机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

貸本劇画・街

2023-05-16 03:37:11 | 本の読味

 片岡千恵蔵の多羅尾伴内を描いていたら、そういえば知恵蔵風の表紙絵があったような気がしてきた。何の事かというと、昭和三十年代に流行っていた貸本劇画の表紙のことだ。子供の頃の記憶であてにはならないが「街」という貸本劇画もあった。

 久しぶりにアドビのフォトショップにイラストレーターでレイアウトをしてみた。あとで画像検索してみたら出てきた出てきた、全然イメージが違っていた。脳内イメージはこういう感じだったんだけどね。当時の貸本は貸し料が二十円。子供には手が出なかった。

 当時の貸本劇画、料金もさることながら、絵が雑で子供心に引いていた。その魅力が解ってきたのは小学生も高学年になってからだ。順番的にいうと白土三平、さいとうたかを、平田弘史となる。中学生にもなると勉強そっちのけで、その魅力にはまっていた。

 もちろん、水木しげるやつげ義春も幼少の頃から知っていた。永島慎二などのは小学校にあがる前に読んだ記憶がある。今日的にはレンタルビデオが百円、レンタルコミックがン十円と当時からすると随分と安いと思う。

 昨今、物価高で庶民の暮らしは切迫しているが、エンタメがこうも安いのは絶滅の危機に瀕しているのかもしれない。そういえば近所のレンタル屋が姿を消していっている。レンタル屋が遠くなってバスで行っている。

 幼少の頃から今日まで手の届かないものでいっぱいだ。欲するものを頭の中で想像して、こうして絵に描いては慰めている。貧しくとも豊かな毎日だ。

            


映画・多羅尾伴内

2023-05-16 03:36:31 | 映画の味方

 どういう訳か映画「多羅尾伴内シリーズ」には、当時は劇場で観るという機会がなかった。生まれからして、さすがに終戦直後のものは無理としても、後の60年代頃のものは銭湯での映画の宣材ポスターで知っている。

 ダブルの背広に二丁拳銃を構える絵面は子供心をくすぐった。銭湯でポーッと眺めて、しばしどういう映画なのかと、ストーリーを自分なりに想像してみては悦に浸っていた。貧しくも楽しい時間であった。

 後年、テレビの映画劇場や今日的は動画サイトで古いを作品を観る幸運に恵まれた。良い時代になったものだ。これもネットだが古い少年雑誌が紹介されていた。その中に片岡千恵蔵の多羅尾伴内が紹介されていた。

 絵はその記事の写真を見てスケッチしてみた。子供の頃に見た銭湯の映画ポスターそのままに多羅尾伴内、片岡千恵蔵はかっこいいではないか。

        


水・空気・手塚治虫

2023-05-15 05:17:48 | 本の読味

 1970年代の半ば頃だったろうか。講談社から手塚治虫全集が刊行された。その作品群の多さには度肝を抜かれた。全集を全て買い揃えようなどと野心に燃えたが、あっさりと諦めた。理由は経済的理由だ。

 全部は買えないし、それに好きではない作品もある。手塚作品は幼少の頃から今日まで、その折々に作品に触れてきた。友達同志での本の貸し借り、本屋での立ち読み、勿論自前での月々の雑誌の購読。

 自分には、こうした思い出で充分だと負け惜しみではなく全集の買い揃えを諦めた。それが昨今、古本屋でどんでもない安値で手塚作品が売られている。これは好機とばかりに買い求めている。

 それでも死ぬまでには全部は読み切れないだろう。それでも良いと思っている。僕にとって手塚治虫は子供の頃のラジオ体操の朝の空気であり、川遊びの帰りに飲んだ岩清水の水なのだから・・・・・・。

 絵はそれとは関係なく映画の看板。九分九厘の仕上がり。

        

 

 


スクリーントーン(改)

2023-05-14 08:32:26 | デザインの世界

 スクリーントーンが使用される前と後では画風が随分と様変わりしています。よりリアルに表現されていて、ある意味近代的なのでしょう。個人的には少年時代に慣れ親しんだ挿し絵や絵物語のペン画に憧れがあります。

 とくに貸本劇画の諸作家の絵面には独特の描線運びがあり殺伐とはしていますが、それはそれで味わいがあり捨て難いものであります。当然、今日的なスクリーントーン表現はされていません。

 古いと思われるかもしれませんが、決してスクリーントーンが嫌いという訳ではないのです。むしろ進んで利用したいと思っています。しかし使用するには、それなりのセンスが必要です。苦手意識があるのかもしれないです。

     


スクリーントーン

2023-05-13 07:08:53 | デザインの世界

 スクリーンに特別、偏見があるわけではないです。またもう老骨ですから、幼少の頃のに見た絵物語や読み物の挿絵、はたまた貸本劇画にいまだに思い入れがあります。昔の雑誌などの絵にスクリーントーンを使った絵はなかったのです。

 昔の漫画などにもスクリーントーンは使用されていなかったわけです。薄墨表現があったようですが多くはは斜線やカケアミなどを多用していました。とくに挿絵などのペン画のシャカシャカ線は今も憧れがあります。

 昔の作家さんの中にはスクリーントーンを邪道呼ばわりしていた方もいたようです。が、絵の表現としてどういう効果を得られるにあると思います。時代の流れというものはどの分野にもあるものです。

 昔の先生方のい意見も自分の表現、主義があっての事だと思います。今の作家さんはスクリーントーンを効果的に使っています。とても素敵な絵が多いです。  2021・10・5・メモより

 と、いうわけで下の絵ですが、シャカシャカと描いています。現在進行中、まだ途中。