そんな関の港の早朝の波止場に、廻船問屋を営む、坂江屋の主人 清左衛門と番頭の辰吉が立って穏やかな美保湾の沖合を眺めていた。
あたりがしだいに白み始めてくると、沖合は靄に覆われ、漁をする舟の漁火がかすかに見え隠れしている。
夜明けと共に輝きを失った月と、港に係留された船が墨絵のように海に浮かんで見える。
東の空が、柔らかなオレンジ色から銀色に変わり始めると、海にかかっていた靄はしだい晴れて、あたりは急に明るくなり霊峰大山が顔をのぞかせた。
太陽は眩しい光を放ち、空には雲ひとつない小春日和。
沖合から吹きつける風が、清左衛門の細身で華奢な体を小刻みに震わせた。
「旦那様、冬も近くなり風が冷たくなってまいりましたなぁ」
辰吉の言葉に、清左衛門は腕組みした両腕で身体を擦りながら頷いた。
「そうだなぁ、もうすぐに霜月になる。美保丸は、今、どのあたりを航行しているか知らせは入らぬか?」
清左衛門は沖合をみつめながら言った。
「蝦夷を長月の初めに発って、越後、加賀、若狭、の国々で荷積み済ませ、但馬の国を、三、四日前に出港するとの知らせがございました。今頃は因幡国の沖合を航行しているものと思います」
「そうか。それでは今日、遅くとも明日の朝の内には帰ってこような」
さも、待ち遠しそうに頷いた。
清左衛門の父親の彦左衛門は、背丈は低かったが、骨太で頑健な躯体の浪花節堅気で人情に厚い当主であったが、清左衛門が三十路を過ぎたばかりの頃、急な病に倒れたために、当主の座を清左衛門に譲り、隠居の身となって療養に努めていた。
しかし、彦左衛門の病は療養の甲斐もなく、平癒するどころかさらに悪化していった。
死を悟った彦左衛門は、辰吉を枕元に呼び寄せて、清左衛門の後見役と店の将来を辰吉にして託して静かに浄土へと旅立って行った。
辰吉の父親の辰蔵は、この界隈では名の知れた漁師だったが、一人息子の辰吉が七歳のとき、節句に揚げる鯉のぼりを買う金を稼ごうと、荒海に舟を漕ぎだして時化に遭い、行方不明になってしまった。
あとに残された母親の峰は、消息の分からなくなった辰蔵の身を案じる日々が続くうちに、心労や疲労も重なり辰蔵の後を追うように亡くなってしまった。
子供のなかった彦左衛門は、身寄りもなく、独りになってしまった辰吉を引き取り、我が子のように大切に育てた。
それから数年たって清左衛門が生まれたが、彦左衛門は辰吉と清左衛門を差別することなく、歳の離れた兄弟のように、読み書き算盤から礼儀作法まで、分け隔てすることなくたたき込み、大店、坂江屋の大番頭が任せられる器にまでに育てたのだった。
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