をお願いした。
母も私には、
自分の葬式代だけを過不足なく残して逝った。
しかし家の過去帳を見ても墓標を見ても、
院号があるのは私の両親だけなものだから、
何か余計な事をしたような気もした。
そして年数回お墓に行った時に、
周囲の他所のお墓を見て、
やはり古いお墓には院号は無いけれど、
最近亡くなられた方には院号があるから、
それで良いのだとその都度納得しようとした。
それでも少々納得出来ないでいた。
それが何故か先日突然、
(長々と話を引っぱたけど、やっと終わりです)
そうだ!親は?勝手に?子の名前を決めるのだから、
子が勝手に親の戒名を決めても何の差し支えない!!
という答えが頭に浮かんだ。
因みに戒名(法名)は生前貰うというのも有りだそう。
そして戒名を付けるのに僧侶の資格とか必要ないので、
(ネット情報だけど)
例えば自分で自分の戒名を付けても良いけれど、
檀那寺がある場合は檀那寺の理解が必要だそうだ。