アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

ブラームスはお好き? ラトル・ベルリン・ブラームス交響曲全集 

2016-12-16 14:07:19 | クラシック音楽

 Sakon氏がブラームスに目覚め、ブラームス好きになったのは、バーグマン、モン
タ、パーキンス主演の映画「さよならをもう一度」とルイ・マルの「恋人た
ち」がきっかけでした。「さよならをもう一度」では交響曲三番の第三楽章、
「恋人たち」の方は弦楽六重奏一番が使われていました。どちらも大変甘美な
メロディーを持ったロマンチックな曲で、ブラームスの肖像画からはとても想
像が出来無かったそうです。
 彼が子供の頃、カラヤン全盛でラジオから流れて来るのは、カラヤン
のベートーベンとワグナーばかりだったそうです。絶賛される批評とは裏腹に物足り
なさを覚えていた彼はすっかりカラヤン嫌いになりました。そんな時に出会った
ブラームスにすっかり夢中になったそうです。

 ブラームスの音楽の特徴が良く現れているのがピアノ協奏曲一番だと、彼では無く
私は思います。オーケストラの長く壮大な前奏の後でピアノが静かに入って来ま
す。そのピアノの最初の音が演奏の全てを左右します。若者の人生に立ちはだ
かる、重く英雄的でも有る人生。ためらい、怯えながらも、若者はその第一歩
を踏み出すのです。
お薦め演奏。 ギレリス・ヨッフム・ベルリン。
ポリーニ・ベーム・ウイーン
バレンボイム・ラトル・ベルリン
(アテネでのライブ、DVD)
などですが、私が一番好きなのは永遠のリリシスト、ラドゥ・ルプーです。ピ
アノの入りが絶妙なんです、もう輸入盤でしか手に入らないと思いますが、見
つけたら是非聞いてみて下さい。

 さよならをもう一度のテーマはあまりにも有名ですよね、その為かどうか分
かりませんが、三番の名演奏に出会った記憶が有りません。第三楽章があまり
にも優美過ぎ、あまりにも甘美なので、或いは余りにも有名なので、全体のバ
ランスが悪くなってしまうのかも知れません。
 三番に比べて四番は色々な名演に出会いました。最高なのはクライバー、ウ
イーンですが、印象的だったのは、室内的な演奏に徹していた、シューリスト
のコンサートササエティ盤でした。

 さて、やっと本題です。
 ラトルとベルリンフィルのブラームス交響曲全集を聞きました。バレンボイ
ムとのピアノ協奏曲一番とピアノ四重奏曲の管弦楽版が素晴らしかったので、
期待に胸をドキドキさせて聞きました。余り期待するとろくな事は無いのです
が、期待を決して裏切らない名演でしてた。

○ 一番。
 フルート・パユ。オーボエ・マイヤー。第一コンマス・安永徹。と、全曲中
一番の布陣です。ビオラの清水直子も参加しています。
 最近見慣れた、第一、第二、チェロ、ビオラという、第一バイオリンとビオ
ラを対極とした配置ではなく、第一と第二バイオリンを対極としていました。
 パユとマイヤーのコンビは相変わらず絶妙ですね。パユが他の曲(マイヤー
は一番だけでした)では少し神経質になっていましたが、マイヤーとコンビを
組んだ一番では伸び伸びと演奏していたのが印象的でした。
 安永徹さんは大活躍でした、すでに退団してしまい、残念ですね。後任に内
定した樫本大進さんに期待しましょう。2009年のヴァルトビューネサマーコン
サートに参加していたそうですよ。
 この一番は素晴らしい名演でした。特に終楽章の次第に白熱していくアンサ
ンブルは見事でした。悲劇的などという安易な表現は当てはまりません。
 この曲が作曲されたのがワーグナーのトリスタンとイゾルデより十年も後だ
とラトル氏がインタビューで言っていました。私もその事に初めて気が付いて
驚いています。

○ 二番。
 ビオラの清水直子さん、相変わらず姿勢がいいでいね。ボーイングも美しい
ですね。
 ラトル氏は一番だと言っていますが、二番がいちばん演奏が難しいと、私は
思います。ともすれば平易になりがちなこの曲を、テンポを揺らしたりしなが
ら熱演へと導いています。結構好きですね、このアプローチ。
 管楽奏者の名手が揃うベルリンフィルならではの名演! 

