事務所には大きな虫眼鏡がある。もともとは父が新聞を
読むときなどどこからともなく虫眼鏡を出してきて、虫
を観察するように新聞を読んでいた。若い頃、その姿に
なにかを感じたのか、欲しいと無理を言ってもらった虫
眼鏡である。直径10cm、鋼製にメッキの枠でレンズを
囲い、柄の部分は木製の円筒で中心部分が膨らんで握り
やすいようになっている。
どこで手にいれたか知らないが、いつの間にか家にあっ
て妙になじんでいた。父は細かいものなどをみる時に引
っ張り出してきては面白そうに虫眼鏡でみていた。その
虫眼鏡を無理やり譲り受け、思い出したように必要なと
きに出してきて使っていた。
ところが最近は毎日使っている。もともと近視で乱視な
のにそこへ老眼というものが加わって、メガネだけでは
みえないという緊急事態が発生してきた。そもそもパソ
コンのデータなどは拡大してみられるのであるが、図面
は紙に出力されているので拡大できない。それどころか、
最近は大きな図面も縮小してA3サイズに出力している
ので余計に見づらくなっている。
ただでさえ、小さな文字が縮小されると全くみる気がし
なくなるほどみえないのである。拡大コピーしてみる時
もあるが、いちいちそんなことはしていられないので、
虫眼鏡が登場するのである。この直径10cmの大きさ
は持ち歩くには無理があるが机の上であれば、重宝する
のだ。まるで手相を占うがごとく、小さなものまで確実
にみえるのである。そして観察者のようでもあり、気分
はシャーロックホームズなのだ。(←古い)
それはもう横からみていたら何を観察しているのか、と
いうほど頻繁に使う。ほとんどの場合は文字数字なのだ。
こんなに虫眼鏡を使う生活になるとは思わなかった。そ
してこんなに虫眼鏡が便利だとは思わなかった。
ただし、一つだけ気になることがある。深酒をした次の
日の朝は虫眼鏡でみてもみえない。虫眼鏡を使ってもみ
づらいのである。体調がいい時は虫眼鏡でハッキリ、ク
ッキリ気持ちがいいほどみえる。体調によってこれほど
違うのであろうか。それともアルコールは視力も悪くす
るのであろうか。
毎日、目薬をつかっている。ここ何年かは
完全になくなるまで使い切っている。いろ
んなタイプの目薬をつかってみたいので同
じモノはあまり使わない。そして目に良さ
そうなキャッチフレーズのものを買ってし
まう。
ビタミン何とかが入っているものはよかっ
たのであるが、白いシャツなどにこぼして
しまうと黄色いシミが出来たので薬の強力
さに驚いた。
目薬といえば、ボクは中学生の頃、水泳部
に所属していて、よく目をやられた。今は
ゴーグルをつけるのは当たり前であるが、
どうも当時は何もつけずによく泳いでいた。
結膜炎から始まり、大阪ではメバチコ(京
都ではメイボという)も発生し、左右上下
全てなった。(笑)そして透明の目薬と黄
色い目薬の2本が治療に使われた。その時
の黄色い目薬もシミになったような記憶が
ある。
そんでもって化膿しやすいタイプのボクは
腫れあがって最後にウミがでる。慣れてき
た頃には自分で絞って出していた。。。
そんな訳で化膿した時に道筋みたいなのが
できていて時期が来たら自動的にでてくる
という恐ろしいことになってしまった。
10代はそういう目の環境で水泳部が終わっ
てからも時々、目が腫れていた。そして京
阪電車で座っているときに自動的に噴出し
たことがあり、とてつもなく焦った記憶が
ある。それ一度きりですが。。。
もう、そんなことは無くなったが、あれは
何だったのだろうか。原因がわからないが、
年に1度はメバチコになっていた。
目薬から話はそれた。タイトルの面白いと
ころもなかった。が、目は大切にしなけれ
ばいけないので毎日、目薬を差している。
