夜中にふと目が覚めた。
時計を見ると午前三時十五分だった。
すぐに頭に浮かんだのが、イスラム国に拉致された後藤健二さんの生死の事だった。
新聞、テレビ等で連日報道され始めてかなりの日数がたつ。
彼の生死はいったいどうなるのだろうか?
無事に解放されるのか、それとも、ヨルダン、日本、ならびに支援各国政府の懸命な努力にもかかわらず、彼の存在はこの世から消滅され「無」になってしまうのか。
「無」とは、一体とういう状態の事なのだろうかと考え始めた。
無念・無能・夢想・無上・無情・無常・無想・無心・無届・無頓着・無敵・無動・無知・無恥・無茶・無尽蔵・無礼講、無い、「無」のつく言葉は、まだまだ多くある。
この「無」の意味するものは一体どういうことだろう?
「無」について考えた。
「・ないこと ・存在しないこと ・欠けていること ・いかなる有でもないこと
・万有を生み出し、万有の根源となるもの」
「無」は「無」であり、ほかの何物でもない、極限の「無」と言うことか?
「無」とは、水も空気も、文字も言葉も、人間の心も生命も、地球や宇宙の存在も、「無い」状態なのか?
こんなことすら考えることのできない状態が「無」かも知れない。
「無」すなわち「無」すらない状態なのかも?
こんな、馬鹿げたことを考えているうちに朝を迎えてしまった。
「お父さん、御飯ですよー」妻の声がする。
今日も未知の時間「無」の一秒から一日が始まる。
後藤健二さんが無事で解放されますよう。