アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅱ

2016-12-09 18:07:15 | 物語

 この日、左大臣長屋王の邸宅では大規模な法会が営まれていた。
 元々は父母の供養として計画されていたが、皇太子の重病で平癒祈願の法会
に切り替えられた。
 大安寺、元興寺、薬師寺などから大勢の僧侶が集まり、早朝から荘厳な読経
が続いている。
 噂を聞いた僧侶や沙弥が法会の会場、中央内郭に次々と集まり、まるで京師
中の僧侶がこの邸宅に集まってしまったかの如き景観を呈した。
 読経の効果が早くも現れたのか、冷気と濃霧に覆われていた午前中に比べ
て、正午を過ぎると、鮮やかな秋晴れの空が戻ってきた。
 読経する僧侶達の熱気はいやがうえにも高まった。

 長屋王の邸宅は四町にも及ぶ広大な敷地を誇っていた。平城京では亡き藤原
不比等の館と双璧を成している。
 大きな池に御座舟を浮かべ、長屋王、大伴旅人、葛麻呂が密談をしていた。
 御座舟にもう一艘の船を併走させ、管弦に合わせて、美しい巫女たちが優雅
に舞っていた。
 五十間程離れた中央内郭からは千僧の読経が聞こえてきた。
「葛麻呂、貴方が赴任する能登は小さいが、武蔵などに比べて大変重要な土地
です」
 木簡に走らせる筆を止めて旅人が言った。
「比羅夫将軍の東征、白村江の派兵、常に我が国の水軍の主力を成していまし
た。速やかに水軍を掌握し、能登の製塩、羽咋の造船を盛んにする事が貴方の
使命です」
「折を見て越前もそなたに与える」
 旅人に続いて長屋王。
「有り難き幸せに御座います」
 恭しく跪礼する葛麻呂、だが心はここに非ず、対岸の珍しい光景に奪われて
いた。
 辺で水を飲んでいた鹿の群れが怯えて散った。
 虎が水を飲みに来たのだ。
「窮鼠猫を噛むの例えの如く、追い込まれた藤原が何を仕出かすか分からぬ。
事有れば直ちに能登軍団を率いて愛発を抑えろ」
「能登の政は難しい、あい争う高句麗系の能登臣、新羅系の羽咋君、二つの豪
族の力を一つに纏めなさい。特に羽咋君は中々の曲者、油断は成りませぬぞ」
「いやいや道君のほうが余程難しい。能登の真の王は未だに道君であるのかも
知れぬ」
 対岸に虹色に煌めく羽を持つ珍しい鳥の群れが現れた、あああれが孔雀なの
だろう、と想像する葛麻呂。
「この葛麻呂、我が身を惜しまず励みまする」
「ハハハ、そう硬くならずとも良い、気楽にせよ」
 のんびりと木簡を旅人と交換する長屋王、旅人の詩に目を走らせる。
「流石に旅人、風雅である」
 長屋王の漢詩を読み上げる旅人。
「かうびんえんせうひらき、えうれいふえんたなびく、きんらんのしょうをめ
でてこそあれ、ふうげつのえんにつかることなし」
「先年の新羅宴で歌った詩である。いかがかな?」
「なかなかの出来映えかと」
「葛麻呂、ほんとうは世俗の諍いなどどうでも良いのだ。清風名月の宴に飽き
ること無し」
 と、のんびりと欠伸をする長屋王。
 のどかな、余りにものどかで優雅な光景だった。謀を密談しているというの
に、お人柄なのだろうか、なんだか馬鹿馬鹿しくなる葛麻呂。
 読経の声が一際大きくなって聞こえてきた。

 午後から朝務を終えた公卿達が続々と法会に駆けつけた。
 僧侶達の末席に加わって読経に参加する者、法会には見向きもせずに左大臣
長屋王に謁見を願う者、名符を置いただけで立ち去る者、様々である。
 政敵藤原四家からも誰かしらが参加して来た。
 政敵と言っても、表立って対決の姿勢を見せていたのは不比等の長子武智麻
呂だけで、次男房前、三男宇合、四男麻呂の三家は長屋王に懐柔されていたと
見られていた。
 葛城王と先月新設されたばかりの中衛府の少将高梓が連れ立ってやって来
て、僧侶の末席で読経に加わった。
 法会の会場に怪しげな沙弥、葛麻呂邸で乞食者に窶していた南火血麻呂が入
ってきた。
 南火血麻呂は読経には加わらず、西内郭への門を潜り、、食事を給す列の方
に歩いて行った。
 沙弥を見咎める梓、伯父行基の生駒布施屋で度々見かけ、札付きの悪党と聞
かされていた男だったからだ。
 そっと読経の列から離れる梓、南火血麻呂の後を追い、門を潜った。
 長蛇の列を作る僧侶と沙弥、不適な笑みを浮かべた南火血麻呂が列の後尾に
加わらずに前のほうに歩いて行く。
 警護の兵士を指揮していた、武智麻呂家の豊成と仲麻呂兄弟の傍で屈んで草
鞋の紐を結びなおす南火血麻呂、上目遣いに二人を見やってにたりと笑った。
 知らぬ振りを決め込む二人、豊成が仲麻呂に目配せを送り、仲麻呂がすっと
その場を離れた。
 そんな光景を訝しげに見やる梓。

 ようやく会場に姿を現す長屋王と葛麻呂。
「長屋の大君」
 若者の呼び掛けに立ち止まる長屋王、声のほうに振り返った。
「武智麻呂が次男仲麻呂と申す物で御座います」
 尊大な眼で若者を見回す長屋王と葛麻呂。
「何か?」
「怪しげな沙弥がおりますのでお指図を伺うべく参上致しました」
「それならこの葛麻呂に支持を仰ぎなさい」
 葛麻呂を残して読経の列に参加する長屋王。
「仲麻呂? ともうしたか?」
「はい」
「怪しげな沙弥とは?」
「読経には見向きもせずに給食の列に割り込もうとしておりますので」
「そんな事ですか、食事だけをねだる不埒の輩は何時でもいるものです、捨て
置かれよ」
「私のような若輩者には扱いかねます。ここは葛麻呂様の慧眼で宰領下さいま
せ」
 ふむとばかりに反り返る葛麻呂、尊大な態度で象牙の杓を胸の前で合わせ
た。

