伏見稲荷大社の境内地の南側に位置する、松の下屋及びお茶屋は、もと神官の秦姓祠官松本家の居宅であったところです。今回の特別公開においては両方とも対象となっていたので、まず北側にあるお茶屋を見学することにして、上図のお茶屋への通用口へと向かいました。
通用口をくぐるとすぐ右側に玄関口がありました。
玄関口より左手には裾庭ごしにお茶屋の北縁などが見えました。玄関口から入ると土間廊の空間になっていて、そのまま真っ直ぐ進むと・・・。
南側の松の下屋の前庇の下に出ました。突き当りは松の下屋の主屋の裾になりますから、それ以上は進めませんでした。お茶屋と松の下屋を連絡する通路空間が一切見当たらないことに気付き、だからそれぞれの玄関口が別々になっていたのか、と納得しました。
引き返して再びお茶屋の土間廊に戻り、式台から内部の書院などを望みました。京都の古社寺にはよく見られる客殿の建物のそれに近い雰囲気でしたが、建具の飾り金具や柱の釘隠しなどに皇室系の意匠がみられました。
それもそのはず、このお茶屋は江戸期の寛永十八年(1641)に、当時の院の非蔵人として仕えていた伏見稲荷社目代の羽倉延次が、後水尾上皇より御所の古御殿の一部を拝領して移したものです。
躙口(にじりぐち)をもたない、いわゆる宮廷貴人好みの茶室で、書院式茶室の貴重な遺構とされています。宮廷風の書院造をベースにして随所に数寄屋造の意匠を巧みに取り入れてあり、もとは古御殿の奥書院あたりに接した茶室空間部分であったのだろうか、と拝察しました。
外観は、江戸期の御殿建築らしい簡素だが上品かつ繊細なしつらえにてまとめられています。現在の京都御所の建築群よりも古い時期の遺構だけに、京都御所の建物には見られない古式な要素が随所に見られます。
建物の構造は、身舎(もや)と玄関と車寄の三棟を干形に連接して一つの構えとなり、屋根は入母屋造りです。身舎(もや)は書院の七畳の上の間、八畳の下の間の二室からなり、菱格子の欄間を境にして設えが異なっています。上の間では、正面に張り出た一畳の本床、その左手の違い棚、右手の花頭窓のある書院の造りが見られます。
このような、床、棚、書院を一ヶ所に集める構成は、書院造りの基本であり、茶屋としてはかなり堅い意匠で格調高い内部空間が実現されています。こうした傾向の遺構は数少なく貴重で、国の重要文化財に指定されています。
お茶屋から庭園ごしに松の下屋を見ました。庭園に佇む風雅な二階建ての建物です。大正年間に建てられたものといい、当時の上流階級の和風住居建築の典型とされています。
庭園をひととおり回りました。園路の上のピークには瑞芳軒と呼ばれる茶室の建物がありますが、今回は非公開でした。
庭園を一周してお茶屋の脇に戻り、順路にしたがってお茶屋の東側を回って退出しました。
表門の横にある案内説明板です。入る時に二回、出る際にもう一回読んで、見てきた建築群の全体像を把握しました。
この時点で、時刻は15時44分になっていました。思ったよりも時間を費やしていたことに気付き、17時までに祇園四条へ戻れるように、少し足を早めました。
伏見稲荷大社の楼門前に一礼して通り過ぎ、裏参道から出るべく北へ進みました。
裏参道口付近から見た、二の鳥居と手水舎。
裏参道は、外国人観光客で賑わっていました。なんで正参道から入らないんだろうな、そっちのほうが空いてて歩きやすいのにな、と思ったりしました。
15時50分、京阪の伏見稲荷駅に戻りました。それから祇園四条へ向かい、この日の散策行程を終えました。
ですが、この日の伏見エリア歴史散策は、計画したルートの半分にあたりましたので、後の半分をほぼ半年後の11月3日にたどりました。次回はその散策コースを紹介します。 (続く)