○ 三番。
 ブラームスの音楽は良く森に喩えられますが、北欧の森林に喩えるならブル
ックナーの方が相応しいし、ワグナーのオペラの原点は北欧神話なのですか
ら、ブラームスよりも遙かに神秘の森の香りがしますよね。
 ブラームスの音楽はライバルのワーグナーより叙情的で青春の息吹に溢れて
います。森に喩えられるのは、ブラームスの管弦楽曲は壮大な弦楽合奏の上に
管楽器が漂うからです。
 この三番もまた、勇壮な弦楽群のさなかで管楽器のメロディーが仄かに漂
い、当にブラームスそのものです。
 問題の第三楽章は、驚くほど淡々と演奏されて行きます、それでいて充分過
ぎるほど美しく優美なんです。歌いすぎない事で、見事なまでに四つの楽章が
交響曲としてのバランスを保っています。

○ 四番
 全集中の白眉! 好きだなあ、この演奏。クライバー、ウイーン以来の名演
だと思いますよ。
 ただ、余りの熱演に辟易すると思う人がいるかも知れません。

ところで、

 ブラームスはお好き? ・・・ですか?
   2016年12月16日    Gorou&Sakon


ガランチャのカルメン

2016-12-16 12:34:48 | クラシック音楽
 メゾソプラノののエリーナ・ガランチャは、たしか、2010年のベルリンフィルのシルベスタ(大晦日)で、ドゥーダメルの指揮でカルメンを歌って、見事に期待に応えていました。
 コベントハウス他のオペラハウスのカルメンは見ていませんが、メトの2010年シーズンのカルメンはライブビューイング、DVDソフト、NHKライブで観ました。不思議な事ですが、印象が微妙に違うのは気のせいでしょうか? 映像・音声共にNHK版が格段にクォリティが高く(ハイビジョン収録)、DVDソフトが次でした。最悪だったのが ライブビューイング! 築地の某劇場で観ましたが、映像も甘く(映写機が古いと思いますよ)、音質は最低でした。ソプラノ最高域は悲鳴を上げ、弦楽器は高音で歪んでいました。多分、スピーカーが JBL系なのでしょう、ハーマンカードンのシステムでオペラなど無理な話なんです。二度とライブビューイングは観まいと堅く誓いました。そもそもこの系列の映画館は管理が行き届いていません。数年前、有楽町の最高と詠われる映画館でこんな事が有りました。スクリーンの左上にフレアーが入っていました。最初ゴミでもレンズに付いているのかと思いましたが、最後までそのままでした。『レンズに傷が入っていますよ』と、帰り際にスタッフに言ったのですが、『そうですか』と、気のない返事。後日、観たい映画が同じ劇場に掛かっていたので、レンズの事を問い合わせたら、『はい、もう直っております』。分かっていてそのまま上映していたのですね、無神経も甚だしいですよね。こんな神経で金を取るなんて!
 さて、演奏の感想ですが、すばらしいの一言でした。ガランチャの歌と演技はメリハリが有って良いすよね。踊りも見事にこなしていました。ドンホセのアラーニャもミカエラのバルバラ・フリットリーもすばらしかったですね、演出も中々面白かったと思いますよ。指揮が少し弱いかな、カルロスクライバーとの比較ですから気にする程の事は有りません。
 実は、ガランチャのカルメンはゲォルギューの代役だったんです。当初はホフマン物語のミューズを歌う予定でしたが、アラーニャとの離婚騒動でキャンセルになり、お決まりのドタバタでガランチャのカルメンがメトで実現したと言うわけです。ガランチャのミューズ(ニクラウス)は先年新国立ホフマンで歌っているそうですからご覧になった方もいるのでは? 私も期待していたのですが、まあカルメンの方が良かったですよね。
 ガランチャはサルスエラ(スペインの民族オペラ)、特にセベーデの娘たちのろう獄の歌を得意としていますから、カルメンで悪かろう筈が有りません。ろうごくの歌、是非聞いて観て下さい 。 ベルリンフィルのシルベスタでも、バーデンバーデンでも歌っています。
 ガランチャ、次は何に挑戦するのでしょうね? プッチーニ?ヴェルディ? トスカはまだ無理でしょうかね、仮面舞踏会のレオノーラ、ドン・カルロのエリザベッタ、オテロのデスデモーナなんか観てみたいですよね、ガランチャの更なる挑戦に期待しましょう。 2016に発売されたバレンシア(Reviveの間違いでした、すいません)というCDでドン・カルロを歌っていましたが、エリザベッタでは無くエボリ公女でした。実は、エボリ公女はドン・カルロでは大変重要な役で、歌唱・演技・容姿と揃った歌手は中々いない役でしたから、ライブでも是非歌って欲しい役ですね。このバレンシアというCD、素晴らしい出来映えなので、是非お聴きになるのをお勧めします。因みにITuneと契約している人なら無料でダウンロード出来ます。
 後、ネトプレコとガランチャ共演のノルマが観たいですね、バーデンバーデンで一曲だ聴いて、すごく感激したのが忘れません。わたしが知らないだけでもう実現しているのかも知れませんね。
    2016年12月16日    Gorou

