天 の 浮 橋
白 雲 善 恕
日本海をさえぎるように延びる島根半島は、岬と湾が交互に鋸歯する荒々しい岩肌が続く半島で、岬の尖端には鳥居が建てられ遙配所も設けられている。
鳥居の正面に立って海を眺めると、遥か彼方には沖之御前と呼ばれる島が望め、眼下の深く落ち込んだ断崖の先には地之御前と呼ばれる島が浮かんでいる。
この二つの島には事代主神が鎮座され、古くから神の宿る島として地元の人々から崇拝され崇められてきた。
古のころ、この岬の断崖の岩場に海運業や漁業を生業とする人の手によって、七体のお地蔵さんが祀られ、航海の安全や大漁を祈願したことから、いつしかこの岬を人々は地蔵御崎と呼ぶようになった。
また、この半島のふところに抱かれるように広がる、穏やかな内海は美保湾と呼ばれ、その一角にある袋状の天然の入江に、関の港は開かれ、時化の日本海を航行する船舶や漁船の避難場所として重要な役割を担っている。
港から望む対岸には、美保湾から中海に通じる境水道を挟んで、弓ヶ浜半島の白い砂浜と松林が弧を描くように延び、霊峰大山の麓へと流れるように続いている。
うららかな小春日和ともなれば、深い藍色に染まる美保湾と、大山山麓のモミジ、カエデ、ナナカマド、ブナなどに彩られた、色彩豊かな眺望は絶景である。
そして晩秋の頃には、大山山麓から霞が湧きあがり、雪におおわれた山頂から朝日が昇ると、まるで天女が天空で舞でも舞っているかのような神秘の世界にいざなわれ、我を忘れ吸い込まれるように立ちすくむこともある。
このような風光明美な地にある関の港は、三日月形の狭あいな地にも関わらず、往時のころは廻船問屋、呉服問屋、米問屋、海鮮問屋、醸造所、旅館などがひしめくように軒を並べ、北前船も行き交う出雲、伯耆、因幡の海の玄関口として大いに栄えていたという。
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