時間が経つにつれて誠輝の不安はますます強くなって、心臓が高鳴り息苦しささえ感じはじめた。
気温も闇の深まりに比例するかのように低くなり、身体は“ブルブル”震え、顎も“ガタガタ”と小刻みに鳴った。
「このままでは怪物と共倒れになってしまう」
ここで村人を待つか、それとも村に帰って助けを求めるか、誠輝は重大な決断の岐路にた立たされた。
「村に帰って助けを呼ぼう」
誠輝は怪物をその場に残して村に向かって歩き出した。
雪明りの中、ようやく大野池の岸辺までたどり着いて大岩の頂を見上げると、山頂のあたりが赤みを帯びているように感じられ歩みをとめた。
「もしかしたら村人かもしれない」
誠輝がかすかな期待と不安を抱きながら山頂を見上げていると、赤みを帯びた頂はしだいに明るさを増し松明の炎で照らされた。
そして、七八本の松明の炎は一直線に大岩の頂を下り、大野池の岸辺に向かって来るのが分かると、誠輝の目からは涙が溢れ、村人の姿がかすんで見えなくなってしまった。
「誠輝、大丈夫か!」
村主の義助(ぎすけ)が、誠輝の肩を抱きかかえるように言った。
「礼香、礼香は無事ですか」
誠輝の口から突然とび出した叫び声に、義助は一瞬戸惑いを見せたが、誠輝をなだめるように静かな口調で
「礼香は大丈夫、“フラフラ”になって村にたどり着いたので、村の者も心配して、今はわしの家で休ませている」
誠輝は義助の手を固く握ると、涙で濡れた顔を“そぉ~と”そむけた。
村人は、各々が手にした松明をかざし怪物の周りに集まり、興味深そうに覗き込むと口々に囁いた。
「この化け物みたいな怪物、いったい何だ!」
「どうしてこんなところに倒れているんだ」
村人の騒ぎをよそに、義助だけは雪の中に倒れた怪物の顔を食い入るような面持ちで覗き込んだ。
「この怪物、大山の山の奥深くに住むと伝えられている、カラス天狗ではないか」と言った。
すると天狗の周りに集まっていた村人の一人が
「この怪物が里に下りてはあちこちの村で、いたずらや人さらいをするといわれているカラス天狗か、村に連れ帰ったらどんな祟りや災いが起こるか知れない」
と言うと、他の村人が
「せっかく助けてても、祟りや災いが起きてはたまらない」
と言ったので、村人はその言葉に流され天狗を置き去りにして帰ろうとした。
しかし、義助だけは一人腕組みをして遠くを見つめ、祈るように神妙な面持ちで何か考え込んでいた。
今、そこに消えかかろうとしている命がある。
化けものだろうが、怪物だろうが、後で、祟りや災いが降りかかろうとも、このまま死なせるわけにはいかない。
誠輝は純粋無垢な若者、義助の袂にすがりつくと必死で懇願した。
「このままでは天狗さんが死んでしまう、助けてあげて」
すると義助は、村人に言った。
「みんな、誠輝の優しい心根を汲んで、村に連れ帰って介抱してみようじゃないか」
義に厚い村主の義助、村人はもともと情け深い人ばかり、義助の言葉に異を唱える者など一人もいない。
村人は背丈が六尺、重さが十五貫あまり、薄汚れた白い衣をまとい、干からびたように痩せ細った天狗のまわりを取り囲み、雪の中で冷たくなった体を抱えて橇に乗せると、上から莚をかけて縄でくくりつけた。
「ウウ、ウ、ウ・・・・」
天狗は低い呻き声を上げると、深いこん睡状態に陥ってしまった。
【こんな断崖にこんな清楚な花が咲いていました。なんと言う名前でしょう】