 列の最前列まで歩いてくる南火血麻呂、仲麻呂と葛麻呂の姿を確かめると、
最前列の僧侶を突き飛ばすようにして椀を差し出した。
「列に並びなさい!」
 咎めて言い放つ給仕。
 眼光鋭く睨み返す南火血麻呂。
 舌打ちをする給仕、椀に少量の飯を盛った。
「たっぷり入れろ!」
 渋々飯を盛り、汁をかける給仕。
 ふてぶてしい笑みを浮かべて椀を啜る南火血麻呂。
「なんじゃこれは! 長屋の大君ともあろう者が、こんな不味い物を仏の化身
に食わすのか!」
 飯を吐き出し、椀をぶちまける南火血麻呂。
 血相を変えて跳んで来る葛麻呂。
「無礼者!」
 と叫んで象牙の杓で南火血麻呂の額を打ち据えた。
 グワッとばかりに大袈裟な身振りで倒れこむ南火血麻呂、ふところから血糊
を取り出して額で塗りつぶした。
 苦しがって転げまわる南火血麻呂。
 眉を顰めて南火血麻呂の額の血を見る梓。
「おかしな事をする男よ」
 いつの間にか葛城王が横に佇んでいた。

 大量の血を見て更に興奮する葛麻呂、青ざめた顔で南火血麻呂を睨んだ。
「おのれ、仏罰が下るぞ長屋王!」
 南火血麻呂は葛麻呂と承知で長屋王と呼んだ、無体な仕打ちを何が何でも長
屋王に押し付ける為だ。
「賤形と侮ったが身の破滅!」
 警護の兵士が南火血麻呂を取り囲んだ。
「ほざいたな下郎、成敗して呉れる」
 罠にまんまとはまった葛麻呂が興奮して兵士の太刀を取り上げて南火血麻呂
に迫った。
 飛び起きて逃げる南火血麻呂。
 豊成と仲麻呂が巧みに逃げ道を作った。
 後を追う葛麻呂、少し走って息を切らして立ち止まった。
「清らかな血の代償がどんなものか思い知らせてやる、仏敵長屋王! 仏を蔑
ろにするは三宝の奴と詔する天皇をも蔑む不肖の行為」
 振り返って大声で喚きたてる南火血麻呂。
 傍で目撃していた少数を除いて長屋王本人が取り乱して沙弥を追い回してい
ると思ったに違いない。
「誰か下郎を殺せ! 早く殺せ!」
 狂ったように叫ぶ葛麻呂。
 葛麻呂が迫ると、脱兎の如く走る南火血麻呂、西外郭に逃げ込んだ。
 西外郭の井戸端で警護の兵士たちと葛麻呂がようやく南火血麻呂に追いつい
た。
 なぜか南火血麻呂は悠然と桶の水を飲んでいたからだ。
 兵士たちが南火血麻呂を取り囲もうとすると、豊成と仲麻呂が巧みに立ち回
って逃げ道を作り、南火血麻呂は桶と水を兵士たちにぶちまけてまた逃げた。
 ようやく塀の隅に南火血麻呂を追い詰める葛麻呂と兵士たち。
 激しく息を切らせた葛麻呂が南火血麻呂に迫って行く。
 開き直った南火血麻呂が懐から刀子を抜いて身構えた。
 死闘に縁の無い公卿の葛麻呂と殺しの専門家南火血麻呂ではまるで勝負に成
らない、誰もが葛麻呂が殺されてしまうと固唾を呑んだ。
 駆けつけた葛城王と梓が葛麻呂を両脇から抱き止めた。
「葛麻呂! うろたえるでない!」
 叱責する葛城王。
 われにかえった葛麻呂が項垂れて座り込んだ。
「葛麻呂様、皇太子平癒祈願の席で不浄の血を流しては、どのようなお咎めが
御身と長屋大君に及ぶや知れません、落ち着いて下さい」
 諭すように囁く梓、一尺程の枝を拾って南火血麻呂の前に立ち塞がった。
 ギョッとして立ち竦む南火血麻呂、構える枝の向こうの梓の姿が小さく成っ
て行く。
 スーッと枝を下げる梓。
 今度は大きく、すきだらけに成った、誘っているのだ。
 額から脂汗を垂らして怯える南火血麻呂、誘いに乗って飛び込めば、打ち据
えられてしまうに違いない。いや、刀子を隠していて、殺されてしまう。
 観念した南火血麻呂がへなへなと座り込んだ。
 ここぞとばかりに、兵士たちが雪崩れのように殺到した。
 その兵士たちよりも早く、豊成と仲麻呂が飛び込んで、南火血麻呂に縄をか
けた。

 南火血麻呂を葛城王の前に引き据える二人。
「いかがいたしましょうか」
「私などが口を挟む問題でもなかろう。御身たちが如何様にもすれば良い。最
初からその積もりであろうが」
 皮肉たっぷりに言い放つ葛城王。
 眉を顰めて葛城王を見据える仲麻呂。
 顔を赤らめて俯いてしまう豊成。
 ひそひそと言葉を交わした二人は南火血麻呂を木戸の方に連れ去った。
 見送る葛城王の顔が曇っている、怪しげな沙弥に見覚えがあったのだ、が、
いつどこで遭っていたのか、どうしても思い出すことが出来なかった。

