この度はFBの友達申請をありがとうございました。謹んでお受けいたしました。xxxxxはxxxxのxxxxと申します。もう五月も終わり、桜も咲いたというのに朝晩はまだ寒くストーブを焚く有様です。
xxxxの文章を読ませていただきました。大変に面白かったです。私の71歳という年齢では子連れ狼やI飢え男が主流でした。残念ながら途中で読むのを止めてしまったので熱心な愛読者ではなかったです。
他の作品に関しては全く知りません。スタジオ・シップの事や関連した雑誌や作家さん、作品群については、たまに見かける程度でした。もっと言えば近年の作品にも縁がありません。ワンピース等、手に取ったこともないのです。
やはり世代的に幼児期に読んだ少年ケニヤのような絵物語や少年時代に巡り合った貸本劇画に洗脳されています。そういう訳で小嶋剛夕に池上遼一は昔からファンでした。それでも年齢を重ねるごとに漫画から離れていきました。
ですから自分の人生と重ねるように文章を読ませていただきました。まったく知らなかった訳ではありません。遠くから当時は見ていました。途中解らない言葉や知らない作家さんが出てきたりしたので調べながら読んだので時間がかかりました。
二度、三度と読ませていただきました。思うのは過酷な世界なのだなと思いました。そういう所に身を置いていらっしゃるxxxxさんも狡猾で屈強な戦士の印象を受けました。私など素人からすると見上げるばかりです。
これを御縁に小説の方も読ませていただきます。ありがとうございました。
絵は下絵、デジタルの鉛筆描きです。映画「空の大怪獣ラドン」のヒロイン役の白川由美です。
空の大怪獣ラドンのラストシーンは悲しくも美しい特撮場面でありました。
話しは変わりますが、我が北海道では熊が頻繁に出没して住民を危機に曝しています。自身も街中でキタキツネをよく目撃します。
もともとは動物達の領域に我々人間が住みついてきた訳ですから何も言えないのですが、何とか動物と人間が仲良く生きていけないものかと考えます。
ラドンの冒頭シーン、炭坑町から始まり炭坑労働者仲間の喧嘩から物語りが始まります。なんとか仲良くやれないかと仲裁が入ります。
人間どうしでさえ喧嘩をしてしまう有様です。ましてや動物、はては怪獣に到っては上手く共存していくのは無理な話しなのでしょうか。
最後、ラドンは泣きながら阿蘇の火口に沈んで行きます。ただただ、静かに見送る人間達には答えは見つからないようです。
絵はヒロイン、キヨ役の白川由美です。下絵。
年齢を重ねると同じ事を繰り返し話すようだ。「それ前にも言ってました」と人から指摘される。愕然とするが当の本人は新鮮な気持ちで話をしているのだ。このブログでも前にふれた話題を書き込んでいるかもしれない。
最近、ふと思うのだが十五歳位からものの考え方や趣味嗜好が変わっていないのかも知れないという事だ。良く言えば信念がある。悪く言えば進歩がない。世の中の流行りに追いつけていないのかも知れない。
それほど深刻に捉えてはいないのだが、新しいものには興味をしめしたいものだ。流行りの音楽にベストセラー小説、最近のアニメやマンガと関わりたいのだが古い物の方がどちらかといえば好きだ。
音楽にしても洋楽とりわけ1950~60年代のシカゴブルースやジャズが好きだ。映画も洋画邦画もこの時代のものが好きである。これは若い時からそうで、当時の流行りのものより、ひと昔前のものに心ひかれた。
川の流れに例えると流れににそって下流に行くよりも、流れにに逆らって上流に登って行ったわけである。若い頃は古い物に辿り着くのには非常に難儀した。古いレコードを一枚入手するのにも町中彷徨ったものである。
本にしてもそうだ、古い本の収集にこだわってきた。古本屋を巡り、物珍しい本や資料本などを買い漁った。古本であるから現行よりも当然安い訳であるが、中にはプレミアがついた高い物も買った。
それらの物が山となって、今は家族の者もから疎まれている。老化はいまや肉体だけではなく自分の身の回りの物をも引きこんで巨大化してブラックホールと化している。家族が巻き添えを嫌っているわけだ。
世の中、断舎利などと称してシンプルライフを推奨しているようだが、どうにも執着から逃れられないのだ。当人にとっては貴重な物でも、他人から見れば塵なのだろうが暫くはこの塵と暮らしていく。こういう頑固なところも老化現象なのかも知れない。
下の絵もデータで、デジタルで描いたものだが、これも家人にとっては塵なのだろう。この絵を描く為のデジタル機材もパソコンを始め山のようにあるわけだが、今は手放すのは忍びない。描き案配に少しずつだが慣れてきところだ。
絵は完成とする。