出典:【三波 春夫(みなみ はるお)の経歴】。1939年、16歳の時に浪曲師・南條 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。1944年に陸軍入隊し、満州に渡る。敗戦を満州で迎える。敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。三波は、「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難していた。1949年9月、帰国。浪曲師として復帰し、活躍した。1999年12月31日、最後の紅白歌合戦出場を果たす。この時歌った「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は60年に及ぶ三波春夫の歌芸の集大成とも言われる。2001年4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。享年79(77歳没)。亡くなる半年程前の2000年11月に故郷の越路町の町制記念イベントで舞台に立っており、これが現役としての最後の舞台となった。辞世の句と受け取れる「逝く空に桜の花があれば佳し」という句を残している。http://youtubekayoukyoku.blog96.fc2.com/blog-entry-382.html
出典:Hisaki TV ,2014/11/05 に公開,三波春夫 「元禄名槍譜 俵星玄蕃」https://www.youtube.com/watch?v=413p3I-JEd8