象牙の笏

2016-12-16 09:43:14 | 古代史(日本)
 日本霊異記に曰く。
 聖武天皇は大願をおこし、天平元年(七二九)春二月八日、左京元興寺で大法会催して三宝(仏、法、僧)を供養なさった。太政大臣正二位長屋親王に僧侶接待を命じられた。その時、一人の沙弥が勝手に給仕所で列に割り込んで、鉢の中に飯を盛らせた。王はこれを見、象牙の笏で沙弥の頭を打った。頭は傷つき血が流れた。

 薬師寺の僧、景戒はこの後、仏の化身の沙弥を笏で傷つけた長屋王は罰を受け、身を滅ぼしたと記している。

 続日本紀に曰く。
 二月十日、塗部君足と中臣東人が、「長屋王は密かに佐道(妖術)を修得し、国家を倒そうとしています」と密告した。
 その夜、三関(鈴鹿・不破・愛知)に使者を使わして閉じさせ、藤原宇合らに六衛府(従来は五衛府だったが、先年、藤原房前を長官とする忠衛府を増設している)の兵を率いさせて長屋王の邸宅を包囲させた。
 翌朝十時頃、舎人親王らを長屋王邸に遣わして、その罪を追求し、尋問させた。
 翌十二日、長屋王は夫人の吉備内親王や子らとともに自殺した。

 誠に鮮やかな手並みで、我が世の春を謳歌し、権力を欲しいままにしていた長屋王を葬り去りました。
 前の年、皇太子を亡くしていた聖武天皇にとって長屋王は邪魔者だったのです。夫人の吉備内親王と共に皇位継承権の上位にいたからです。この時には、聖武天皇と藤原氏は夫人の光明子を皇后に、娘の阿倍内親王を皇太子にする事を密かかに決めていました。皇族以外の皇后も、女性皇太子も例の無い事でしたから、慎重に図られ、後年実現させています。
 
 この事件は長屋王の乱とか変と呼ばれ、反乱という記述は有りません。冤罪だと誰もが知っていたようです。藤原氏の数々の陰謀の一つです。
 続日本紀は、淡々と事実を記しています。古事記やむ日本書紀のような神話よりの書物と違って、信用する事の出来る史書です。
 後年、長屋王の乱は冤罪だったと、あっさりと書いて有ります。
     2016年12月16日    Gorou