 木戸を潜って二条大路に出る豊成と仲麻呂、南火血麻呂の縄を解いて放っ
た。
 ふてぶてしい笑いを浮かべて悠々と去って行く南火血麻呂。
 青ざめた顔で豊成が呟いた。
「なにもかも見破られていたのだろうか?」
「なに、かまをかけただけだ、案ずるな兄者、葛城王に何が出来るというの
だ」
 再び木戸に消える二人。
 二条大路を行き来する沙弥の一人が笠も上げずに南火血麻呂の方を見やっ
た、来寝麻呂だ。
 走り出す南火血麻呂。
 笠を目深に被った来寝麻呂が後を追った。
 ピョンピョンと飛び跳ねるようにして走るその姿はとても人とは思えなかっ
た。

 平癒祈願の読経は今や最高潮に達していた。
 何人かの僧侶が神憑った。
 解けた経巻を翳し、ひざまずいて青天を仰いだ。
「願いは成れり、仏が皇太子平癒をお約束下された」
 叫ぶように一人の僧侶が言った。
「吉兆じゃ、吉兆じゃ」
 どよめきが沸き起こり、次々と立ち上がって西の空を仰いだ。
 その西の空には、日中にも関わらず太白がポッカリと浮かんでいた。

 人は皆、自然の不思議に出会うと、吉であれ凶であれ、何かの兆と思いたが
るものだ。
 同じ兆しも時により、人により、立場の違いでも、吉兆となり凶兆となる。
 この日中の太白を、長屋王、葛麻呂、葛城王、高梓、そして豊成と仲麻呂、
あるいは皇居の首天皇も皇太子の母藤原夫人光明子も、夫々の複雑な思いを乗
せて眺めていたに違いない。
 日中の太白と長屋王狂乱の噂は、尾ひれをつけ、鳳凰のように羽ばたいて京
師中をその夜のうちに駆け巡った。

   2016年12月9日   Gorou

トウーランドットと竜女伝説

2016-12-09 16:41:43 | オペラ
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(コヴェントガーデン国立歌劇場2014)[Blu-ray]
クリエーター情報なし
OPUS ARTE

コヴェント・ガーデン王立歌劇場2014
プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》(F.アルファーノ補筆版)
ジュゼッペ・アダーミおよびレナート・シモーニ 台本

トゥーランドット・・・リセ・リンドストーム(ソプラノ)
カラフ・・・マルコ・ベルティ(テノール)
リュー・・・中村恵理(ソプラノ)
ピン・・・ディオニュシオス・ソルビス(バリトン)
ポン・・・ダグラス・ジョーンズ(テノール)
パン・・・デヴィッド・バット・フィリップ(テノール)
皇帝アルトゥーム・・・アラスディア・エリオット(テノール)
ティムール・・・レイモンド・アセト(バス) 他

ヘンリク・ナナシ指揮:コヴェント・ガーデン王立管弦楽団&合唱団
合唱指揮・・・レナート・バルサドンナ

アンドレイ・セルバン(演出)
アンドリュー・シンクレア(リバイバル演出)
サリー・ジェイコブス(装置・デザイン)
F.ミッチェル・ダーナ(照明デザイン)
ケイト・フラット(コレオグラフィ)
タティアナ・ノバエス=コエロー(コレオロジスト)

2013年9月 ロイヤル・オペラ・ハウス ライヴ収録

収録時間:125分+12分(トゥーランドットへのイントロダクション、キャスト・ギャラリー)
音声:イタリア語歌唱
ステレオ2.0/dts-HDマスターオーディオ5.1(Blu-ray)
字幕:英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・韓国語
※日本語字幕は付いていません。
画面:16:9
REGION All(Code:0)
Blu-ray・・・単層 25GB 1080i High Definition

東洋的な世界観、強烈な愛憎・・・余すことなく描き出した極上の演出をご覧あれ。
プッチーニの最後の作品となった《トゥーランドット》は普遍的なテーマ「愛、死、恐怖と力」を主題として、これを美しい旋律で彩った最高の名作です。当時流行の東洋趣味を多分に盛り込み、圧倒的権力を誇るトゥーランドットと可憐なリューの2人のヒロインの対比と、謎解きに翻弄される王子カラフ。この3人を中心に全てが渾然一体となって壮大なクライマックスを築き上げます。作曲家未完の終幕はフランコ・アルファーノ補筆版。歌手陣は、アメリカのスター・ソプラノ、リセ・リンドストローム(この舞台がコヴェント・ガーデンへのデビュー)の決然たる題名役のほか、優れたテノール歌手マルコ・ベルティの見事なカラフ、日本人、中村恵理の可憐なリューなど、最高のキャストを揃えています。
豪華絢爛なるアンドレイ・セルバンの演出は、1984年に製作されたプロダクションであり、コヴェント・ガーデンでは既におなじみのもの。今回の収録は15回目のリバイバルという、まさに驚くべき人気を誇っているものと言えましょう。(アマゾンホームページより)

 プッチーニのトゥーランドットと竜女(法華教)伝説が関連が有ると公言している私ですが、そのトゥーランドットにまた名ライブが登場したので喜んでいます。
 トウーランドットは大変スケールの大きいスペクタルなオペラで、一番上演回数が多いのはアレーナ・ヴェローナの野外歌劇場で、次がこのコヴェント・ガーデンだそうですが、アレーナ・ヴェローナに対してこちらのコヴェント・ガーデン盤はスペクタクルという意味で不利は否めません。その不利をアイデアで補って余り有る公演です。
 東洋的な世界観、強烈な愛憎・・・余すことなく描き尽くした極上の演出をご覧あれ。宣伝とは言え、大上段に振りかぶって呉れましたね。でも、それほど大げさだとは私は思いません。東洋的な世界観、かぐや姫等にも見られる東アジアの悲恋の典型や絢爛たる明文化の具現。強烈な愛憎、トゥーランドットの皇子に掛ける三つの謎と残虐な処刑は祖先ローリン姫の為の復讐です。又、トウーランドットの心を溶かし愛に目覚めさせるのが献身的な愛を捧げるリュウでした。

