袋田の滝トンネルから滝川沿いの道に出て、滝を振り返った図です。左に見えるコンクリート施設が第1観瀑台、その奥にそそり立つ断崖絶壁が陽にあたって白っぽく輝いていました。
現在は一般通行禁止となっている、四度滝不動堂奥之院への参道です。いまは寺の専用管理路となって奥之院堂宇の維持メンテナンスや儀式等に寺関係者が使用しているそうです。かつては滝見物の観光客もここを行き来して奥之院まで参詣していましたが、御覧の通り、現在の判断基準では危険とみなされますので、立ち入りは不可となっています。
現在の順路は、かつての奥之院参詣路の一部を再利用する形で滝川の北岸を少しなぞりますが、旧参詣路がそのまま北岸に沿ってゆくのに対して、上図の吊り橋によって地形的に安全な南岸へと導かれます。旧参詣路は滝川べりの岩だらけの川原沿いに続いて一部が崩落してしまっているため、南岸へと回る現在のコースが設けられたもののようです。
吊り橋から見下ろした滝川の景観です。かつての溶岩流の名残なのでしょうか、大きな岩がゴロゴロ転がって渓流に洗われていずれも丸くなっています。上図左奥に、滝川の南岸の高台へと通じる順路の階段が見えます。その上の傾斜面が天険をうたわれた戦国期の佐竹氏の「月居番」こと月居城の北西崖にあたります。
吊り橋から滝の方角を見ました。滝の三段目と第1観瀑台、そして左上端に第2観瀑台のデッキの一部が見えました。
そして天然の要害となった月居山の城塞の外郭を成した、断崖絶壁の連なりが南へと続いて滝の上流に沿ってゆくのが望まれました。この地形のなかで捉えると、袋田の四段の滝は月居城の東から北にかけての塁線下を護る天然の水濠になっていることが分かります。佐竹氏が本拠地常陸太田の勢力圏の北を護る拠点を置く地として、これほど相応しい地形もそうそうないと思います。
袋田から、一気に大洗へ移動しました。車中では私自身が勤務先の大学にて最近に直面している改革や試行等の各課題などについて色々話していたと思いますが、Hさんも様々に見解を披露してくれて盛り上がりました。それで二時間近くの移動があっという間に過ぎた気がします。
大洗へ入ってからの予定は特に決めていなかったのでしたが、Hさんは当然のように大洗磯前神社へと入りました。大洗にてガルパンファンが必ず行く場所の一つであるからでしょう。
相変わらずのガルパン大絵馬が最終章仕様になっていました。これは2021年12月時点でのデザインで、BC自由学園メンバーが並ぶ第一話の仕様でしたが、来たる2022年には第二話か第三話の仕様に置き換わるのでしょうか。それともこのままずっと変わらないのでしょうか。聞けばHさんは新年の1月にも大洗へ行くそうなので、ガルパン大絵馬のその後をいち早く知る事でしょう。
とりあえずは神前に進んで拝礼しました。
その後は曲松商店街に移動し、上図の江口又進堂さんにも挨拶しましたが、江口さんに会うなり「・・・奥様とはいつから・・・?」と訊かれたのには面食らいました。大洗の方々にはこれまで嫁さんのことは一切話していなかったので、なぜ江口さんが知っているのかと動揺し、かつ不思議に思いましたが、周囲に居たガルパン巡礼の方々もこちらを見て答えを待っている風情でしたので、仕方なく小声で「去年(2020)の秋から・・・」と答えました。
そして、時折聞かれるままに経緯を簡潔に述べましたが、江口さんが知ってるということは、おそらく私を知る大洗の方々は大体知っているのだろうな・・・、と悟って再び動揺しました。嫁さんも一度大洗へ行っていますから、その時を覚えている方は、小柄な和装の佳人のイメージで記憶している筈です。
おそらく、鳥孝の稲石さんもカノウヤの柴沼さんも知ってて、お店に行けば何か訊いてくるのだろうな、と予想しましたが、その通りになったのでした。 (続く)