*早暁*
(夢の続き)
三日後の午後、私は未だ来ない里奈を駅で待っていた。
その朝、
「今日は身の回りの物を取りにマンションに帰る。
マンションは引き払うが、
こちらに出て来たら使うから、ここは借り続ける。
二三箇所顔を出して置きたい所もあるので、
あなたは適当な時間までここに居れば良い」
と、彼女は言った。
「ここに居ろ」と言われても、
支配人や従業員の私に対する態度は、
「我儘な上得意客が勝手に連れ込んだ男」
なので、里奈が居ないとここは居心地悪い。
何所かで時間を潰すにしても文無しだ。
「一緒に行動出来ないか」と言うと、
「馬鹿ね。子供みたいな事言わないで。
クライアントの所まで付いて来る積り」
と話を畳み掛けられた。
何方にしても、
そう早い時間にはここを立てそうにない。
それならと移動プランは、
鉄道ファンなら憧れの寝台特急を提案した。
里奈はあまり乗り気な様子ではなかったので、
「女の子にも人気があり普段は予約するのも難しい。
今ならこのご時世だから『Go to トラベル』中でも、
当日でもチケットは取れるに違いない」
と、一生懸命説明した。
そしたら一応納得した様子で、
また予約の手配をさせられるのかと思ったが、
今度は里奈が自分でエージェントに電話をした。
ホテルを出る時、
「お金持ってなかったわね。
これで洋服でも買って時間を潰してなさい」
と、里奈は上着のポケットから、
黄色い大きな札入れを取り出した。
そしてタクシーに乗り込みながら、
「直ぐに迷子になるのだから、
タクシー使ったら」
そして笑い顔で付け加えた。
「間違って、
きさらぎ駅行に乗っちゃあだめよ」
(そうだ、何時もの夢のパターンだと、
ここで幽霊電車に乗ってしまったりする。
「注意しろ!」と、
夢を見ている私は夢の中の私に言った)
ホテルから見える最寄り駅は、
大丈夫みたいだから脇目も降らず、
只管そこまで歩く。
聞くは一時の恥だから聞いてみる。
「あのお、この電車大丈夫ですよね。
きさらぎ駅なんかに行ったりしませんよね」
「ええ大丈夫ですよ。
きさらぎ駅行くのは良く見れば分かるんですよ」
「えっ、見て分かるんですか」
「ええ、先ず乗客が全然乗って居ない。
これ間違いなく、きさらぎ駅に行きます。
それと乗客乗って居ても数人と少なくて、
全員マスクをしていない」
と言って、外回り中の会社員に見える風貌の男は、
自分の鼻から顎までを覆う大きなマスクの上を、
軽く手で叩いた。
先刻、里奈との別れ際に財布と一緒に、
渡されたマスクをしていて良かったと思った。
電車が動き出してから人目に付かない様に、
こっそりと、
里奈から渡された財布の中を覗いてみた。
あの時「全部渡すと危ないから」と、
ごっそりと分厚く紙幣を抜かれたが、
それなりの枚数は残っていると思っていた。
しかし残っていたのは数枚の紙幣だった。
これでは服を買うにも大した物は買えない。
カード類も数枚入ったままになっているが、
免許証、保険証の様な物は入っていないので、
名前が「K埼里奈」という以外、
未だに私は彼女の事を何も知らない。
会社員風の男は話好きなのか電車に乗っても、
適当に間を空けて座席に座っているのに、
しきりに話しかけて来た。
「電車に乗る時は気を付けないと。
乗り慣れてる者でもうっかり、
きさらぎ駅に行く電車に乗ってしまうんです。
この間も、
うちの娘の友達がきさらぎ駅に行ってしまって、
親御さんたち、連れ戻すのが大変だったそうです」
「そんなに間違って乗る人多いんですか」
「ええ、でもきさらぎ駅なら未だ何とかなる。
それより先まで乗ってしまうと・・・、
そこから先は、
行って帰ってきた人が居ないので・・・。
あっ、私はここで!