 第Ⅰ幕の冒頭、舞台奥からピン、ポン、パンと六人の剣士(三の倍数)が現れて物語に誘います。官吏の口上と首切り役人プ・テイン・パオを呼ぶ観衆の合唱の後、静かにリュウが放浪の老王ティムールを導いて現れます。おや、日本人のようですね、キャストを白減ると中村恵理と有りました。彗星の如く現れた、と私には思われました。このリュウ中々いけるじゃ無いか、少し嬉しかったのは史実です。
 この少し後に皆さんもご存じの合唱が出て来ます。
 きれいな茉莉花、きれいな茉莉花、庭中に咲いたどの花も その香りにはかなわない一つとって飾りたいけれど 怒られてしまうかしらきれいな茉莉花、きれいな茉莉花雪よりも白く咲いた茉莉花一つとって飾りたいけれど 笑われてしまうかしらきれいな茉莉花、きれいな茉莉花庭中に咲いたどの花も その美しさにはかなわない一つとって飾りたいけれど 来年芽が出なくなってしまったらどうしましょう

 このメロディー、皆さんも聞き覚えがありますよね。プッチーニは民謡を取り入れるのがとても上手くて好きなんです。本来少年僧侶の合唱ですが、ここでは剣士達で歌われています。このほかにも、第Ⅱ幕で清国国家が使われいるそうです。

 余談はこの位にして。このライブはトウーランドットのスタンダードに成り得る名演です。何よりも音質と画質が大変優れています。どぎついまでの色彩を嫌味なく再現しています。私は、このライブを大変気に入りました。
2016年12月10日   Gorou

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅰ

2016-12-09 16:21:36 | 物語
 一
 九月だというのに、冬のように冷え込んでいた。
 基皇太子の運命を悼むかのように、この日は夜明け前から京師中が深い霧に
覆われ、その霧の中から陽気な声が沸いてきた。
「めだたやめでた。天離る鄙、能登国に内乃兵、大伴の大守がお出で下さると
いう。めでたあ~めでたあ~の若松様よ。我等能登の住人がお祝い申し上げ奉
る」
 猿面を被った乞食者が三人、右京二条の大伴葛麻呂邸の前で口上し、寿(ほかき)歌と
して能登の民謡を歌いだした。
「はしたての、熊来のやらに、新羅斧、落とし入れ」
 異様に背の高い男が歌い、巨漢と中肉中背の相棒が合いの手をあげた。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
 能登軍団の兵士たちが一緒に合いの手をあげて喜んでいる。
「かけて、かけて、な泣かしそね」
 中背の男が手をひさしにして海の底を覗く真似をしておどけた。
 ドッと笑う群集。
 高楼で見物していた雅も、乳母も妹千代も心の底から笑った。
 雅はこの日も藤衣に紅紫の裳をはいていた。
 藤模様の藤衣に蘇芳色の裳と決めていたのだ。
「浮き出ずるやと見む」
 腰を屈めて浮き上がる筈も無い鉄の斧を待つ中背。
 巨漢が左足を上げて四股を踏んだ。
「ワッショイ!」
 今度は右足を上げて四股を踏む巨漢。
「ワッショイ!」
 相撲取りの如く、すり足で前進して再び四股を踏む巨漢。
「ワッショイ!」
 能登の兵士も大伴の衛士も大喜びではしゃいでいる。
 熱気が冷気に触れて沸き立つ湯気の如くに煙っていた。
 雅がこんなに笑ったのは久し振りだった。お腹の子も一緒に笑っているのか
もしれない、そっと掌でさすると、ピクリと動いた。
 乳母から息子を受け取る雅、生後十月程になる毛虫が甘えて項に抱きつい
た。
 基皇太子が重い病に掛かり、暗く静まり返った京師でこの葛麻呂邸だけが明
るい笑いに沸いていた。
 こんなに騒いでお咎めが無いだろうか? 不安になる雅、だがすぐに忘れて
また笑った。
 三人が声を合わせて別の民謡を歌いだしたからだ。
「香島嶺の、机の島の、しただみを、い拾い持ち来て、石もち、つつき破り」
 高楼の端で笑いを浮かべながらも警戒を怠らない左衛門府大尉熊来鹿人。
「早川に、洗ひ濯ぎ、辛塩に、こごと揉み」
 鹿人に微笑みかけ、目配せを送る雅。
 雅の視線に気付いた鹿人が傍に来て露台の傍らにひざまずいた。
「しただみというのは?」
「ちいさなそれは美味しき貝で御座います」
「高坏に盛り、机に立てて、母にあへつや、目豆児の刀自、父にあへつや、身
女児の刀自」
 まだ見ぬ能登の風景を浮かべようと目を瞑る雅、暗い海だけが果てしなく広
がった。
 夫葛麻呂の新しい任地を少しでも知りたいと思う雅、能登の豪族鹿人に囁い
た。
「鹿人様、能登とはどのような所で御座いましょうか?」
「能登にはまいもんがたくさん有りましてな、やさしい所で御座います」
 荒々しい波が飛沫を上げている。
「どのようにやさしいのですか?」
 暫く考えてから答える鹿人。
「人と海はもちろん、土までも」
 ああ、きっと物成の良い所なんだと想像する雅、暗い海に日が差し、大漁に
沸き立つ船団が群れている。
 雅の意識は深海から陽光の煌めく海面を目指していた。
 雅の廻りには海豚が群れ、共に海面に向かって上昇して行く。
 航行する船団の狭間から虹色に煌めく陽光が舞い降り、その光の中に雅の意
識が飛翔した。
 肢体を跳ね上げ、高く、そしてより高く跳ねる雅、眼下に能登の海を凱旋す
る漁船団が見え、海に続く平野に平城京師に向かって伸びる官道が見えた。
 御詠歌の節回しで賛嘆を歌いながら、一人の遊行僧がゆっくりと、ゆっくり
と歩いていた。
 富士に似た小さな山から真白き連峰に向かって伸びる官道、その手前の田圃
では人々が歓喜の中で田植え祭りをしていた。
 ピーヒャラ、ピーヒャラ、ドンドンドンドコ。
 畦に群れた若者たちが笛と太鼓で音頭を取りながら飛び跳ね、踊っている。
 子供たちが真似て飛び跳ね、無邪気に喜んでいる。
「アラサノサッサ」
 早乙女たちが一斉に合いの手をあげながら、田に若苗を植えて行く。
 若苗は見る見る生長し、黄金色に輝く稲穂がたわわに実った。
 稲穂の中から陽気な声が沸いてきた。
「ワッショイ! ワッショイ!」