エリザベス・ゴールデンエージ

2016-12-16 06:57:17 | 映画
エリザベス:ゴールデン・エイジ [Blu-ray]
クリエーター情報なし
ジェネオン・ユニバーサル

 エリザベスとは大英帝国の黄金時代をを築いたエリザベス一世の事である。シェカール・カプール監督はエリザベス一世を主役にした二つの作品を世に送り出した。この二作品は完全に一つの作品、と言い切って良いほど均一がとれています。が、どちらか一本だけでも十分に見応えが有ります。一本見て、気に入れば後の一本を観れば良いと思います。ここでは、混乱を避けるために、ゴールデンエージを中心に話を進めたい。特筆すべきは、衣装・美術と俳優の演技である。秘密警察長官役のジェフリー・ラッシュ(パイレーツ・オブ・カリビアン、恋に落ちたシェークスピア)は相変わらず達者ですねえ、ローリー卿役、卿といっても限りなく海賊に近く、かのキャプテン・ドレークの仲間ですが、クライヴ・オーウェンが珍しく好演しています。しかし、なんと言っても白眉はエリザベスのケイト・ブランシェット(耳に残るは君の歌声)の演技です。神懸かっていると思えるほどの怪演です。もう一人女王、スコットランドのメアリーとのエピソードは見応えが有ります。メアリー役のサマンサ・モートンもなかなか良いですよ。

簡単に粗筋に触れましょう。
十九世紀後半のヨーロッパはスペインのフェリペ二世が支配していました。有名な無敵艦隊の時代ですね。敬虔なカトリックのフェリペ二世は、新教徒エリザベスのイギリスを支配下におこうと虎視眈々と狙っていました。さらにフランスの介入、幽閉されていたメアリーのエリザベス暗殺計画、国内カトリック派の巻き返し陰謀、エリザベスとウォルシンガム(秘密警察長官)の奮闘が続き、遂にメアリーを処刑します。しかし、これはスペインの陰謀・罠だったのです。スペインの無敵艦隊がイングランドに襲いかかって来ました。迎え撃つインランドには三千の兵とドレイクやローリーの海賊しかいません。絶体絶命のピンチです。が、中学程度の歴史の知識が有れば、結果は分かりますよね。
恋に悩み、神に選ばれた女王メアリーの処刑に激しく動揺し、渦巻く陰謀にもてあそばれたエリザベスが、迷える女王から神にも等しいイングランド国民の母親へと変貌を遂げ、甲冑に身を固め、白馬に跨って不安に戦く兵士達の前に現れ……
「愛する私の民よ! じきに、敵と相まみえる時が来る。私は戦いの最中に身を置き、あなた方と生死を共にする! 戦いの日が終わったら、天国で再会を、あるいは勝利の野で再会を祝おう」< 身震いをする程感動しました。このシーンがクライマックスです。お見逃しなく!

 この作品を理解するには、カトリックと新教徒の対立や当時のヨーロッパ情勢を知らなければなりません。まあ、歴史をしらべれは良いのですが、それではこのレビューの意味が有りません。いくつか参考になる映像作品を紹介しましょう。

○ 映画・エリザベス。
 コールデンエージと一対と成った作品。ゴールデンエージ見た人なら多分ご覧になっていますよね。

○ 映画・ブーリン家の姉妹。
 処刑された、エリザベスの母アン王妃と妹のメアリーの物語。
 アンをナタリー・ポートマン、メアリーをスカーレット・ヨハンセンが演じた佳作です。
 幼き日のエリザベスがラストで登場して、エリザベスが皇位を継承して、イングランドに黄金時代を築いたと、ナレーションが被さります。

○ 歌劇・アンナボレーナ。
 アンナボレーナを英語で発音するとアンブーリンとなります。
 アンナ・ネトプレコとエリーナ・ガランチャの共演した素晴らしいライブが有ります。

○ 映画・恋に落ちたシェークスピア。

エリザベス一世の晩年を舞台としています。私の愛聴版です、まだ観ていなかったら騙されたと思って観て下さい。美術とシナリオがすばらしいですよ。


○ 映画・ニューワールド。

 アメリカのヴァージニアと、アメリカ原住民王女・ポカホンタスの物語。
モーツァルトとワグナーを対比させた音楽が白眉です。特にモーツアルトのピアノ協奏曲二三番第二楽章はこの映画の為のオリジナルのような錯覚を覚える程です。

○ 歌劇・ドン・カルロ(ヴェルディ)