この電車の終点は、特急の始発駅だから、
このまま乗ってたら大丈夫ですよ」
何とか里奈との待ち合わせ駅に辿り着いて、
彼女の言付けに従って駅ビル内で、
服を物色してたりして時間を潰そうとした。
里奈が私に服を買う様に言ったのは恐らく、
これから旅行なのに上着が無いからだろう。
今の私の服装はホテル滞在中、
「襟が無いのはNG、素足はNG」
と里奈が用意した物だ。
アマゾンの箱が届き、
「これがここに居る時の最低の服装」
と、着替えを強要された。
そんな訳で私は普段服装身なりに、
それ程注意を払って無い為、
上着一つ選ぶにしても、
随分時間を使ってしまった。
こちらが十分時間を潰していても、
里奈は一向に姿を見せない。
やはり寝台特急が気に入らなくて、
気が変わったのだろうか。
里奈は普段、
旅行の移動には何を使うのだろうか。
プチセレブっぽいから彼女だから、
ヒコーキのビジネス???ファーストクラスとか。
プライベートジェット何かじゃあないだろうなあ。
「本当の金持ちはファーストクラスは使わない」と、
知った風な内容のネットの記事を読んだ事もあるし。
そう云えば、
何所かネットカフェか何かに入って検索すると、
案外、
「K埼里奈」のキーワードで何か出て来るかも知れない。
専らホテル住まいと思っていた里奈が、
マンションを持っていた事も初耳だ。
「仕事の事はエージェントに任せて置けば良い」
と言いながら態々、
「顔を出して置きたい所」というのも気になる。
里奈はクライアントと言っていたが、
スポンサー、パトロンの類ではないのか。
ホテルでの里奈の待遇は、
単なる上得意客と云うよりVIP待遇の様だった。
実家一族がホテルの経営に関わっているとか、
親が資産家であるとか・・・。
そんな風に、
妄想詮索が大きく膨らみ始めた頃、
漸くエントランス外の淡い照明の中に、
キャスター付きの、
大きなキャリングケースを引いた
里奈の姿が現れた。
此間の仕事を、
クライアントが大変気に入っていたと、
里奈は上機嫌だった。
「里奈ちゃんの仕事って何」
ちょうど好い機会だと聞いてみると、
彼女は肩にかけたショルダーバッグから、
スケッチブックと何か色鉛筆の様な画材を取り出し、
ベンチに座っている私の横にぴったりと超密に座った。
彼女が横に居ると芳しい香りが漂う。
里奈は何か知らないが、
流行アニメのキャラクターの様な絵を描いて見せた。
その出来栄えは、完全にプロが描いた作品だった。
「里奈ちゃんは、
もしかしてアニメーターとかイラストレーターとか」
しかし彼女は私の問いに答えず立ち上がり、
「ゴメン、ちょっとここで待ってて。すぐに戻るから。
ここ、動いちゃあ駄目よ。あなた直ぐに迷子になるから」
そして続けた。
「ぼんやり座って待ってるだけじゃあ駄目よ。
ちゃんと、これ見ててね」
しかし私は、
言付けられた里奈のキャリングケースよりも、
スケッチブックの絵の方に見入っていた。
夢が覚めて仕舞えば全部終わりだけど、
せめてこの絵を現実世界に持ち帰れないものか。
「あら、上手に描けているわねえ。あなたが描いたの」
少しのんびりと聞こえる声が頭の上から聞こえた。
顔を上げると上品な老婦人が立っていた。
結構なお年寄で大きなマスクが顔を隠しているが美人だ。
里奈も美人だけど、このお婆さんは気品が漂っている。
「私も描いてみようかしら。それ貸して下さる」
「ありがとう」
と、お婆さんは私から画材を受け取り、
ソーシャルディスタンスを十分に取って座った。
そして、あっという間に絵を描き上げた。
「はい」
と言って渡された絵を見て私は息を飲んだ。
凄い!里奈と同じ様な
アニメ、少女漫画のキャラクター風の作品だが、
素人目にも全くレベルが違った。
里奈の絵はプロが描いた作品というだけだが、
このお婆さんの絵は芸術作品、次元が違うと思った。
お婆さんが描いた絵に、
すっかり見入ってしまって気が付くと、
そこにお婆さんはもう居なかった。
そしてそこには両手に一つずつ、
ストローの付いた飲み物のカップを持った里奈が立っていた。
「はい」
と、里奈がカップの一つを私に差出し、
横に座ろうとした時、彼女のポケットから音がした。
「あっ、S本さんだわ。もしもし、うん今、駅よ」
周囲の人も疎らで閑散として静かだからか、
スマホから相手の声が漏れ聞こえた。
「ところで彼、大丈夫なの。
何時かみたいに、
騙したのはお前だろう、訴えてやる!