 猿面から鹿と虎と狩人武者の面に変えた乞食者が鹿の詩を謳い出した。
「いとこ、汝背の君、いとし、いとしのお立会い」
 武者面の背高が虎面巨漢の首根っこを捕まえて語りだした。
「居り居りて、物にい行くとは、韓国の、虎といふ神を」
 武者面は、八頭の虎を朝鮮国で生け捕りにして八重の畳にその皮を織り込
み、四月から五月にかけての薬猟で、八つの梓弓と八つの鏑矢を用意し、獲物
の鹿を香島嶺で待つと、牡鹿が出てきて嘆いた、と面白おかしく歌った。
「たちまちに、我は死ぬべし、能登大守に、我は仕へむ」
 と、今度は鹿面中背が歌いだした。
 鹿人の脳裏に香島での薬猟が掠めた。そして、後に伝説ともなった宿敵鹿王
の雄姿がありありと浮かんだ。
 鹿王は香島に閉じ込められた鹿の群れの王である。とびぬけて雄大で美しい
姿を誇り、鹿王だけは海を渡ると信じられていた。
 鹿人は、左衛門府への出仕で中断されていた鹿王との対決に心を躍らせた。
「鹿王よ、賢く強い鹿の中の鹿の王、鹿王よ、彼の島の真の王、汝を倒すのは
この鹿人をおいて他にはおらぬ」

 葛麻呂邸で鹿面の嘆きが続いている。
 私の角は笠の材料、私の耳は墨の壷、私の両目は澄んだ鏡、私の爪は弓の弓
弭、私の毛は筆の材料、私の皮は手箱の覆い、私の肉は膾の材料、私の肝も膾
の材料、私の胃袋は塩辛の材料となって能登大守大伴葛麻呂様のお役に立つ、
と嘆いた。
 風が吹いて霧を棚引かせ、路地の向かいの柳葉が揺れた。
 枝垂れる柳葉の影で様子を伺う怪しい影が二つ。
 盗賊となった火麻呂と、その懐刀狐塚来寝麻呂だ。
 火麻呂は、国替えで能登の国守になった葛麻呂の館に手下を乞食者に窶して
送り込み、柳の木陰で様子を伺っていたのだ。
 この時、火麻呂の手下は五十人を超え、般若党と恐れられていた。手下の中
に般若四天王と呼ばれる男たちがいる。七尺を超える大男蛇火裟麻呂、残虐無
比の速足南火血麻呂、相撲取り上がりの巨漢槌麻呂、女と見まごう美男子で狐
のように悪賢く、女狐の腹から生まれたという伝説の持ち主狐塚来寝麻呂であ
る。
 火麻呂の視線は雅に釘付けになっていた。霧で霞んでいたが雅に間違いなか
った、しかも葛麻呂の児を抱き、明らかにもう一人身篭っている。
「随分いるな」
「ここにいるだけで百は下りません、恐らく二百人はいるかと」
 ひそひそと話を交わす火麻呂と来寝麻呂。
「ここは朱雀門と目と鼻の先、とても襲撃は出来ません」
「仕方が無い、道中を襲うか」
「奪える財宝が少なく、誰も付いて来ないでしょう」
「もともと鬼の三兄弟など当てにはしておらぬ。汝が加勢してくれれば十分
だ」
 雅は乞食者に気を取られてそんな二人にまったく気が付かなかった。
 雅を見詰める火麻呂の目が怒りで燃え、藤衣の刺繍された模様が藤浪のよう
に揺れた。
「老いたる奴、我が身一つに、七重花咲く、八重花咲くと」
 鹿面の嘆きを聞きながら、手にした弓を幹の陰から引き絞る火麻呂、
「冥土の土産を見舞って呉れる」
 と、揺れる藤浪の雅に狙いを絞った。
「申しはやさに、申しはやさに」
 嘆き終わる鹿面。
 鬼の三兄弟が揃って、
「賑々しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」
 と歌って楼上の雅に恭しく御礼を捧げた。
 拍手喝さいに沸く葛麻呂邸。
 侍女が走り出て三人に祝儀を渡し、兵士たちが鬼の上に銭の雨を降らせた。
 おどけた様子で銭を掻き集める鬼の三兄弟。
 火麻呂の弓から矢が放たれ、ヒューッと鳴った。
 その鏑矢の音を合図に霧が晴れて行く。
 雅に向かって一直線、と見えた鏑矢が傍らの柱に突き刺さった。
 葛麻呂と雅に対する宣戦布告の挑戦状に騒然となる葛麻呂邸。
 毛虫の上に被さって庇う雅。
 素早く高楼を降りた鹿人が門前に走りこんで賊の逃げる先を見た。
 二十人程の兵士が追い、 邸内から走り出た衛士が門を固めた。
 用心深く火麻呂たちが逃げた反対側を見返る鹿人、三匹の鬼が逃げて行く、
長身の黒鬼がチラッと振り返った、面を取っていたその顔に驚く鹿人。
「おのれ、京師で盗賊になっていたか」
 三人は能登熊来郷で鬼と恐れられた罪人、蛇火裟麻呂、南火血麻呂、槌麻呂
の三兄弟だったのだ。
 高楼で呆然と逃げる賊の後姿を見やる雅、もしかしたら、いや、紛れも無く
火麻呂に違いない。秋の陽だまりの中を脱兎の如く駆け抜けるその後姿は、葛
麻呂から死んだと聞かされていた火麻呂に違いない。
 雅の心の中で、あらゆる感情が渦巻いた、悲しく恐ろしかった、が、嬉しか
った。
 毛虫を掻き抱く胸が希望と期待に膨らんだ、顔を紅潮させる雅、その美しい
手が柱の鏑矢を愛でて優しく撫でた。
 秋には珍しく、佐保山から風が吹き、正午を知らせる退朝鼓と共に合唱する
読経が漂ってきた。
    2016年12月9日   Gorou