 ヴェルディの最高傑作だと思います。フェリペ二世(エリザベスと敵対していたスペイン王)と王子ドン・カルロの相克を描いた長編オペラです。父親のフェリペ二世は敬虔なカトリック教徒、王子のドン・カルロは新教徒に指示された救世主のような存在です。この作品は台本がすばらしい。とにかく素晴らしい、勿論ヴェルディの音楽も最高です。

 一番のお奨めはムーティ・スカラ座・パバロッティのDVDです。演出はゼフィリッツで中々素晴らしい演出をしています。カルロとフェリペ二世の間で悩む女王エリザベッタを始め、歌手陣が充実しています。
ルキノ・ヴィスコンティの演出を採用したハイテインク盤も有りますが、ヴィスコンティが好きならこれも面白いかも知れません。
カラヤンの指揮になる映像も有り、すこぶる評判が良いのですが、買ってまで観る気がしません。カラヤンには随分騙されましたからね。
2016年12月16日   Gorou1

戦争は犯罪か?

2016-12-16 03:54:07 | 反戦
「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」
これは東京裁判(極東国際軍事裁判)で、アメリカ人弁護人ベン・ブルース・ブレイクニーが弁護側反証の冒頭で語った物です。
 つい最近、NKKで東京裁判が放映されました。四部作からなる大作でした。
 私が眼を覆いたくなるほど驚いたのは、取材に基づいた再現だという良いわけがましい一言が付いていた事です。このような歴史上重要で有名な事象をワイドショウ並の再現ドラマのように扱う意図はどこにあったのでしょう。むしろ、フィクションとして描くべきです。
 NHKの東京裁判の主人公はオランダの判事レーリンクですが、彼に密着した訳で無く、大勢の判事団を登場させた群像劇になっていました。その為、主人公が登場する度に紹介テロップを付けざる得なくなり、極めて内容とテーマの掴みづら代物になっていました。
重ねて断言します、東京裁判をフィクションとしてなら兎も角、薄っぺらで中途半端な再現ドラマとして制作するのは間違っています。
 考えて下さい。判事達が導き出した被告達への求刑とその理由が正義として記憶されて終います。若い方々が見た場合その懸念は顕著に成ってしまいます。日本やナチスドイツが起こした戦争は犯罪で、アメリカの起こす戦争は正義。というような事が刷り込み、集団催眠が起こったら大変です。今後が思いやられます。
 裁判というのは、裁判長を含む判事団、被告、被告を糾弾する検事団、弁護団ず揃って初めて成立します。判事側だけから見た再現ドラマ、私は禁断の果実だと思います。

 ブレイクニーの東京裁判での反証の続きを見てみましょう。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」
 アメリカ陸軍出身のブレイクニーの勇気ある発言でしたが、虚しくも無視されて終いました。

 では、何故アメリカは原爆を投下したのか? 及ばずながら検証して見ましょう。
 まず、当時の状況です。ソ連が参戦したのが八月八日(アメリカはヤルタ会談でこのことを知っていました)、広島への原爆投下が十日です。アメリカが戦争終結を早めるためにという良いわけは通用しません。
 広島に次いで長崎にも原爆は投下されました。当に留めを刺したのです。
 原爆など使わなくても、ソ連が参戦した時点で、日本の無条件降伏は見えていましたし、戦争終結の為の内閣も組閣がすんでいました。ただし、終戦が十五日より遅くなったのは(おそらく一二週間)は確かです。それは、日本列島が東西に分割される事も意味していました。朝鮮半島やベトナムのようにです。
 アメリカはそういう事態を怖れていました。原爆はソ連にその威力を見せつける意図があったのかも知れません。
 アメリカ政府は、第二次時世界大戦のその後をみていました。ソ連を初めとした共産諸国との死闘をです。アメリカには民主主義国家としての日本の再生は不可欠だったのです。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、・・・以後の歴史が何よりも雄弁に物語っています。
 決して欺されてはいけません(わたしの発言もふくめて)。自分で調べて、自分で考えて、戦争が犯罪なのか? どうしたら戦争の無い地球を実現出来るのか。誰かが始めなくてはいけません、その最初の一人にあなたが成る事を祈っています。
2016年12月16日   Gorou