たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

からす天狗の恩し (最終回)

2012年04月06日 12時14分36秒 | カラス天狗の恩返し

 

仁翔と勇翔の唱える易経は、時には高く、また低く、靄のように湖面を流れて、大野池を取り囲んだ山々に吸い込まれるように消えて行った。

太陽が山影に沈んで西の空が茜色に染まり、辺りが次第に暗くなると、夜空に耀いた星の光が、仁翔と勇翔の上に降り注いだ。

一日過ぎ、二日たっても村には何の変化もなく、村人の中にはカラス天狗さんはいったい何をしようとしているのだろと不審を抱く者も現れ、カラス天狗の様子を探りに大岩に行って見ようと言う者も現れたが、義助はこれを強くたしなめた。

そして三日目、辺りが夕やみに包まれる頃になって、急に大野池の周りの山の峰々から黒い雲が “ムクムク”と狼煙のように湧き上がりはじめ、それまで静だった湖面から“ブクブク、ブクブク”と白い泡が立って、水面に小石でも投げ込んだような波紋があちらこちらで起こってきた。

すると、仁翔と勇翔は湖面の変化に機を合わせるかのように、大岩から腰を上げて立ち上がると、両手を天に向けて大きく広げ、雲に向かって語りかけるかのように、一段と声を張り上げて易経を唱え続けた。

峰々から湧き上がった雲は、渦を巻くように大野池の上に集まると、まるで厚い絨毯でも敷き詰めたような塊となって池を覆っていった。

“ド、ド、ド、ドン”大地震でも起きたかのような地鳴りと共に、雲間から蒼白い閃光が走って大野池に突き刺さった。

湖面に突き刺さった閃光が、激しい水しぶきを噴きあげ、竜神さまが翼龍から飛龍へ変身して、天上に駆け登って行くかのように湖面を高く盛り上げた。

黒い雲の塊から、耳を劈くような雷鳴が轟き、蒼白い閃光が無数に飛び散る様は、天上に駆け登った飛龍が行き場を失い、雲間で荒れ狂っているようでもあった。

大野池が閃光に照らされて、真昼のような明るさになると“ポトリ、ポトリ”と大粒の雨が落ち始めたかと思うと、次の瞬間、一寸先も見えないほどの豪雨となって、滝のような雨が仁翔と勇翔に襲いかかっていった。

そんな豪雨に耐えながら、仁翔と勇翔が一心不乱に易経を唱え続けていると、大野池はみるみる水嵩を増すと、堰を切り、濁流となって大岩に押し寄せてきた。

村人たちは豪雨の中を、大岩のカラス天狗の安否を心配し、義助の家に集まると無事を願って一心不乱に祈り続けた。

次の日、山影から太陽が姿を見せると、昨夜の雨が嘘のように晴れ、山々の草木は息を吹き返したように新緑の香りを漂わせていた。

村人が義助を先頭に、大急ぎで大岩に向かっていると、村人が掘った水路に、水が“ゴォーゴォー”と溢れるように流れ込んでいた。

「これは、どうしたことだ。 カラス天狗は無事だろうか?」 と義助が言った。                     

誠輝はカラス天狗の安否が心配で、居ても立ってもいられない気になり、大岩に向かって駆け出して行った。

誠輝は大岩に着いて頂を見上げたが、カラス天狗の姿は見えない、はやる気持ちを抑えながら頂に駆け登ったが、仁翔と勇翔の姿は何処にもなく、大野池の湖面だけが、大岩に迫り、これまでの数倍もの大きさに広がっていた。

村人が水路に沿って、ようやく大岩の下までたどり着くと、岩の裂け目から、水が滝のように噴き出して水路に流れ込んでいた。

「この滝は、カラス天狗さんが、我々に授けて下さったのだ!」村人は、口々に叫んだ。

義助は懐から鹿笛を取り出し“ヒュルル~ヒュルル~”と吹き続けたが、カラス天狗が姿を現すことはなかった。

村人は天狗に授けてくれた滝を、天狗滝と名付け、村の宝として大切に祀ることにした。

それからは、この村が干ばつに襲われることはなくなり、四季折々の山の幸、豊かな自然、美味しい水、素朴で優しい人々が暮らす村は、世間から隔絶された幻の桃源郷として、子々孫々の今日まで続いています。

【長らくご拝読いただきありがとうございました】

 

 

 

 

 

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