炎の男、火麻呂 防人の歌 Ⅴ

2016-12-09 11:17:52 | 伝奇小説

 五
 七月に入ってすぐ、古麻呂が旅人と入れ替わって平城に帰った。古麻呂の強
い主張にも関わらず子虫は残った。しかも、子虫が大野城の将を賜ったのだ。
 早速閲兵式を挙げる子虫。

 整列した防人の前を、甲冑に身を固めた子虫が騎馬で閲兵して行く。
 火麻呂が子虫を見たのはこれが初めてだった。火麻呂が想像する葛麻呂の容
姿に驚くほど似ていた。
 卑小な肉体を少しでも大きく見せようと肩をいからせ、馬上で踏ん反り返る
子虫。
 重い甲冑を支えるのに汗だくになっている子虫と軍馬。
 あんな男に命を狙われていると思うとなんだかばかばかしくなる火麻呂。
 その子虫が火麻呂の側で馬を留めて見下ろしている。
 火麻呂が睨むと視線を逸らせ、横の校尉白麻呂に顎を決って見せた。
 それに応えた白麻呂が隊正黒麻呂に目配せをする。
「火麻呂」
 大声で呼ばわる黒麻呂、火麻呂の腕を掴んで子虫の前に連れて行った。
「お前が火麻呂か」
 薄笑いを浮かべながら火麻呂を見下す子虫、身を屈めて耳元で毒づいた。
「弄って呉れるぞ、簡単には殺さぬ」
 再び馬上で踏ん反り返り、下卑た嘲笑を浮かべる子虫。
「雅殿が兄の子を身篭った。男子が生まれれば、妾から正妻に取り立てるそう
じゃ」
 子虫の言葉と嘲笑は火麻呂を絶望の淵に追い込んだ。
 待っていてくれると信じていた雅、あの雅が葛麻呂に嫁ぎ、その子を宿した
という。
 度々聞こえてきたあの声はただの妄想だったのだろうか? いや、子虫が虚
言を言って火麻呂を焚きつけているのかも知れない。
 こんな所で死ねるものか、必ずこの目で確かめてやる!
 硬く決意する火麻呂。

 さて、どうする火麻呂。
 一刻の猶予も残されていない。葛麻呂の魔手はそこまで来ているのだ。
 いっその事、母を担いで逃げるか? それとも、白麻呂の姦計に乗ってみる
か?
 留まれば地獄、逃げても地獄。
「母刀自」
 眠れぬ床で火麻呂が真刀自に声を掛けた。
「寝てしまったのか?」
「起きているよ、火麻呂」
 すぐ傍で母の声が聞こえた。真刀自もまた眠れなかったのだ。
 眠れぬ夜に愛する息子の寝顔を見ながら悩んでいたのだ。
「観世音寺でまた法華八講を開かている。行って見るか?」
「この身体ではとても遠くまでは行けぬ」
「明日は非番だから俺が連れて行ってやる」
「ほんとかい?」
「ああ、最終日だそうだ」
「もう有り難い法話など聞けぬと諦めていたのに、ああ嬉しい」
 ようやく真刀自の顔に笑顔が蘇った。
「夜明け前に立つ、早く寝たほうが良い」
 いそいそと寝床に潜り込む真刀自。

「終に罠にはまりましたぞ」
 夜明けと共に子虫の館を白麻呂が訪ねてきた。
「夜明け前に火麻呂が母親を背負って城門を出ました」
「逃げたか?」
「いや、多分観世音寺の法華八講に母親を連れて行くのでしょう」
「どうでも良い、追っ手を掛けて捕まえろ」
「畏まって候」
「いや、私も行こう」
 支度をする為奥に向かう子虫を見送って舌打ちをする白麻呂。
「邪魔になるだけだ。逆に火麻呂に殺されねば良いが。誰も助けはせぬぞ」
 眉を顰めて呟く白麻呂。

