支倉常長ら一行は現在の宮城県石巻市にある月浦を1613年10月28日(慶長18年9月15日)に出航し、遠くスペイン、ローマに向かいます。この慶長遣欧使節が乗り込んだ船は、スペイン側の記録ではサン・フアン・バウティスタ号(洗礼者聖ヨハネという意味)とよばれ、多くの商人を含んだ総勢180人あまりを乗せての船出でした。偏西風と北太平洋海流にのって太平洋を横断し、日本を出て3ヶ月後にメキシコのアカプルコに到着しました。しかし日本ではそのころ、徳川家康が全国にキリシタン禁令をしいたため、彼らの交渉には最初から暗雲がたちこめていました。サン・フアン・バウティスタ号を降りた大部分の人々はメキシコにとどまりましたが、スペイン国王とローマ教皇あての手紙を託されている常長がひきいる使節団約30名は、1614年6月10日、スペイン艦隊に便乗して大西洋を渡ることになりました。途中、嵐にあったため、キューバ島ハバナを経由して、スペインに上陸したのはその年の10月5日。ソテロの出身地であるセビリアで大歓迎を受け、12月5日頃にスペインの首都マドリードに到着します。
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