白河ラーメン「とら食堂」というラーメンをもらった。
ちぢれ生麺に鶏がらスープの旨み(醤油味)と書いて
あった。さて、どうやって食べようかと思ったが、材
料がネギとメンマしかない。しかないが、ネギは沢山
あったので大量に入れることにした。メンマは、ほぼ
1袋、ネギは3本切って入れた。
メンマとネギ大盛りラーメン。チャーシュウ無し。
これに胡椒を大量に入れて食らう。麺とのバランスが
悪いので最後に大量のネギが余る。メンマを残してお
いて、醤油味のスープを絡めてメンマとネギを同時に
食べる。食感がよく、スープと絡んで非常に美味しい。
最後はネギとスープだけで食べる。醤油味のスープと
ネギの相性は抜群でネギがなくなるまで、ひたすらに
ネギを食らう。ネギを残してはネギに失礼なのである。
ネギに関しては、あまり細かく切らずに大雑把に切っ
た方がスープと絡めた時に食感がよく食べやすい。
シンプルだが、猛烈に美味しいメンマネギ大盛りラー
メンなのである。あ、褒め忘れていたが、白河ラーメ
ン「とら食堂」はオススメのラーメンなのだ。
畑を借りて共同菜園で野菜を育てている。本当の
ところは、ロシアのダーチャのように菜園付住宅
でどれくらい充実して野菜が育てられるか、自給
自足に近い生活が出来るか、というようなことを
経験するために畑で野菜をつくっている。
本音から言うと自然に負うところが多いが、でき
そうな気がしている。ただし、種類が多くできな
いので物々交換が必要である。若しくはお金を稼
いで他の食材を買う必要がある。土地の広さとの
関係も大切である。狭いと無理がある。
が、しかし、野菜を育てるために勉強し、連作に
ならない様に考えながら育てるなど、いろいろと
検討しなければいけないことも多い。
また、食べるためだけではなく、生きていくうえ
での教訓というものもいろいろと学べる。手を抜
いたら正直に不作で返ってくるし、一生懸命やっ
ても自然現象には勝てない。理不尽なことも経験
させられる。
順調に育った時はとても楽しく、土から抜くとき
何とも言えない満足感に達する。このいい時と悪
い時の違いなどは人生に通じるものがあるのでは
ないか、正直さが反映されるが、それだけではう
まくいかない、と、いうことがシミジミとわかる。
楽しさと悔しさがあるから次につながる。いいこ
とばかりでは成長できない。悪いことがあって、
始めて考えることになり、対策を練ることになる。
育てるというのが何であっても人間を成長させる
と思う。それがペットであても同じような感覚だ
と思う。
今回は野菜を育てるために雑草が不要であるが、
雑草は抜くのが重労働であるのでハサミで切った。
雑草は害虫を育てるという一面もあるのだ。でき
るだけ残しておきたい。
中腰での作業なので筋肉痛になった。ここには成
長は見いだせないが、雑草が低くなくなることに
より、野菜は成長してくれると思う。(笑)
有機農業よりも自然農業を目指しているが、なか
なか難しい。もっといろいろなアプローチから研
究してみようと思う。理想は映画の「人生フルー
ツ」のような生き方かなぁ。
5月3日に書きかけて途中で寝てしまって下書きのま
ま放置されたブログ。ちょっとアップしてみる。
( 建築の設計の仕事って新築では何もない更地の上
に様々な規制をクリアーしながら計画していく。
計画していくにあたって、「こんな感じ」「これく
らいの大さ」なんていう新聞広告にありそうな図面
が出来上がる。
それから実際には見積のとれる図面をそだ)
ここまでである。何を書きたかったのだろうと思い
つつ、設計の仕事とタイトルまでつけているので、
設計の仕事を書きたかったのだろうと他人事のよう
に思ってしまう。
これは同じ人間でありながら時間が経過すれば、す
っかり変わってしまうということを示す。特に好き
なことは時間が経てば情報も変わるし、気持ちも変
わる。でも変わらない部分もある。
多分、この時に最後に書きたかったのは「設計の仕
事」って面白いのです。だから大好きなのです。と
いう変わらない部分だったと思う。