 真刀自を背負って山道を登る火麻呂。
「嵐にならぬかのう」
「かも知れぬ。急ぐぞ母刀自」
 歩を早める火麻呂。
 火麻呂の背中に縋り付く真刀自。
 ふと立ち止まって道端を見やる火麻呂、馬酔木を見付けたのだ。
 馬酔木の枝を折って腰にさす火麻呂。
「この山には狼が出るのかい?」
「安心しろ母刀自、この山に狼はいない」
 狼よけの馬酔木ではなく、己の心に巣食う鬼を退治する為だ。
 背後を見回し、聞き耳を立てる火麻呂、大野城を出てから何者かにつけられ
ているような気がしたのだ。が、今はまるで人の気配が感じられない。
 風が轟と鳴って火麻呂を唆した。
「さて、どうする火麻呂?」
 誰かが耳元で囁いた。
 振り払うように観世音寺へと急ぐ火麻呂。
 益々暗くなる空、今にも土砂降りの雨が零れて来そうだ。
「さて、どうする火麻呂!」
 今度は天から声が降って来た。
 立ち止まって暗い空を見上げる火麻呂。
 天が崩壊し、洪水の様な豪雨が火麻呂と真刀自を襲った。
 堪らず大木の陰に逃げ込む火麻呂、真刀自を地に下ろして牛のような目をし
て睨んだ。
 火麻呂のただならぬ形相に、真刀自は腰を抜かすようにして地べたに跪い
た。
「鬼のような恐ろしい目をして、お前狂ってしまったのかえ」
 真刀自に背を向け、太刀を抜く火麻呂。
「木を植えるのは、実を取り木陰に憩うため、子を養うのは、その子の力を借
り、また養って貰う為です。頼みにしていた木陰に雨が漏るように、どうして
お前に出来心が湧いたのだろう」
 火麻呂の肩が激しく震えている。
「ああこんな事なら、病で死ねればどんなに良かったのだろう。そうすれば、
お前はこんな邪心を起こさずにすんだのに、雅の元に帰る事も出来たのに」
「ああーッ!」
 天を仰ぎ、まるではぐれ狼のような遠吠えをあげて豪雨の下に出て行く火麻
呂、己の心に唆されて叫んだ。
「血を流せ! わが心よ!」
 豪雨に打たれて火麻呂が鬼に変身した。
「ああ! 汝が育てしこの子、汝の乳房に養われしこの火麻呂」
 悪鬼羅刹の如き形相で太刀を振り上げ、真刀自を睨む火麻呂が、いまや養い
育てし親おば噛み殺さんとしている。
 げにその子は蛇と成り果てようとしている。
 そんな息子の様子に観念したのか、真刀自が経を唱えながら目を閉じた。
 真刀自に迫る火麻呂。
 雷鳴が轟いた。
 閃光に襲われ、ハッと我に返る火麻呂、手にした太刀を放り投げて座り込ん
だ。
「許してくれ、許してくれ」
 厳つい顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる火麻呂。
 ふと立ち上がる真刀自、ふらふらと雨の中に歩を進め、崖っぷちから千尋の
谷を覗き込で、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と経を唱えた。
 頭をかきむしりながら地べたをのたうち回る火麻呂。
 悲しい顔で火麻呂を見やる真刀自。
 再び谷底に目をやる真刀自、飛び込もうとするがなかなか勇気がわいてこな
かった。
 合掌し、目を閉じる真刀自、菩薩に祈った。
 また雷鳴が轟いた。
 バリバリバリ! ズドーンッ!
 凄まじい音と共に、雷が大木を真ッ二つに引き裂いた。
 二つに分かれた大木が母と子の上に倒れて行く。
 のたうち回る火麻呂の真横に倒れる大木。
 衝撃で半身を起こした火麻呂が見たのは大木を避けきれずに谷底に落ちて行
く母の姿だった。
「母刀自!」
 崖っぷちに走りこみ、千尋の谷を覗き込む火麻呂。
「母刀自ーッ!」
 虚しく嵐にかき消される火麻呂の叫び声。
 放心状態の火麻呂が地べたに座り込んだ。

 そんな様子を遠くで伺う人影が、一つ、二つ、そして三つ、黒麻呂とその配
下だ。
 配下に囁きかける黒麻呂。
「確かめてこい」
 谷へ降り始める二人の配下。岩や蔦を巧みに操って易々と降りていく所を見
ると、恐らく山の司だ。
 火麻呂に忍び寄る黒麻呂、背後に立ち止まった。
 気配を察した火麻呂が背筋を伸ばした。
「黒麻呂、何を企んでいる」
「面白い物を見せて貰った。礼を言うぞ火麻呂」
 足元の火麻呂の太刀を蹴り上げる黒麻呂。
 空中に翻る太刀が火麻呂の手前に落ちた。
「火麻呂、太刀を取れ」
「糞と子虫にじゃれる蛆など相手にする気は無い」
「大伴も糞も藤原も無い、我が主はただ一人、伯父雪連白麻呂じゃ」
「無様な姿でうろつきまわっては、極楽浄土の母に合わせる顔が無い、さあ、
早く殺せ」
「あいにくだが火麻呂、伯父は見張れと命じたが、殺せとは言っておらぬ」
「つべこべ言わずに早く殺せ」
「そんなに死にたいか?」
「おう、覚悟は出来た。気が変わらぬ内に殺せ」
「合い分かった。そうまで言うなら殺してやろうぞ」
 居住まいを正して静かに目を瞑る火麻呂。
「行くぞ火麻呂!」
 火麻呂の数間手前で大きく身構える黒麻呂、摺り足で数歩間合いを詰めた。
 気を集中して間合いを図る火麻呂。
「そこからでは俺の首は落とせぬぞ」
「この黒麻呂に落とせぬ首などこの世にない」
 背中の長刀を引き抜く黒麻呂、右足を垂直に高く上げ、左足で反動をつけな
がら大きく踏み込んだ。
「オリャア!」
 袈裟懸けに火麻呂の首を目掛けて振り下ろされる太刀、届かぬと見えた瞬
間、魔法のようにスッと伸びて火麻呂の首を襲った。
「逆賊火麻呂の卒首、確かに貰った」
 ピタリと首筋で止まる太刀。
 ゆっくりと太刀を引く黒麻呂。
 火麻呂の首に降り注ぐ雨が赤く染まった。
「口ほどにも無い、仕損じたか黒麻呂」
「さすが筑紫で勇者の誉れが高い吉志火麻呂。首になっても強がりを言うてお
るわい」
 懐から白い布を取り出す黒麻呂、大げさな身振りで火麻呂の首を包みこんで
たっぷりと血を吸わせた。
 血だらけの布で太刀を拭き、刀身に血をたっぷりとつける黒麻呂、天を仰
ぎ、今度は雨で濡れたその布を顔の上で絞った。
 長刀を肩の鞘に収める黒麻呂。
 黒鞘に火麻呂の血痕が落ちて赤い結晶がまた一つ増えた。
 赤き血潮に塗れた顔で耳を澄ます黒麻呂。
 風雨にまぎれて人馬の轟きが聞こえてきた。
「冥途で待っていろ火麻呂、この決着は地獄でつけてやる」
「おう!」
「さらばじゃ」
 脱兎の如く駆け出す黒麻呂。
 豪雨の彼方で人馬の影が揺らいでいる。
「逆賊吉志火麻呂、討ち取ったりーッ!」
 叫びながら駆ける黒麻呂、子虫の率いる兵団の手前で仁王の如く立ち止まっ
た。
「大宰府大野城隊正従八位下雪連黒麻呂! 逆賊火麻呂を母親もろとも地獄へ
落として参った!」
 満面笑みを浮かべて馬を留める子虫。
「でかした黒麻呂」
 血塗られた布を翳して吼える黒麻呂。

