世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

リスク,北大陸14/11,シベリア抑留60万人,元禄名槍譜 俵星玄蕃,歌い継ぐ

2019-07-04 18:34:31 | 連絡
出典:【三波 春夫(みなみ はるお)の経歴】。1939年、16歳の時に浪曲師・南條 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。1944年に陸軍入隊し、満州に渡る。敗戦を満州で迎える。敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。三波は、「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難していた。1949年9月、帰国。浪曲師として復帰し、活躍した。1999年12月31日、最後の紅白歌合戦出場を果たす。この時歌った「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は60年に及ぶ三波春夫の歌芸の集大成とも言われる。2001年4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。享年79(77歳没)。亡くなる半年程前の2000年11月に故郷の越路町の町制記念イベントで舞台に立っており、これが現役としての最後の舞台となった。辞世の句と受け取れる「逝く空に桜の花があれば佳し」という句を残している。http://youtubekayoukyoku.blog96.fc2.com/blog-entry-382.html
出典:Hisaki TV ,2014/11/05 に公開,三波春夫 「元禄名槍譜 俵星玄蕃」https://www.youtube.com/watch?v=413p3I-JEd8

リスク,北大陸08/4,シベリア抑留60万人,歌声に救われた戦友たち

2019-07-04 17:40:40 | 連絡
出典:roukyokujotohei 、2010/05/31 に公開、」シベリア抑留 歌声に救われた戦友たち1シベリア強制抑留者の証言「歌声に救われた戦友たち」~ある国民的歌手の軌跡を訪ねて~戦後に行われたソ連による日本人シベリア強制抑留。 シベリア抑留経験者である三波春夫氏が、 かつて自分が抑留された地を再び訪れたときの貴重映像。 このシベリア抑留では、厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず、 過酷な強制労働に従事させられたことにより数多くの抑留者の命が失われた。 (日本人の他、ドイツ軍捕虜、枢軸国であったハンガリー、ルーマニア、ブル ガリア、フィンランド、イタリア、少数ながらスペイン、バルト三国) このソ連の行いは「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証したポツダム宣言に背いた違法行為であった。