愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

武士道とは?その②

2015-07-22 14:12:17 | 今に生きる

武士道とは何か?その②

その①に続いて、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

武士の精神――歴史とともに変化し江戸時代に定着した「武士道」

◇武士の誕生

新渡戸は、『武士道』を「武士が守るべき掟である」と定義した。

そもそも「武士」とはどのような存在だったのだろうか。

武士という存在が歴史上に現れるのは、平安時代中期のことである。

中央の下級貴族が地方に土着することによって生まれた武士は、同族的関係を中核として

武装集団(武士団」を形成、鍛練した武芸をもって治安維持にあたった。

また、地方から上京し、皇族や貴族の身辺介護にあたる者もいた。「そばに侍る」ということ

から「侍(さむらい)」とも呼ばれた。

やがて武士団の中で、とくに突出した力を持つ集団が現れるようになる。

平氏と源氏である。

十二世紀末には源氏が貴族に代わり、史上初めて武家政権を開いた。

鎌倉幕府の誕生だ。

ここに、公家に代わって武士が実質的に天下を支配する時代が訪れたのである。

 

鎌倉時代は、武士という存在に大きな変革が起こった時代でもあった。

それまで曖昧だった武士の身分が確立するとともに、武士は武芸を持って主君に仕え、

主君はそれに応じて所領の給与、安堵を行なうという、封建的主従関係が成立したので

ある。いわゆる「御恩と奉公」の関係だ。

武士道の根底にある精神も、この頃誕生したと考えられる。

新渡戸も、「武士道は封建時代に自覚されるようになったのだから、その起源は封建制の

成立と時を同じくすると思われる」としている。

 

◇武士としての責任

このような封建的主従関係が絶対的なものとなったのは、江戸時代に入ってからである。

泰平の世が訪れると、それまで武芸を第一義としてきた武士の存在意義が問われることに

なった。

そこで武士たちは自らの利益はさておき、支配階級として庶民を倫理的に導く、すなわち

政治的・社会的リーダーとして公共に尽くすという大きな責任と自覚を持つことが求められ

た。

 その中で、武士たちが重要視した心得は、「嘘を言わない」 「利己主義にならない」

「礼儀を重んじる」 「上の者にへつらわず、下の者を侮らない」 「約束を守る」

「人の悪口を言わない」 「窮地に陥った者を見捨てない」 「してはならないことはしない」

「死すべき場では一歩も引かない」 「義を重んじる」 「卑怯な行動や不正な行為をなさな 

い」というものであった。

 

このような精神を、武士は幼い頃から言い聞かされ、そして人と交際をしていく中で

身につけていった。

明治時代になると、武士という身分は消滅してしまうが、その精神は現在にまで受け継がれ

ているといえよう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

以上の中で、武士たちが重要視した心得の一つ一つは、現在に生きる人間としての

重要な指針でもあると思います。

よく、明治の人は骨が通っている、と言われますがその名残が男性女性ともに

備わっていたと思われます。どの時代でも精神が行き過ぎると、過激な行動に走りますが、

今の時代は、矍鑠(かくしゃく)とした人物が見掛けなくなったように感じます。

利益優先、物質優先のワレヨシが蔓延っている現状です。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