って、逆切れされても知らないわよ」
「大丈夫よ。彼はそんなに悪い事出来ないわ」
「そうね。見るからに小心者だから、
大それた事はしそうにないねえ」
「あれS本さん。彼のこと知ってるの」
「この前、一緒だった人でしょ」
そう云えば何時かホテルのロビーで、
里奈が話していた中年女性と目が合った事がある。
あの人が里奈のエージェントだったのか。
そう云えば一昨日エージェントと電話で話した時、
「あなたも大変ねえ。精々上手くやりなさい」
みたいな意味深な事を言っていた。
「それに頭鈍そうだから、
悪い事も思い付かないかな」
「酷い!そんなに彼をディスらないでよ」
私をイジっては盛り上がり、二人は大笑いしていた。
里奈は態と私にこの電話を聞かしていた様な気がした。
私は「聞き耳なんか立ててないよ」とばかりに、
もう一度スケッチブックを開いて二つの絵に見入った。
夢が覚めても何時迄もこの二つの絵を忘れずにいたい。
何時の間にか私は芳しい香りに包まれていた。
気が付くと、
里奈は私が手にするスケッチブックを覗き込んでいる。
「この絵!どうしたの」
「誰だか分らないけど上品なお婆さんが描いてくれた」
「○○先生だわ」
「何先生か知らないけれど、
里奈ちゃんの絵見て、良く描けてるって褒めてたよ」
「○○先生は私の絵を褒めたりしないわ。
褒めてたのはあなたが描いたと思ったからよ。
いいなあ、先生に絵を描いて貰えるなんて。
私、この絵欲しいなあ」
「この絵欲しい」と言っても、
元々スケッチブックは彼女の物だ。
「兎に角、
絵を褒めてくれて描いてくれたのだから、
良い思い出になったじゃあないか。はい!」
里奈にスケッチブックを返した。
「ありがとう」
「ところで、あのさぁ」
何とか話を元に戻そうと私は試みた。
「俺の田舎に行くのは好いけど、
里奈ちゃんは家族とか、
お父さんお母さんは居る・・・、
あのぉ、ご健在・・・」
「両親はもう亡くなって居ない。
五才年上の姉と七才年上の兄が居る」
と、里奈は答えた
兄も姉も教員だそうで、それが私には意外だった。
「姉貴は音楽の先生、口うるさいわよ。
兄貴は体育の先生、空手やってて怖いわよ」
それを聞いて私が少し不安な表情を見せると、
彼女は可笑しいという様な仕草をしながら、
「気にしなくても良いわよ。二人とも、
里奈は里奈の好きな様にすれば好い
と、言っていたから」
「それって、厄介者の妹を勘当とか・・・」
里奈の機嫌が良いので
つい軽口を言い掛けて「しまった」と私は思った。
しかし、彼女は怒る事も無く真面目な顔をして、
「そうかもしれない」
と言った。
そして里奈は辺りを見回し、
「ところで」と云う様な表情を見せた。
「ねえ、電車はまだ来ないの」
「もう来てる頃なんだけど、あれかな」
今当に入線中の列車は暗闇の中に小さく見えた、
ヘッドライトの光が見る見るうちに大きくなり、
後に続く車両の窓の明かりが帯の様に連なっていた。
その様は、まるで流れ星の様だ。
その一群の光が目前のホームに滑る様に入って来た。
「違うなあ」
地方のローカル線を走る車両と違い、
都会を走る電車はどれも最新の車両を何両も連結している。
しかし、
この電車は通勤・近郊用で長距離を走る電車の様には見えない。
「もう、頼りない」
「あっ!あれだ」
もう一度辺りを見回すと向こうのホームに、
早暁をイメージしたカラーリングの車体が、
ホームの照明を受けて輝いている。
各車両の乗車口には乗務員が立ち、
乗客に丁寧にお辞儀をして迎え入れていた。
「凄い!私たちの電車、二階建てね」
里奈は眼を輝かせて言った。
これからこの電車も、
流れ星が宇宙の暗闇に輝く星と星の間を高速で飛ぶ様に、
日出まで暗闇に点在する町灯の間を走り抜けて行くのだろう。
日出の車窓を見て、
期待通りのインスタ映えする風景だと、里奈は納得するだろうか。
「さあ行こうか」
私は立ち上がり、ふと気が付いた。
「こういう時は荷物は男が運ぶものではないのか」
私が里奈のキャリングケースに手を伸ばすと、
彼女は一瞬躊躇う仕草をしたが直ぐに、
「やっと分かった様ね」という風に、勝ち誇った顔を見せた。
そして、
里奈が立ち上がり私の腕を掴んだところで目が覚めた。