状況によって変わらないといけない部分もある。が、
変わらない部分もある。変わらない、変えられない
ところを大切にしたい。
昨日は間違って2つアップしてしまった。時間の感覚が
おかしくなっていて深夜にアップしたのを忘れてた。
下書きに保管しておいて今日アップしておけば~といっ
ても仕方ない。(笑)
今日は朝から岐阜県の大垣市というところへ行ってきた。
まともな写真は計画建物の敷地の写真しかないのでアッ
プしない。9時半に待ち合わせだったので、7時くらい
に車で出発して大垣市へ。敷地まで155kmのドライ
ブであった。現地集合現地解散の大人の待ち合わせなの
である。
敷地を調査してから市役所へ行って関係部署を回る。回
るというのは下見のことであって、どういう図面が必要
で、どういう書類があるのか、どれくらい日数がかかる
のか、グレーゾーンはどう判断するのか(行政によって
考え方が違う)ということを聞いて資料をもらいつつ、
どんどん回っていく。
前日に予約してあったところもあるので、その時間に間
に合うように考えながら回る。だいたい地方の方はいい
人が多く親切である。都会が悪いと言っているのでなく、
数の問題で地方の方がのんびりしていて、いろいろと親
切に教えてくれる。
午前中に5か所、午後に2ヶ所と効率よく回り、夕方に
帰って来れた。まあ、そんな1日であった。まだ、協議
記録を覚えているうちにまとめないといけませんが。。。
発見は「西濃総合庁舎」というところへ行った時に、あっ、
西濃運輸?と頭に浮かんで調べたら西濃運輸の発祥の地
であった。岐阜って古くは美濃と飛騨の国だったのです
ね~。美濃の西で西濃であった。そして大垣城をみる時
間がなく、次回は時間をつくって観に行く予定。
大阪から大垣までは大阪→京都→滋賀→岐阜と4つの府
県を通ることになる。高速道路を途中で降りたら見どこ
ろ一杯である。養老の滝もみてみたいし、ひこにゃんの
彦根城も行ったことないな~とひそかに寄ってみたいリ
ストを思いつくのであった。
「やったら出来る」と持ち上げられ、「でも集中力がない
からアカン」と、けなされたりの生き方をしてきたが、今
朝の新聞で面白い記事をみた。「集中力」のことが書いて
あり、その中では「集中すること」は脳科学的には危険だ
というのである。
例えば野生の動物が目の前の獲物に集中していれば、あっ
という間に天敵にやられる。運転も目の前だけにとらわれ
ていては他のことに対応できない。そこで、「全体を俯瞰
して注意を効率的に分配すること」が大切なことである。
と書かれていた。
しかも、究極の集中力の持続時間は2秒とも言われている
そうだ。ということは集中力を高めるなどということは、
正しいようで無理なのではないか、ということになる。
そこでは注意をうまく分配する力(効率の良い「手の抜き
方」)が大切であって、ある程度の力加減で長時間、効率
よく作業ができるということに繋がる。
社会を生き抜くために必要な力は、「集中力」ではなく、
「注意の分配力」であり、そのためには全体を俯瞰的に見
渡し、物事を判断する能力を磨く必要がある。
そうか、そうなのか、生きていくには集中力より手抜き力!
と短絡的に思ってしまうと、そこには俯瞰力が抜けていて
ただの手抜きになったしまう。(笑) 「注意の分配力」と
いう言葉には、ある程度、集中してみていかないと注意に
気付かないということになる。ということは集中力も必要
であり、集注力とでも言うのであろうか。
まあ、これは社会現象にも言えるのであって、モリカケ!
はいいのだけれど、外交どうすんの、とか社会保障どなっ
てんの、とか他に注意してやるべきことが多くあるのに1
極に集中しすぎなのである。ササっと納得できるように結
論を出して他のことをしなければならないのである。
人間追い詰められたら俯瞰力など無くなるので、気持ちだ
けでも俯瞰してモノをみられるようにしておきたい。とい
うことは、ある意味、開き直りもあっていいのである。
「やったら出来る」は集中力というよりも努力の力なのだ
なあ。運という力も大きいと思うけど。。。