清左衛門は店の中を見渡して奉公人たちを一瞥し、土間に降りると固く閉ざされた雨戸の突かい棒をはずして戸を開けた。
”ビュー” 凄まじい風が店に吹き込んだ。
彼は雨戸をつかんでかろうじて体を支えると、僅かに開けた、戸の隙間から外に目をやった。
一瞬、彼は砂嵐のような雨粒に襲われて目を閉じた。
目を細めて海を見ると、防波堤で砕けた波が、高潮となって岸壁を越え、波止場から二十間ほど奥に建つ坂江屋の店先まで迫っていた。
晩秋の空は風雨に遮られて、夕暮れのように暗くなっていた。
彼は叩きつけてくる雨に耐えながら、荒海を凝視して大きく溜息を吐いた。
「 うーん」
彼の着物はびしょ濡れになり、恨めしそうに沖合を見詰める顔からは、みるみる内に血の気が引き、呆然と立ちすくんでいた。
しばらくして気を取り戻した彼は、気力をふり絞って板戸を閉めると、辰吉や奉公人には目もくれず、店の土間から母屋に通じる廊下を雨で濡らしながら中庭を抜けて母屋に返った。
びしょ濡れになった清左衛門の着物姿を見て、妻の糸は慌てた様子で清左衛門に言った。
「どうされたんですか?早く着替えてください!」
清左衛門は糸が出した手拭いで、濡れた頭や顔、体などを拭いて、着物を着替えると、糸は濡れた着物を持って外に出て行った。
清左衛門は、糸の姿が消えるのを確かめると仏間へと入って行った。
彼は位牌の前に座ると、瞑想しながら手を合わせて焼香を済ませると、居住まいを整えて糸を呼んだ。
糸が心配そうに仏間に入り、彼の前に正座した。
「糸、お前も知っている通り、美保丸は今日か明日には帰ってくるはずになっていた。しかし、この大時化。どこかの港に避難していてくれればいいのだが、今も航行しているようだと難波しても不思議ではない。わしは、万一のことを考えると、ここでじっとはしては居られない。そこで、今から地蔵崎まで海の様子を見に行こうと思っている。辰吉や奉公人に言うと心配するだけだから黙って行かせてくれないか」
糸は顔をこうばらせて清左衛門に擦り寄ってきた。
「お前さん、なにを言うんです。この大時化の中、地蔵御崎に行くなんて、命を捨てに行くようなものですよ!」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない、わしが地蔵埼に行って、沖之御前、地之御前に鎮座される事代主命に命を賭し、美保丸の無事をお祈りしてこそ願いが叶うというもの。わしは無事に帰ってくる。何も言わずに行かせてくれ。頼む」
糸は崩れるように膝を落とすと、彼を見上げ、必死に思い止まらせようとすがりついてきた。
「糸、もういい。わしは坂江屋の主人だ。わしの命に代えても、船頭や舟子の命を守る責任がある。地蔵御崎に行く支度を頼む」
清左衛門は菅笠に蓑を身に着け、脚絆を巻くと手にカンテラを持って、心配そうに見送る糸の視線を背に受けながら、裏木戸を開けると、荒れ狂う風雨の中を地蔵御崎に向かって歩き始めた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます