『 養 父 の 死 を 悼 む姪 か ら の 感 謝 の 手 紙 』
淡雪の朝です。
新雪にであうとおじ様を想い出します。
考霊山の頂まで新雪はまばゆく輝き、お陽さまに従い走るバスの車窓一面まっ白。
おじ様のお人柄を忍びました。
お別れの日
軍靴がお棺に入れられ蓋をされました。
緊張がなければ、もう少しで大泣きしていました。
黙して語らぬ軍靴「これだ~!!」と胸をうたれました。
崖っぷちに立たされ、窮地の暮らしと変わった時、築いてきた未練や怒りや恨みが、堂々めぐりでわめき散らし、ののしりたいマグマや金銭の恐怖と、一人ぼっちになった
怖さにおじ気づき涙しかない私に静かに言われました。
忍耐だけ。
「ガマンですか?」と尋ねました。
「ガマンとはちがう」と言われました。
「忍耐」とは、終始一貫、泣くこともわめくことも余計なことを言うこともいけん。
誠意がなければ何をやってもダメなんだけ、と平明に話されました。
足もとの暮らしを守り余計なことは言わんで、時をつくるんだと言ってお帰りになりました。
不幸になれば親でも、きょうだいでも、ましてや親せきも逃げてしまいました。
未来もない生活などこれ以上できない、終りにしようとまで思いつめていた私です。
おじ様の言葉を「守り神にしよう」と迷いからさめ,心が定まり毎日を生きてゆく「灯台」にして閉居を暮らし始め墜落した人生にならずにこれたことは、厚く感謝を申し上げなければと思います。
軍国主義の軍靴は、戦地から生きて帰る「忍耐」だったのでしょう。
命をかけた軍靴。
今度は私に授けていただき、見守り続けて下さいましたのですね。
お目にしたとたんそう信じました。
頑張れとお声がしたように思えました。
あんなにつらい切ないと思っていた、あのころが人生の土台になりました。
おじちゃん ありがとう。
ありがとう。
本当にありがとうございました。
春とはいえ、まだ寒さが残ります。
皆様お体をお大切にご自愛くださいますよう願っております。
ご法要のご案内を頂戴いたしましてありがとうございます。
こころよくお受けさせていただきますのでよろしきお願いします。
かしこ
平成二十三年やよい三月
○ ○ ○ ○ ○ より
皆 さ ま へ