 両膝を折り曲げ、絶望の中で天を睨む火麻呂。
「神も仏も呪わぬのか! 悪逆非道のこの火麻呂に天罰は下らぬというの
か!」
 天が火麻呂に応え、閃光が閃き、暗雲が不気味に動き回っている。
「おのれ極楽になど行ってなるものか、かくなる上は、悪行の限りを尽くし、
地獄に行かずにおくものかーッ!」
 大地が揺れ、魔王が火麻呂の望みに応えた。
 語るべき言葉の無いまま、崩れるようにして蹲った。
「ウオーッ! この目で真の地獄を確かめてくれん、葛麻呂! 雅! この火
麻呂が行くから待っていろーッ!」
 悲痛な叫びを上げながら、仰向けに倒れこむ火麻呂、大の字になって天地に
身を晒した。
 悩める火麻呂の身体に容赦なく豪雨が降り注いだ。

 さて、どうする火麻呂。
 冥途に向かってまっしぐら、
 今生になど暇を乞え、
 死ねば地獄、生きてなお地獄。
 冥府魔道に進め!
 実の母親をも殺そうとした悪逆非道の漢、火麻呂。
               (防人の歌 完)
2016年12月9日  Gorou  

窮れる女王と女狐 Ⅱ

2016-12-09 03:56:32 | 伝奇小説
 扉をたたく音で眼を冷ました窮れる女王、庭に大勢の人の気配がして、ザワザワと騒がしかった。
「どなた様」
 女王の許可が出る前に扉が開いた。
 驚いて息を潜める女王。なんと、数年前に館を離れた乳母と仲良しだった侍女が立っていたからだ。
「まあ!」
「まあまあ、お元気そうで安堵致しました」
 乳母の言葉が終わらぬ内に、女王と侍女は再会の喜びの余り抱き合っていた。
「姫様」
「女刀自(めとじ、たんに女の子の意味で当時庶民の女子には名など無い)」
 抱き合う二人の顔は涙でグシャグシャだ。
 ピシッ! 来寝麻呂の鞭が唸った。妹狐の裳から尻尾が覗いていたからだ。
 慌てて尻尾を隠す女狐。
「姫様に又お合いになれて嬉しゅう御座います」
 来寝麻呂の指示で従者達が食べ物などを次々と運び込んでいる。
 呆然と見とれる女王。
「これは?」
「姫様が宴を開く事が出来なくて,お悩みだと、風の噂に聞きましたので、こうやって飛んで来ました」
「嬉しい!」と、次々と土間に積み上げられる物物に見惚れて、呆然と佇むばかりであった。
「私共が参りましたからには、もう姫様にお不自由はお掛け致しません。早速宴の準備を致しましょう。それ! 皆様方も励みなされ」

 まず、皇族方への招待状が認められたが、王女は不満顔であった。天智系の皇族のみえの招待状だったからだ。
「お願い。天武天皇のお孫様方にも文を差し上げて」

 宴の当日、四十人もの皇族が集まり、贅を凝らした持てなしにに皆喜んだ。
 窮れる女王などととんでもない、なんと裕福で幸せな女王なのだろう、あやかりたいものじゃ。
 諸王達が舞いかつ歌う様はまるで天上の楽のようで有った。
 一人一人が女王の前に来て招待のお礼をいい、土産の反物や酒などを献上してくれた。とりわけ、天武系の諸王の献上物は豪華な物ばかりだった。
 白壁王も来ていたが、窮れる女王の幸せな姿を見ながら隅で嬉しそうに酒を嗜んでいた。
 最期に葛城王が挨拶に来た。
 女王は驚きの余り、声も出ず、しどろもどろになってしまった。葛城王は皇族派の貴族では長屋王に次いでの位階と人気を持っていたからだ。
「姫、お喜び下さい。盗人の正体を突き止め、きつく咎めましたので、お心を安らかに」

 葛城王の言葉通り、とどこっていた分も含めた献上物が窮れる女王の元に届けられた。
 突然の幸せを喜んだ女王は、せめてもの恩返しにと、手に入れた一番美しい衣を乳母に与え、一番鮮やかな裳を侍女に持たせた。
「吉祥天様にもお礼を言わなければ」と、女王は服部堂に行って吉祥天を拝むと、不思議な事に衣は像が着ており、腕には侍女に与えた裳が掛かっていた。
「なんと有りがたい事でしょう。一生貴女様を拝み続けます」
 女王は吉祥天に心からの祈りを捧げた。
 ちらっと女狐が像の陰から顔を出したのに女王は気がつきません。
 女狐は堂を走り出ると、ピョンビヨンと跳ねながら生駒に向かって一目散。二度と女王邸には戻りませんでした。裕福になって、人の出入りが多くなった館は居心地が悪かったからに違いありません。

 女王は、夫と子にも恵まれ、生涯裕福で幸せな生活を送ったそうです。
【窮れる女王と女狐 完】
 
 追記。
 目立たぬ処世術が功を奏して、白壁王は神護景雲四年(770年 ) 、第四十九代・光仁天皇として即位されました。光仁天皇と百済系の高野新笠(夫人)の間に生まれたのが平安京を造営した桓武天皇です。
 この直系が今の皇室の基となって居ります。
2016年12月9日    Gorou