この秋、傘寿の年輪を刻む。
こんな高年になるまで生きながらえるとは、「想定外」でした。
親父は63歳、兄貴二人は70を前にして相次ぎ逝った短命家系だか
ら、私もその年齢のあたりで幕を閉じるだろうと「覚悟」したものだ。
実際、65歳で胃がんになり「ああ、年貢の納め時が来たかな」と観
念したが、女房(当時元気だった)や子供たちに見送られて手術室に
入るときは、まさに「まな板の鯉」の心境で心は平静、自分でも意外
と落ち着いていた。
術後「もう1か月遅かったらアウトだった」と主治医に言われ、結構
悪運強いんだな、変に関心。
胃を3分の2切除、2か月入院したのち職場復帰して1週間でゴルフ。
口の悪い先輩から「お前、縫った腹が破れへんか」と冷やかされなが
らプレーした。
入院中、歩けるようになってからリハビリのつもりで院内各階の階段
を上り下りしたおかげで、疲れずプレー元気に遊べる喜びを満喫した。
その後経過は順調そのもの、再発の心配もなく今日に至っている。
傘寿の年頃になって、幼かったころの些細な記憶が鮮明に残っているの
はなぜだろう。
例えば・・・
小学校通学途中に、開け放った玄関(当時の田舎は、昼間は戸締りな
んかない)から突然「臭いなあ、けんじろう!」と女の大声が響いた。
多分お行儀悪くオナラでもして、母親に叱られたのだろう。
「健次郎」という名の子供は、私の近くにもいたのでびっくりした。
この他、幼児期の記憶が不思議と脳に刻まれて消えない。
たとえば・・・
・小学生のころ隣の女の子と「お医者ごっこ」したアブナイ遊び、
・無人の川で水泳中「大」を催し、水中に放出したら奇妙な形で出てきた、
・下校途中に犬にちょっかいして、飼い主に追っかけられた、
・学校の廊下で女の子の頭をたたいて泣かせ、親が家まで怒鳴り込んできた、
・先生に叱られ罰としてイガグリ頭にチョークで5重丸を書かれ、その姿で
家に帰って父に見つかり理由を言うと「お前が悪いからや」とまた叱られた、
「おもちゃ箱」から引き出すように、アホな記憶がぞろぞろ出てくる。
どれもこれもその後の人生にほとんど影響ない些末な出来事だけど、なんと
なく甘酸っぱく懐かしく忘れがたい。
年を重ねるということは、幼児期に帰っていくということか。
こんな思い出を大事にしながら、これからも年を重ねていくんだろう。
傘寿得て米寿を目ざす山笑う 竹下一記
さあ、もうしばらく元気で頑張ろうか。
< 法事の仏壇に供えたフラワーアレンジ>
ユキヤナギ コデマリ添えて 山笑う