10年ぶりぐらいに人と会った。年賀状のやり取りや
電話では話していたのだが、会うのは10年ぐらい会
って無かった。そして驚いた。
同じ年くらいの人であるが、えらく太っていて、杖
まで持っていた。ううむ、何があったのか。
そして今日、急な展開のことが重なり、今週は急遽、
金曜日に岐阜へ、来週は名古屋に行くことになった。
ううむ、どうなっていくのか。
とりあえずは時の流れに身を任せ気分で取り組む。
今日は、母の日であった。
前もってインターネットで紫陽花を購入しておいた。
紫陽花は日と共に色が変わるというタイプのモノ。
本当に花の色は変わるのだろうか。
毎週、兄弟でいける人間だけ朝に施設に集まる。
オカンは特別養護老人ホームに入所している。認知症
なのである。親不孝なボクはあまり行けていない。
今日は少し遅れたのでみんなと入れ違いになったよう
で一人で施設に入って行った。
花を持って行ったらオカンはみんなが集まる部屋にい
てテレビを見ていた。個室に入って紫陽花を段ボール
箱から出してセットしてから車椅子を移動してオカン
を部屋に入れて紫陽花を見せた。あまりわかっていな
いようで反応は少なかった。花を目の前に差しだした
ら花を握りしめた。
しばらく二人きりで部屋にいた。話かけても反応が少
なく二人でぼうっとしていた。「もうお昼ごはんだか
ら戻ろうか。」言って、部屋から出ようと車椅子を動
かしたら、オカンが何かつぶやいた。かすかな声で聞
こえなかったのでもう一度聞いた。顔を口の方へ近づ
けてよく聞くと「なかようしよな」と言われた。
どこまで覚えていてくれているのだろうか。もう少し
顔を出さないといけないと思い反省した。
今日は一日中雨であった。
昨日、豊中市立文化芸術センターの小ホールで「人生フルーツ」が
上映された。前々から知っていたのだが、当日でもチケットがとれ
ると思っていたら、完売で観られなかった。観られなかったのであ
るが、もう脳は見る準備をしていたので何とか観なければならない
という指令が出たのでネットで調べた。
ニコニコ動画でやっていたので観た。観たけど最後の数分間がカッ
トされており、ちょっと気になるが、どうしようもない。いつか
完全版をもう一度観るのである。それに途中でCMが入って集中し
て観られなかったので、やはりもう一度観る必要がある。(笑)
内容は細かくは描かないが、建築家が理想の生き方を貫いた話。他
の人が観ると違う感想だと思うが、思想を貫いて実践した生活であ
った。それは雑木林があり、菜園があり、まさに六甲菜園で実験し
ている菜園生活の自給自足の生活であり、自然に語りかけ、人に語
りかけ、あんな暮らしがいいなぁ、と観ている多くの人が思う。
家という器は暮らしを変えるキッカケにはなっても暮らしそのもの
は、やはりどう生活したいかという気持ちがないと変わらない。
手間がかかることを面倒がらず、それを楽しむ生活。ゆっくりと時
間は過ぎていく。最後にお母さんがコツコツやっていくと見えてく
るものがある、というようなことを話していた。コツコツやってき
た人だから出てくる言葉だと思う。
いろいろと書きたいけれど、あまり書くと観ていない人に怒られそ
うなのでやめておく。とにかくオススメの映画である。
少しだけ加筆するとレーモンドという建築家が好きで模写した家を
建てて暮らしておられた。高窓の光の調整など見どころもあるが、
一番観てよかったのはワンルームの暮らし。ひと部屋という空間に
とても上手く住んでおられた。この建築家の理想の家はワンルーム
であったのではないかと思った。
そして自然との共生。建物も人も自然と一緒に暮らしていく。土を
育て、大地の恵みを受け取り生活していく。自然の恵みを工夫して
生活に取り込んでいく。
とても気持ちのいい映画であった。